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【著者インタビュー】藤井青銅『一芸を究めない』/いま必要なのは、冗長で変化にも強い“複線主義”

放送作家としてウッチャンナンチャンやオードリーなど、時代を彩る才能とともに仕事をしながら、脚本家、作家、作詞家等々、複数のキャリアを意図的に築いてきた藤井青銅氏。日本ではとかく“一芸を究める”ことが美徳とされますが、人には「逃げ場や寄り道」も必要なのだと藤井氏は語ります。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

時代を彩る才能と仕事をしてきた現役ベテラン放送作家による心に効く絶品ビジネスエッセイ!

一芸を究めない

春陽堂書店 
1650円
装丁/平岡和之(ビーワークス) 
装画/板井亜沙美(ビーワークス)

藤井青銅

●ふじい・せいどう/1955年下関市生まれ。79年に第1回「星新一ショートショートコンテスト」に入賞。以来、作家、脚本家、放送作家として活動し、『夜のドラマハウス』等で数百本ものラジオドラマを執筆。『オールナイトニッポン』など数々の人気番組の構成や腹話術師・いっこく堂の脚本演出を手がけ(デビュー当時)、現在も柳家花緑との47都道府県新作落語プロジェクト「d47落語会」が進行中。著書に『死人にシナチク』『一千一ギガ物語』等。176㌢、64㌔、O型。

目の前がパッと開けて光が差す。そういう知的発見を伴う「面白い」を私は書きたい

 兼業や副業が今のように奨励される遥か以前から、作家に脚本家、放送作家に作詞家等々、幅広いキャリアを「意図的に」築いてきたという、藤井青銅氏(66)。
 その言い得て妙な最新刊『一芸を究めない』でも、まず前書きがふるっている。少し長くなるが引用しよう。
〈昔から、日本には「過剰な純粋主義」があると思っている。それが精神主義・根性主義と合わさり、同調圧力に囲まれると、「一芸を究めろ」に縛られて人は息苦しくなる〉〈私はこれを「単線主義」と呼んでいる〉〈日本は、富国強兵の単線主義で急速な近代化に成功した〉〈しかし、アクシデントや大きな環境の変化に弱いのだ。壁にぶち当たった時、それを回避する行為は「逃げ・邪道」とみなされる。その呪縛で、変化に対応できないまま突然ポキッと折れる〉〈人も組織も、そしてこの国も〉―。
 よって一見効率は悪いが、冗長で変化にも強い〈複線主義〉が今こそ必要だと、 40年来の実践者・藤井氏は書く。曰く人には「逃げ場や寄り道」も必要なのだと。

 連載中の表題は『この話、したかな?』だったとか。
「WEBに毎週、今の話や昔の話を特にテーマも決めずに書いていたんです。それを本にする段になって、今の世の中、売れてるのは実用書か自己啓発本だってことに気づいたんですね。それでビジネス書のふり、、をしたらどうかと提案したら、面白い、それだと版元が意外にノッてくれて(笑)。
 ただし一芸を究めないという言葉自体は私の40年来のポリシーですし、いつか使おうと温めてはいたんです。それがここ数年はコロナ禍もあって、何でもやらないと生きていけない流れに、時代の方がなってきた。
 別に160㌔の剛速球を投げられる人はいいんです、一芸でも。でもそうでない人は変化球を覚えたりして打ち取るしかない。つまり大事なのは打ち取ることで、速球を投げることじゃない。私があえて仕事を散らしてきたのも力がないからで、脚本でも何でもやることで、書く仕事を続けていけたらなあと思うからなんです」
 藤井氏はそのキャリアを第1回「星新一ショートショートコンテスト」入賞で始めるのだが、この〈入賞賞品が凄かった〉。男女各5名の入賞者と星氏でカイロ~パリ~ウィーン~ロンドンを11日間周遊。食事やお酒を共にし、その縁は帰国後も続いたという。
「誰に話しても驚かれます、あり得ないって。それこそ宿も食事も星さんクラスなんですから。次回から普通の賞に戻ったくらい最高の経験でしたし、夜は夜で『ちょっと飲みませんか』と言ってお部屋に伺ったり、その中で訊いた〈星新一の教え〉は、今でも私の大事な財産です。
 そんなわけで私の場合は、一生かけても超えられないショートショートの神様に23歳で触れさせてもらい、ドラマはドラマでまた凄い人たちがいたんですよ。これはニッチな複線主義で生き残るしかないなあと、逆に腹が据わりました。
 ちなみに一芸は究めても究めなくても本人の自由で、強要さえされなければいい。根性論が苦手でずっと避けてきた私は、そこを強要したがる人ほど残念な方が多いような気がします(笑)」

