本との偶然の出会いをWEB上でも

【著者インタビュー】小川 哲『地図と拳』/短命に帰した満洲国の歴史に、人工都市の虚像を上書きする大胆不敵な試み

中国東北部に桃源郷があると聞いて様々な思惑を抱えてやってきた人々と、その架空の町の50年史を描く巨篇! SF界注目の新星に、執筆の背景を訊きました。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

満洲のある都市で繰り広げられる知略と殺戮 都市の出現と消滅を描くエンターテインメント巨篇

地図と拳

集英社 
2420円
装丁/川名 潤

小川 哲

●おがわ・さとし 1986年千葉県生まれ。東京大学教養学部卒。同大学院総合文化研究科博士課程退学。専攻は表象文化論で、数学者アラン・チューリングを研究。「数学も基礎論まで行くと哲学っぽくなるんで」。同2年在籍中の2015年に『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。17年の『ゲームの王国』で第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞を受賞した他、前作『噓と正典』も国内外で注目される。183㌢、71㌔、O型。

正しいと信じた振る舞いがあらぬ方向に反転するのが歴史の面白さ、怖さだと思う

 直木賞候補作にもなった『噓と正典』以来、約3年ぶりとなる、小川哲氏の待望の最新長編『地図と拳』 。中国東北部は奉天の東に、川に蜜が流れ、〈燃える土〉に富む桃源郷があると聞き、様々な思惑を抱えてやってきた人々と、その〈李家鎮リージヤジエン〉と呼ばれる架空の町の50年史を、SF界注目の新星は、現実の満洲史の行間を縫うように現出させてしまう。
「位置的には、撫順あたりですね。炭鉱も有名ですし」
 各章には〈一八九九年、夏〉から〈一九五五年、春〉まで西暦と季節が記され、日露戦争前夜から満洲国の消滅及び日本の敗戦までが、茶商人に扮した軍部の密偵〈高木〉や、後に李家鎮の都市計画に係わることになる〈須野明男〉ら、複数の視点で語られてゆく。
 ただでさえ短命に帰した満洲国の歴史に、さらなる人工都市の虚像を上書きするこの大胆不敵な試みは、マルケス『百年の孤独』をイメージしてのものだとか。
 つまり主人公は高木でも明男でもなく、地図もない土地に忽然と出現した都市、李家鎮そのものなのだと。

「元々は地図というより、都市や建築の話を書くつもりだったんです。編集者と話していて、かつて多くの都市計画を率いていた高山英華という建築家が題材としておもしろいんじゃないかと。東大蹴球部出身で、戦後は駒沢公園などを手がけた彼は、満洲で着手し、結果的には頓挫した、大同都邑計画というものを実際に立案しているんです。
 そもそも満洲の町は、20世紀初頭から第二次大戦の間に急速に発展した町ばかりですし、この幻の都市計画を参考に架空の都市をフィクションとして作れば、その象徴にもなるだろうと。
 タイトルは連載が始まる際に何案か考えて『地図と拳』にしたんですけど、地図に関しては正直、その時点では何の知識もありませんでした(笑)」
 実は〈教えるんだ〉〈地平線の先にも世界が存在していることを〉などといった地図の本質に触れる文言も、本書のために、、、、、、学び、蓄えた知識の賜物。巻末に夥しい数の参考文献を載せる著者は、建築や満洲に関しても「全くの素人」を自称する。
「これは『ゲームの王国』で内戦時代のカンボジアを書いた時に感じたんですが、何も知らないことを調べて書く方が、知らない人の視点で書けますし、濃度の高いエンタメになる。もちろん、メチャクチャ大変なんですけどね。
 でも大変なのは僕だけで済みますし、勉強する中でこれはと思うことをうまくフィクション化できれば、仮に小説はつまんなくても、読者の知識や考える材料にはなる。最悪、時間のムダにはならないなって(笑)」
 と、当人は謙遜するが、松花江スンガリーの船上ではあらゆるものが腐った。水が腐り、饅頭マントウが腐り、人間が腐った〉という序章の書き出しなど、読むことそのものの歓びに充ちた600頁超の大作だ。
 いずれ日露がぶつかれば戦場となるだろう満洲を、1899年夏、高木は船で偵察に訪れ、通訳の〈細川〉共々、燃える土の噂をワンという同乗の男に聞いた。
 その2年後。〈黄ロシア構想〉と称した入植と鉄道網拡大を目論む大臣らから、布教による心の版図拡大をも託された神父兼測量士の〈クラスニコフ〉は、彼ら西洋人を敵視する義和団や〈神拳会〉の拳匪に追われ、命の危険にさらされていた。神拳会は千里眼をもつ李家鎮のドン、李大綱リーダーガンの道場だが、彼もまた町を焼き、暴徒化する義和団に協力を拒み、幽閉されていた。
 その李大綱と、李家鎮がまだ不毛の地だった時代を知るクラスニコフの因縁。訓練の末に死なない体、、、、、を手にした孫悟空ソンウーコンを名乗る男や、地図の中の〈存在しない島〉の謎に取り憑かれた男など、1つ1つは小さな野心や祈りが地図を描かせ、拳、つまり暴力や戦争をも招き寄せていく。

フィクションも一種の反戦活動

 本書には1905年冬、日露戦の戦場に立つ高木の〈一種の超越〉も描かれ、戦争は本書に限らず自身の外せないテーマだという。
「要するに何がどうなると戦争になるのか、僕自身が答えを知りたいんです。戦争する意味を、僕は感じたことがないし、無論したくもない。戦争したがる国家や国民や現場の兵士も含めて、どんな心の動きから人々は戦争に向かってしまうのか、その原点を単純に知りたい。でないと、自分もいつそうなってもおかしくないと思うので。
 特に僕のように親が戦争を知らない世代も多い今は、それをフィクションで体験するのも一種の反戦活動になると思う。一方で、神拳会の修行などはエンタメに徹して楽しんで書きました。ウソ理論に基づく特訓話の類は、大好物でして(笑)」
〈過去と未来は、別の概念ではなく、同じ大地の中にある〉とあるが、さらな大地に線を引き、まだ見ぬ世界に思いを馳せることは、私たちの心を躍らせる一方、覇権的な征服欲をも生む。その両面に著者は目配せし、地図と拳の裏腹な業について、持てる知識や想像力を総動員し、物語化するのだ。
「地図や満洲の専門家でもない僕は、あくまで小説を通じて考えたり考えさせることしかできないわけです。人によっては善かれと思い、正しいと信じた振る舞いが、ドミノのようにあらぬ方向へも反転するのが、歴史の面白さでも怖さでもある。あの時は軍が暴走したから、とかではなく、もっと人や社会の根本に関わる構造に、僕の知的興味はあるので」
 細部まで周到につかれた大ウソを、どんな距離感で楽しむかは読者次第。が、そこで起きることの多くは、私たちの今と地続きにある。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2022年8.5/12号より)

記事一覧
△ 【著者インタビュー】小川 哲『地図と拳』/短命に帰した満洲国の歴史に、人工都市の虚像を上書きする大胆不敵な試み | P+D MAGAZINE TOPへ