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月刊 本の窓 スポーツエッセイ アスリートの新しいカタチ 第11回 野中生萌

東京五輪で初めて競技種目となるスポーツクライミング。この種目は日本人のメダル獲得が大いに期待されている。4月にスイスで行われたワールドカップ開幕戦で優勝。第一人者である野中選手の強さの秘密と、クライミングの魅力を聞いた。

 
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クライミングは自分で自分を知ることが求められる究極の個人競技。野中いわく、「どの選手もそれぞれ特徴やスタイルがあって、強いところも違う。ある選手の良い部分を見て、そこで自分が劣っているからといって追求すると、自分のスタイルも調子も崩れてしまうリスクがある」。

野中()(ほう)(20歳)
(プロクライマー)

Photograph:Yoshihiro Koike

 
 大人で達観しているようなのだ。成人したばかりの二十歳。垢抜けたファッションは確かな意志が感じられる。「私は私」というメッセージを全身で発しているかのようだ。ついこの前までティーンだったプロクライマーの野中生萌から、あどけなさや初々しさは名残りすら感じられない。なぜだろう。そう思って話すほどに、クライミングという競技の奥深さや彼女の逞しさが詳らかになっていった。二〇二〇年の東京オリンピックで新しく正式種目に採用されたスポーツクライミング。日本は世界から見て今、紛れもない強豪国だ。なかでも、「身体を使ったチェス」とも呼ばれる「ボルダリング」は、他を圧倒する選手層で知られる。昨季も国際大会ボルダリング・ワールドカップでは、日本選手が表彰台を賑わせ、これで日本代表は四年連続で国別ランキング一位。野中は、そのボルダリング強豪国・日本を牽引するエースだ。
 スポーツクライミングは、ホールドと呼ばれる突起物を掴んで人工壁を登る競技。オリンピックでは、三種目の合計で順位を競い合う。まず、身体一つで制限時間内に五メートル以下の壁に設定された複数のコースを、いくつ登り切ったかを競う日本のお家芸「ボルダリング」、身体を繋いだロープを支点にかけていき、制限時間内に十二メートル以上の壁のどこまで登れるか高さを競う「リード」、そしてロープの繫がったハーネスを装着して、十もしくは十五メートルの壁をいかに速く駆け登れるかを競う「スピード」の三種目だ。
 ボルダリングのエース野中は昨季、世界のトップクライマーが集結したチャイナオープンに出場すると、得意のボルダリングで優勝して金メダルを獲得。さらに、オリンピック種目になって練習を本格化させたばかりというリードでも七位、スピードも六位と好成績を残した。
 そして、この四月に、スイスのマイリンゲンで行われた、ボルダリング・ワールドカップの開幕戦では、見事に優勝を遂げた。

ひたすら練習で限界に挑戦!
世界で日本が強い理由とは?

 普段の練習は、週に二回から三回。クライミングジムで五時間ほど、主にボルダリングに取り組みながら、自らの限界に挑戦していく。いかに練習で限界以上に取り組むことができるかが肝になるという。「大会では自分の本当の最大限の力が出ていることはあまりないです。というのも、大会で完登していたなら、それは限界ではないから。だから、練習では登れないところまでやらないと意味がない。五時間のなかでいっぱい課題を見つけて、どんどんトライしていくんです」と野中は何でもないことのように言う。
 海外戦などに常に帯同するような専任コーチはいない。言うなれば友人でもある選手がコーチ代わりで、セッションを行うかたちで客観的視点を補うのだそう。「他の国はどうかわからないですけど、日本ではこうして選手同士で集まって、『ここはこうした方がいい』って意見を出し合いながらやることが多いです」。他人の目を借りることで、徹底的にウィークポイントを洗い出し、ひたすら自分と向き合って限界を超える練習を重ねる。
 そこに甘えはない。練習方法も内容もすべて自分で決めるが、次々と若い世代も育っているだけに、「負けてられないし、逆に休めなくていい」とさらなる向上心をみなぎらせる。そもそも日本が強豪国になれた理由とは。尋ねると、野中は「日本人は個人の意識が高いんだと思います。互いに負けたくないって気持ちで、日本のなかで切磋琢磨して、高め合っていった結果、日本は強くなっていったんだと思うんです」と語る。加えて、コツコツと取り組むことが得意な日本人気質も手伝っているという。「性格的に向いてるのはあると思います。トップ選手は別として、大会で海外の選手を見ていると、思わずカッとなって登れなくなる選手がいるけれど、そういったタイプも日本人ではあまり見ないですから」と証言する。
 東京オリンピックは期待してもいいですか? そう尋ねると、「日本から何人出られるかわからないですけど、出た分、メダルは近くなると思います」と至ってクールな答えが返ってきた。やはり、大人で達観しているのだ。

