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『小倉昌男 祈りと経営 ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』

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史上初の快挙!選考委員全員が満点をつけた

小学館ノンフィクション大賞受賞作

『小倉昌男 祈りと経営 ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』

小倉昌男

小学館 1600円+税

装丁/岡 孝治

森 健

※著者_森健

●もり・けん 1968年東京生まれ。早稲田大学法学部在学中からライターとして活躍。12年、『「つなみ」の子どもたち』『つなみ 被災地のこども80人の作文集』で第43回大宅壮一ノンフィクション賞、昨年、本作で第22回小学館ノンフィクション大賞を史上初の満票で受賞。著書は他に『人体改造の世紀』『グーグル・アマゾン化する社会』『就活って何だ』『ビッグデータ社会の希望と憂鬱』『反動世代 日本の政治を取り戻す』等。172.5㌢、67㌔、AB型。

結果的に墓を暴くことになった僕を

小倉昌男は恨んでいるかもしれない

〈宅急便の父〉ことヤマト運輸の2代目社長・小倉昌男は、〈人の親〉でもあった。

森健氏の第22回小学館ノンフィクション大賞受賞作『小倉昌男 祈りと経営』では、この伝説的経営者の私生活や家庭での横顔に、あえて紙幅の大半を割く。

05年、享年80で逝去した小倉に関しては自著・評伝共に多数刊行され、〈論理と正義の人〉として知られる。だが生前の小倉に取材した経験もある森氏は、晩年「ヤマト福祉財団」の障害者支援事業に時価46億もの私財を投じ、末期癌の闘病中にわざわざ渡米してまでロスの長女宅で最期を迎えた小倉に、どこか唐突さを拭いきれなかったという。

そのを解くカギは彼の家庭にあった。娘の反発、妻の死等々、しかし〈どんな家にも問題はある〉―。

「98年に航空自由化に関して取材した時の小倉さんは、新規参入組と既存大手の格差を論理的かつ、意外にボソボソと批判する清廉な方でした。夫人の死後、彼女の郷里に1億円もの寄付をしたのも、いかにも愛妻家らしいと言う人は多い。ただ、今ならビル・ゲイツが財団を作っても驚きませんが、ヤマト財団の設立は93年です。なぜ子供に残さずに財団なのかという素朴な疑問をもち、財団や福祉関係者から取材を始めたら、いつのまにか家族の話になっていたんです」

小倉は福祉の現場に経営感覚を持ち込み、98年にはリトルマーメイド等を全国展開するタカキベーカリーの協力を得て、同社のパン生地を仕入れて店先で焼くスワンベーカリー1号店を銀座にオープン。〈障害者の月給を一万円から十万円〉に上げることを目標に掲げ、見事達成した。また、91年に亡くなった玲子夫人がマザー・テレサに憧れていたことや、自身もカトリックに改宗したことなどは自著などに書いている。しかし、なぜ障害者なのかについては、はっきりした動機はありませんと言葉を濁し、語ることはなかった。

森氏はまず財団関係者ら、小倉と親しかった人々から取材を進める。当初警戒していた彼らが、「君なら話していいか」と、女性関係なども小出しに匂わせたりする信頼関係の変遷も面白い。

そうして名探偵よろしく証言を予断なく積み上げていく森氏に、ある人は、夫人の死に際してなぜ小倉があれほど泣き崩れ、口を閉ざしたのか、今もわからないと言ってこう続けた。

〈その語らなかったところに、小倉さんの本当の思いがあったのかもしれません〉

「人にはいろんな面があって当然ですが、小倉さんのはなぜ隠したかに尽きる。彼には、家族に関して誰にも相談ひとつせずに墓まで抱えて行こうとした秘密があった。結果的に墓を暴くことになった僕を恨んでいるかもしれません。ただこうして本にできたのは、周囲の思い、娘の真理さんや弟の康嗣さんの理解があったからで、何より小倉さんが愛されているからです」 最期まで苦しさを見せなかった  前身の大和運輸は京橋で〈挽き八百屋〉を営んでいた父・康臣が自動車時代の到来に着目し、1919年に創業。官立東京高等学校、東京帝大経済学部へと進み、学徒出陣を経て48年に入社した昌男はその間、結核で4年の入院生活を強いられるが、幸い取引先の進駐軍から薬を入手できたおかげで奇蹟的に生還を果たす。

56年には聖心女子大を卒業した後、教職にあった玲子と見合いで結婚。71年には社長に就任し、76年に民間初の宅配事業を立ち上げる。官庁相手に訴訟も辞さない〈規制緩和の闘士〉と恐れられ、公私共に一見充実したこの頃、彼は妻の影響で始めた俳句に人知れず苦悩を綴っていた。

国に訴訟を挑むような強気の人物が妻と娘のいる家に帰ると一転して小さくなる。〈無力〉な父親の姿は人間臭く、意外でもある。

「小倉さんに限らず、女同士の揉め事に割って入れる男なんてそうはいません。ただ小倉家ではそれが単なる揉め事じゃない理由があった。家族の苦しみをわかっていながら何もできなかった小倉さんは一種の贖罪として財団を立ち上げたかに見える。事実関係を積み上げていくと、彼の行為には社会や障害者のためというより、もっと個人的な祈りのようなものを感じるし、身内である真理さんたちが賛同してくれた以上、そう思っていいと思うんです」

森氏が集めたピースは、終盤のロス取材でいよいよ像を結ぶ。宝塚出身で、元米軍勤務の夫との間に三女一男がいる長女は、母との諍いや自身の過去についても、全てを語ってくれた。

「長女一家の渡米後、広い家に1人で住んでいた晩年の小倉さんには、実は毎週末を共に過ごす女性がいた。僕はその〈土曜日の女性〉にも会っています。彼は彼女に愛情ももっていたみたいですが、その表現に関しては不器用だったようです。でも僕はそんな相手がいてよかったと思うし、最期に娘夫婦や孫と過ごせた日々が救いになったと思います。今後は財団とは別の形で福祉に関わりたいという真理さんが全て話してくれたのも、自分の経験が誰かの役に立てばと思ってこそで、水面下で必死に足き続ける水鳥のように、最期までその苦しさを見せなかったのが、小倉昌男の凄さだと僕は思います」

名経営者として知られてきた小倉昌男だが、本書はごく普通の家族が経験した、許しと再生の物語と言える。彼らが闘い、また苦しんだものは何だったのか。その正体が既存の評伝とは全く異質な読後感を残す、慟哭必至の小倉昌男伝である。

●構成/橋本紀子

●撮影/国府田利光

(週刊ポスト2016年2・12号より)

 

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