宮部みゆき『子宝船 きたきた捕物帖(二)』/江戸・深川で「聞く力」と「さばく力」を獲得し、成長する岡っ引きの物語
小物入れに重宝される文庫を作りながら岡っ引きの修行に励む「北一」と、身軽で度胸が良く謎めいた若者「喜多次」。二人の「きた」が江戸深川を舞台に事件を解決する、人気シリーズ第2弾!
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
関川夏央【作家】
子宝船 きたきた捕物帖(二)
宮部みゆき 著
PHP研究所
1760円
装丁/こやまたかこ
江戸深川を舞台にした二人の「きた」の成長物語
『きたきた捕物帖』の最初の「きた」は
収入の保証がない岡っ引きは、みな正業を持つ。死んだ親分の正業は「文庫」作りだった。
「文庫」とは、季節の彩色絵で飾り、内側を細木で補強した厚めの紙箱だ。本来は暦や読本の入れ物で、現代の「文庫判の本」はここからきているのだが、小物入れにも重宝される。
その「文庫」の振り売り専門だった北一は、あらたに出会った絵師らと工房を構え、独立することに決めた。痩せて小柄で毛の薄い北一だが、協力者が湧き出て来るのは素直な性格と勘働きのよさゆえだろう。
もう一人の「きた」は
「捕物帖」と題してあるが、派手な捕物は出てこない。ときに親分の全盲の後家さんの観察力や、喜多次の身体能力を借りて事件解決の糸口を見つける北一だが、岡っ引きの仕事の大部分は、トラブった両者の言い分を「よく聞いて丸め」「落としどころ」を探る調停なのだ。
必要なのは「聞く力」と「さばく力」で、そのための経験と評判がまるで不足している北一が、深川の町を歩き回りながらそれを獲得し、成長する小説である。また前作『桜ほうさら』の関係者も登場人物になることを思えば、深川そのものが主人公のコミュニティ小説ともいえる。
十九世紀前半の世界最大の都市、産業革命と植民地と海上戦力以外は何でもあった江戸が、この物語から三十年もしないうちに「近代化」せざるを得なかったとはいかにも残念。読者にそう思わせるのは、この軽快な小説の説得力である。
(週刊ポスト 2022年9.2号より)

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