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「大会の経験は大会でしかできない。あれだけのプレッシャーを普段感じることはないし、集中力もすごく上がる」と野中。結果が良くても自らの登りが良くないこともあるし、結果が悪ければ、その原因がわかるので、すべてが糧。それだけに大会で完登した時は「登らないと見られない」格別な絶景が広がるという。

 

「わからないことが、すごく嫌」
生萌流(?)嫌な時期の乗り越え方

 三人姉妹の末っ子。海に山に、幼い頃からアウトドアを楽しむアクティブな家庭で育った。九歳の時、父が登山に目覚めると、トレーニングを兼ねて、家族みんなでクライミングジムに通い始めた。「家族でクライミングを始めたんですけど、いつの間にかみんな止めていなくなってました」と野中は笑う。父と似て、ハマると夢中になるところがある。それまでは、クラシックバレエや器械体操を習っていたが、「クライミングの方がやりたい!」と専念することに決めた。
 スポーツは何でも好き。器械体操も好きだったが、実はバレエはあまり好きになれなかったという。理由は「立ち位置が覚えられなかったから」。教室のレッスンならまだしも、舞台でどこに立てばいいかわからなくなるのが「恐怖だった」と明かす。「私、小さい時から、わからないことがすごく嫌だったんです」と自己分析する。だから、全貌が見えているクライミングが好きなのかもしれない。自らチェスか詰め将棋のようにコースを俯瞰しながら〝解いていく〟ボルダリングはその最たるものだ。
 やるとなったらとことん。十三歳でJOCジュニアオリンピックカップ優勝を果たすと、中学生からツアーで世界を回り、高校生でワールドカップに参戦。数々の世界大会で目覚ましい活躍をしていく。そのうち海外遠征のために学校に通うことが難しくなると、自立した野中は通信制で高校を卒業することを決意。そうして学業との両立を実現させ、きっちり高校を卒業すると、ますますクライミングの成績を伸ばしていった。こうして長らく世界を転戦する生活を続けている野中だが、今も、「初めての所は、わからないから嫌。ある程度調べてから行きます」という。「スマホがあるから便利ですけど、ググってたどり着けない時とか、めっちゃ嫌です」と、少しだけ今時の若者のような横顔を見せる。
 クライミング自体を嫌になったことはないという。十一年続けてきて、楽しくない、ジムに行きたくないという時期は確かにあった。それでも、ジムには行き続けて、登った。「登ることを止めることはできない」と野中は言う。「良くない期間とはいえ、自分が今後クライミングを続けていくのは変わらないことだから。大会で成績が出ないとか、練習がつまらないとか、いろいろあるんですけど、結局はその時の心境だけのこと。基本的に『クライミングが楽しい』っていうのは変わらないし、それが原動力だから」。十代にして、気持ちのアップダウンすら俯瞰していたことに驚きを隠せない。そう返すと、「たぶんクライミングのおかげです。子どものころから『よくその年でそんなふうに考えられるね』って言われてきましたが、自分でどう登って、どう行ったら良いかを常に考えてきて、(何事にも俯瞰することが)身についたんだと思います」

最強の私へ
人工壁と岩場の違いを凌駕する

 クライミング競技は、一九四〇年代後半から一九八〇年代に、当時のソビエト連邦が岩場で「スピード」の大会を開催したのが始まりと言われていて、自然の岩で競い合ったことに端を発する。海外には、有名な外岩スポットもあり、多くのクライマーたちが挑戦している。
 自然に溶け込む岩場のクライミングは、人間の小ささとクライマーの凄さがさらに浮き彫りになる。野中は岩場のクライミングも、人工壁と同じくらい「楽しい」と語る。ただし、「自然の岩と人工壁は、感覚はまったく別物です。やってることは一緒なんですけど、人工壁はホールドが飛び出してる。でも、岩の場合は凹んでいるところを持ったりするので、身体の使い方が全然違うんです」。さらには室内とは違って、気温、湿度、太陽の照り具合、湿っているところ、などすべてが完登の要素となる。常に自然と対話をしながら登るのだという。

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(上)両手にいっぱいのマメ。触らせてもらうと驚くほど堅い。「私、マメが多い方なんです。選手によっては少ない人もいますよ。ホールドの持ち方によって、マメのでき方も違うので」と野中。
(下)成人式にて。黒を基調にした振り袖に合わせて、髪も真っ黒に。豊島区の「成人のつどい」で新成人代表として誓いの言葉を述べた。

