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【著者インタビュー】平井美帆『ソ連兵へ差し出された娘たち』/戦後の闇に迫った開高健ノンフィクション賞受賞作!

1945年8月のソ連参戦で崩壊した「満州国」で、日本への引揚船が出るまで現地にとどまった女性たちは、一方的に性暴力の被害を受けていた――歴史に埋もれてしまった事実を明らかにする衝撃作。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

敗戦直後の満州で起きた悲劇の全貌とは――歴史に埋もれた真実を掘り起こす衝撃のノンフィクション

ソ連兵へ差し出された娘たち

集英社
1980円
装丁/鈴木成一デザイン室

平井美帆
●ひらい・みほ 1971年大阪府吹田市生まれ。高校卒業と同時に南カリフォルニア大学に入学、舞台芸術と国際関係学を学ぶ。卒業後は一時東京で演劇活動に携わるも97年に再び渡米、執筆活動を開始する。2002年から東京に拠点を移す。著書に『中国残留孤児 70年の孤独』『獄に消えた狂気 滋賀・長浜「2園児」刺殺事件』『イレーナ・センドラー ホロコーストの子ども達の母』『あなたの子宮を貸してください』など。本書で第19回開高健ノンフィクション賞を受賞。

物事の決定権は男性にあり、構造的に女性の発言は世の中で認められにくい

 戦後の闇はまだまだ深い。そんな事実の重さを突き付けられる『ソ連兵へ差し出された娘たち』が生まれたのは、著者が「乙女の碑」と呼ばれる詩に出会ったのがきっかけだった。その中に、次のような一節がある。
〈ベニヤ板でかこまれた元本部の/一部屋は悲しい部屋であった/泣いてもさけんでも誰も助けてくれない/お母さん/\の声が聞こえる〉
 詩を遺したのは、ソ連兵への「接待」の犠牲になった1人の女性だ。6年前に91歳でこの世を去ってしまったが、その数か月後に著者は、彼女の友人から詩を手渡された。
「読んだ時に衝撃が強すぎて。別室に女の子を閉じ込めたまま、大人たちは助けなかった。その情景が目に浮かぶようでした。知ってしまった以上、世に出さなければという使命感が芽生えました」

 託された思い――。
 本書の舞台は、1945年8月9日のソ連参戦で崩壊した「満州国」である。日本への引揚船が出るまで現地にとどまった女性たちは、一方的に性暴力の被害を受けた。その闇に迫ったノンフィクションで、昨年、第19回開高健ノンフィクション賞を受賞した。
「黒川開拓団」という共同体の身の安全と引き替えに、ソ連兵への「接待」に差し出されたのは、当時17歳から20代前半の未婚女性約15人だった。戦後70年が経過し、残り3人となった「生き証人」の肉声を、著者は丹念に拾っていく。
 そのうちの1人、玲子さんへの取材はいつも、人目につかない場所だった。
「会うのは自宅以外の場所なのですが、店に入るのも嫌だというので、バス停の椅子に座って話を聞きました。玲子さんは、それほどまでに家族に知られたくないのです。子供たちからしたら、『お母さんが犯された』ってとても辛い話じゃないですか? 玲子さんも、子供が知ったら傷つくだろうと、申し訳ない気持ちを抱えています。でも彼女は何も悪くない」
 入れ替わるようにやって来るソ連兵に、女漁りや略奪を繰り返される。ところが取材を重ねるうち、開拓団の幹部側も、「接待」に出す女性を理不尽に選別していた事実が明らかになる。
 著者が取材を始めて9か月後、週刊誌に寄稿した。ちょうど、韓国の慰安婦問題が日本のメディアに取り沙汰された時期と重なった。
「慰安婦の話題が政治問題化していたので、戦時中のレイプ被害を書いた時に、どんな反応になるか未知数でした。たとえば『虚偽の事実だ』と難癖をつけられるかもしれない。自分が批判されるのは構いませんが、当事者だけは傷つけたくないという思いでした」
 掲載誌が発売されてから約8か月後、全国のメディアから、当事者たちへの後追い取材が始まった。しかし、その報道内容に著者は失望する。
「物足りなさを感じたんです。上辺の事実を並べただけで終わっている。彼女たちは自主的に『接待』に応じたのではなく、団長や団幹部が行かせた。その点を曖昧にし、行かせたのは『仕方がなかった』的な論調に感じました。私と同じ気持ちの当事者もいましたし、これは的確にまとめなければならないと」
 最初に事実を掘り起こした書き手としての矜持が、新たな使命感につながった。

目の前で「悪かった」と言って欲しかった

 約600人の開拓団の命を救うため、人身御供となった女性たち。死ぬ思いで満州から引き揚げたが、日本に帰国後も「仕打ち」は続いた。故郷では周囲からお荷物扱いされ、職探しは難航し、結婚の話になると〈処女をもらうでの〉と侮辱の言葉を浴びせられた。
「今でもおばあさんは自分を『汚いもの』とみてしまうところがあります。それは違うと知りつつ、たとえば自分が同じ被害に遭ったら、いくら周りが『そんなことない』と声を掛けてくれても、心に消えないものってあると思うんです」
 接待に行かせた団幹部側の遺族会から、女性たちへの直接的な謝罪はなかった。あるのはメディアを前にした公式謝罪だけだ。
「社会に対する謝罪も必要だとは思いますが、本人に対する態度が異なっていたら、謝られた気がしないですよね。彼女たちが生きていた時に『苦労をかけたね』とか一言でもあれば、彼女たちもこんなにもやもやしていなかったと思います。目の前で『悪かった』と言って欲しかった」
 本書を執筆する上で、とりわけ著者が悩んだのが、玲子さんたちが男性から「減るもんじゃないから」という言葉を浴びせられた体験の扱い方だ。
「私にも同じ体験がありました。でも玲子さんは90代。生まれも育ちも、教育も全然違うのに、同じところで憤りを感じていた。その気持ちを正直に書いたのですが、男性目線から『必要ないんじゃないか』という意見が結構ありました」
 昨今の日本社会においては「男女平等」への意識や取り組みが高まっているようにみえるが、実は団側が当時から持っていた人権意識やジェンダー観と、根本的にはそれほど変わっていないのではないか。今回の取材で、著者はあらためてその問いにぶち当たった。
「政治の世界でもそうですが、物事の決定権は男性にあります。構造的に女性の発言が世の中で認められにくい。全然変わっていないとは思いませんが、遅いかなと。今までのライター人生では『減るもんじゃない』の部分は削られていましたが、今回は妥協しなかった。それで受賞できたのがすごく嬉しかったです」
 今は亡き「乙女」から託された思い、そして著者の思いが結実した労作である。

●構成/水谷竹秀

(週刊ポスト 2022年2.18/25号より)

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