本人も忘れた話に実は意味がある

 ビジネス書の体裁を借り、「新人」「人脈」「リスク」など全6章から成る本書は、1話1話の完成度が見事。
〈「くだらない」と「おもしろい」の差は紙一重〉〈「くだらない」と「つまらない」の差も紙一重〉〈では、いったいどっちにはさまっている紙が薄いのか?〉等々、時に落語のサゲを思わせる。
「私は結局、面白いことが好きで、物事を真っ直ぐに見られないんですよね。
 例えば歴史を扱う場合も、勿体ぶるのが大嫌いなんで、ちょっと変なものを書く。そうでないと頼む人も私に頼んだ意味がありませんから。落語『黄金餅』の見せ場で道中付けってあるでしょ? あれは、下谷の山崎町から麻布絶口釜無村木蓮寺まで延々と経由地を羅列して、志ん生だと『私もくたびれた』で締めるんですけど、私は私でペリーが浦賀に来るまでの経路を『東海岸のノーフォークを出まして』と延々書くわけです。根がパロディ好きなもので。
 すると編集者は『わかりにくい』と当然文句を言う。でも落語好きなら、これは志ん生の道中付けだなって、大半の人がピンとくるし、別にわからなくてもいいと思うんです。むしろわからなくて違和感のあるものが後々『あ、そうか!』ってわかるための爆弾を数多く置いとく方がいいと思うし、面が白くなるってそういうことでしょう? 僕も昨年、蛋白質の蛋は皮蛋の蛋で、蛋は卵かって、長年の謎が解けた思いがしたんです。目の前の視界がパッと開けて光が差す。そういう知的発見を伴う面白いが、私の書きたい面白いなんです」
『東洋一の本』や『「日本の伝統」の正体』など、「私の本は面白いのになぜか売れなくて」と苦笑するが、その面白さがわかる人にはわかり、中でも故・大瀧詠一氏はよくメールで感想を寄せてくれたという。
「大瀧さんもパロディ好きのオマージュ好きだからか、私の仕事を気に入ってくれて。むろん私は彼のお笑い人脈の末席にいただけですが、大瀧さんのように神格化されがちなレジェンドの、こういう面もあるよねとか、加山雄三さんの〈真のアンコール〉の話とか、まさに『この話、したかな?』の集合体ですね、この本は」
 人にはいろんな面がある。だから決めつけないし決めつけられたくもないという、絶妙なバランスの下に披露される逸話たちは、著者が最初期に手がけた伊藤蘭、松田聖子、沢田研二らスターの看板番組や、伊集院光、ウッチャンナンチャン、オードリー等々、今や人気者となった彼らに〈栴檀は双葉より芳し〉を嗅ぎ取った頃の話。腹話術師・いっこく堂の凄さや、あの横山やすしに『セーラー服と機関銃』の替え歌を歌わせたドラマの話まで、氏の主戦場がラジオだけに、近さや温もりを感じさせる。
「新人時代の聖子ちゃんの久留米弁が抜けず、プリンと発音できなかった話とか、陶磁器の本場・瀬戸出身の瀬戸朝香ちゃんが実家を出て、スヌーピーのマグカップを初めて買った時の話とか、本人も忘れているような話に、実は意味がある気がするんです。私も憶えようと意識して憶えてるわけじゃない。でも事実はどうあれ、その時そう聞いた私の中では、真実、、なんです」
 そうやって各々は小さな断片を集め、時代なり人なりを複眼的に語れるフラットさも、複線主義の美点の1つだ。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2022年7.1号より)

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