〝別物〟だけに練習にも注意が必要なようだ。昨年八月、野中は南アフリカに合宿し、自然の岩で二週間ほどトレーニングを積んだが、その後の大会に向けて人工壁に登ったら、「まったく登れなくなっていた」という。「人工壁はホールドが出てる分、シンプルで強度もすごく高い。だから、単純に引く動きもするし、今流行ってるボルダリングのスタイルもパワーや体力を使ってるんですね。自然の岩は繊細で人工壁はシンプル。そういうことに気づくことができました」と語る。
 一時的に人工壁に登れなくなろうとも、岩場での挑戦は続けたいと言う。理由は、「強いクライマーになりたいから」。野中の言う、強いクライマーとは、「すべてにおいて強くなること」。だから、室内競技で成績を残し、岩場でも結果を残して、海外で名を知らしめたいと言う。「日本では室内競技だけが有名だけど、両方で活躍したい。メンタルも競技も人間性もちゃんとして、どこからどう見ても強い存在になりたい」と言う。

オリンピックは一つの証明
オンリーワンを目指して

 唯一無二の最強の自分になりたい──それは孤独な挑戦だ。でも、だからこそクライミングが面白いとも言う。人のマネをしても決して強くなれないからだ。人はそもそも全員が違うのだからと前置きして、野中は言う。「人によって、身長もリーチも筋力も体力も違う。結局、自分なりにやらないといけない。だから好き」と。最初は誰かのマネから入ることもあるのではと尋ねると、理路整然と野中は答える。「確かにそれはあります。ただ、極めて行く時に、私は〝その人〟じゃ嫌なんです。マネしたその人になりたいわけではなく、自分のスタイルで突き詰めたい。だから、今までに憧れたクライマーも一人もいないんです」
「何でもそうですけど、まず人と同じじゃつまらないっていうのがあります」。そんな野中は一見するとスポーツ選手に見えないほどファッショナブル。長い髪は紫やピンクのハイライトを入れたり、グラデーションカラーにしたりと、見る度にカラフルで華やかだ。「スポーツをする人はみんな黒髪か茶髪で、メイクも薄めで、ジャージを着て……みたいなのは人と同じだから嫌なんです。それに大会の時に、普通に縛るのと編み込みをするのと、色を入れてると入れてないとでは気分も違う。そうやってテンションを高めて大会に出るのは、自分にとって大事なことなんです」と女の子らしい心境を、アスリート然と言う。
 クライミングがダサいと思われたくもなかったという。「クライミングも元は山岳で括られてるから、ちょっとダサい方から入ってはいるんですけど、スノーボードやサーフィンのような新しい競技のイメージなんです」と古いスタイルのイメージを払拭するように言う。「今はスポーツクライミングって呼ばれて、完全にスポーツになってますけど、スポーツって括られ始めた時に、『絶対にその波には乗らないぞ』『もともとは違うんだからな』っていうのはつくっておきたかった」とスタイリッシュなルーツの番人のように熱く語るのだ。
 そして、あくまで目指すのはオンリーワンの自分。ほとんどのスポーツ選手が憧れて〝頂点〟とみなすオリンピックも、それゆえに彼女にとっては最強の自分になるための証明の一つなのだ。何よりも、一生をかけて〝強さ〟を追求することに意義がある。誰にも媚びない、孤高のチャレンジャー。文字どおり、どこまでも高みを目指し、強くなることを誓う二十歳のクライマーは、すでに自分の立ち位置も、何をすべきかもわかっている。後は、最強の自分になるための証明を一つ一つ、重ねていくだけなのだろう。

 

プロフィール

アスリート第11回プロフィール画像
野中生萌
のなか・みほう
プロクライマー。Team au所属。1997年生まれ、身長162cm、体重54kg。東京都豊島区出身。9歳からクライミングを始め、2013年、高校1年生からクライミング・ワールドカップに参戦。2014年のW杯フランス大会で、初表彰台となる2位に輝く。2016年18歳の時、インド大会とドイツ大会で優勝。2018年4月にワールドカップ3勝目をあげる。ボルダリングの年間ワールドカップランキングは、2015年3位、2016年2位、2017年4位。スポーツクライミングが新種目で加わった2020年の東京オリンピックでもメダル獲得が期待される日本クライミング界のエース。
 
松山ようこ/取材・文
まつやま・ようこ
1974年生まれ、兵庫県出身。翻訳者・ライター。スポーツやエンターテインメントの分野でWebコンテンツや字幕制作をはじめ、関連ニュース、書籍、企業資料などを翻訳。2012年からスポーツ専門局J SPORTSでライターとして活動。その他、MLB専門誌『Slugger』、KADOKAWAの本のニュースサイト『ダ・ヴィンチニュース』、フジテレビ運営オンデマンド『ホウドウキョク』などで企画・寄稿。

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