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【著者インタビュー】寺地はるな『カレーの時間』/カレーを囲む時間だけ、孫と心を通わせる祖父の秘密

レトルトカレーを日本で何番目かに発売した会社の営業マンだった83歳の祖父と、その三女の息子で、祖父の同居人に指名された25歳の主人公。価値観の違うふたりでしたが、カレーを囲む時間だけは心が通い合って……。読めばじんわりと心が熱くなる長編小説!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

終戦後と現在、ふたつの時代を繋いだのは「カレー」だった―心がじわっと熱くなる長編小説

カレーの時間

実業之日本社 
1760円
装丁/成見紀子 
写真/山本まりこ

寺地はるな

●てらち・はるな 1977年佐賀県唐津市生まれ。31歳の時、結婚を機に大阪へ。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。21年『水を縫う』で第9回河合隼雄物語賞。20年度咲くやこの花賞。著書は他に『今日のハチミツ、あしたの私』『架空の犬と噓をつく猫』『大人は泣かないと思っていた』『タイムマシンに乗れないぼくたち』等。「私自身は自分で納得ゆくものは食べたいけれど、別に有名店でなくてもいいし、行列にも並びません」。153㌢、A型。

人の価値観は時代や文化の影響が大きく過去を語っても完全には分かりあえない

 粉物の街・大阪はその実、結構なカレーの街でもある。
「そうなんです。スパイスカレーが独自の進化を遂げていたり、ハウス食品や大塚食品の本社があったり、この小説にはピッタリでした」
 大阪に住んで14年、寺地はるな著『カレーの時間』である。レトルトカレーを日本で何番目かに発売した〈ピース食品〉の営業マンだった祖父、〈小山田義景〉83歳と、その三女の息子で、祖父の同居人に指名された主人公、〈佐野桐矢〉25歳。世代も価値観も違う2人がカレーを囲む時間だけは心を通わせる、嘘まやかしの一切ない光景を、寺地氏は些末な会話やユーモアや毒の積み重ねの中に丁寧に描出してゆく。
 帯に〈僕の祖父には、秘密があった〉とあるが、その秘密が家族に100%明かされることは最後までない。人とは、人知れない過去や傷を抱え、答え合わせもないまま死んでいく、ネタバレし得ない生き物らしい。

「元々は『大阪の話を』というお題と、〈『男らしさ』が美徳だった時代はもう終わりました〉という台詞が頭にあっただけでした。そこから、何もかもが対照的な祖父と孫が、わかり合えなくても共鳴できる瞬間があるといいねという話を編集者として。それなら食べる時だよなということで、みんなが好きであろうカレーの小説になりました(笑)」
 桐矢視点の現在と交互に語られる義景の生い立ちは、自身の父とも重なるという。
「昭和12年生まれの父からよく聞かされたのが、常にお腹が空いていた話で、お前は飢えを知らないからとかいう理由で、私のご飯まで抜きたがるんです(笑)。何かこう、食への執着というか、違う感覚があるんだなあとは思っていました」
 戦後まもない頃、空腹のあまり橋の下に住む流れ者の雑嚢を狙い、逆に缶詰を分け与えられた当時10歳の義景が、〈こんどはお前が腹を空かした子どもに飯を食わせてやれ〉と、男と約束を交わす冒頭の場面がいい。
 義景はその約束に一生をかけて報いたともいえるが、三人の娘と女孫たち、そして唯一の男孫・桐矢も、そんな事情は知る由もない。
 娘が生まれる度に〈また女か〉と失望し、心臓病で一人暮らしが難しくなった今なお、〈女は月経があるから機嫌がコロコロ変わりよる〉〈女と暮らすのはこりごりや〉と暴言を吐く祖父を桐矢はそもそも避けてきた。その祖父に〈桐矢とやったら一緒に住んでもええ〉と言われ、生贄にされた彼は、〈なぜ既存の男らしさとやらを踏襲しなければならないんでしょうか〉と考える今時の20代だ。潔癖で優柔不断で失敗を過剰に恐れる一方、性差やルッキズムの問題には柔軟でフラットな考えを持ち、〈男同士だから。そんな理由で通じ合えるなら、戦争なんか起こらない〉とは、まさに至言だろう。
「私は桐矢を軟弱どころか、むしろしっかりした考えの持ち主として描いていて、自分が20代の頃に比べたら、よほど物を考えてますよね。
 そもそも高度成長の只中を生きた義景と令和を生きる桐矢の違いは時代性も大きくて、人間はその価値観を自ら選び取ったというより、時代や文化の影響で自然とそうなったという方が正確だと思う。仮に過去を全て語ったとしても完全にわかり合えるはずもなく、でも人と人ってそういうものだしな、という感じです」

過剰に劇的には描きたくない

 実は桐矢の母が9歳の時、一家は今の家に越し、祖母だけがついてこなかった。その理由を母たちは〈お父さん、あの頃、よその女の人とつきあっとったんやで〉と言い、祖父には祖父で娘に言えない話もあった。
 そんな中、桐矢は離婚して4歳の息子がいる〈葉月さん〉に恋をしたり、勤め先のカルチャー教室で館長に食って掛かったりしながら日々を過ごす。手芸教室の男性やシステマ教室の70代女性〈北野丸さん〉を珍獣扱いする館長に彼は思う。
〈多数派が少数派に「めずらしい存在」というラベルを貼れば、他の人もやっぱり「そうか、こいつはめずらしいものとして扱っていいんだ」と思ってしまう〉〈そいつは良くねえ、許しちゃいけねえ〉と。
「彼は館長の言動を、、、正したかっただけなんですよね。セクハラで偉い人が辞めたりする時も『ざまあみろ』なんて誰も思っていないし、どうするのが一番いいのか、みんなが困っていると思う。
 この館長や祖父の年代はジェンダーとかルッキズムとか言うと、自分が責められていると思うらしい。でもそれは違う。みんななんです。みんなが変化の途中にいて、しかも正解はまだない以上、意固地にならず、わからないことを少しずつ変えていけたらいいなと」
 何事も「男は」「女は」で考える義景ではあるが、ようやく得た家族に対する思いの強さや、桐矢に〈食え〉〈強うなれ〉と言って古巣のレトルトカレーの、しかも〈甘口〉ばかり買ってくる時の心情は、世代も時代も問わないと寺地氏は言う。
「強くなれは男も女もなく、年長者が年少者に抱く共通の願いだと思うんです。その強さの解釈は違っても。
 そもそも私はこうすれば感動的、、、、、、、、という展開を避ける癖があって、例えば人間関係や人の死に関しても過剰に劇的には描きたくない。実際は会話もなかったりするのに、最後にわかりあえるのが理想だとフィクションで形を作ってしまうと、現実が苦しくなると思うんです。私はそうできなかったな、とか。それって哀しすぎますから」
 リアルといっては事足りないほど、そうとしか言いようのない人々のあり様や手触りは、読んでしか得られないもの。ぜひ一読を。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2022年7.8/15号より)

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