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ビジネス小説の第一人者・楡周平が「ニッポンの大問題」を斬る!! 【馬鹿につけるバカの薬】第2回:このままでは日本語がなくなる!?

つねに時代の先を読み、予測を的中させてきたビジネス小説の旗手・楡周平が、ニッポンの近未来に警鐘を鳴らす! もはや政治家、官僚に任せてはおけない。すべての日本人を覚醒させる一刀両断のノンフィクション。
第2回のテーマは、マスメディアの衰退と、日本語消滅の危機。人口の減少とともに誰も日本語を学ばなくなる?

馬鹿につけるバカの薬 アイキャッチ
 

真っ先に消滅する言葉の産業

 人口減少の恐怖を語る方の多くは内需の縮小、つまり日本経済の衰退を真っ先に上げます。確かに、その通りには違いないのですが、縮小していく市場を指をくわえて眺めている企業など、あろうはずがありません。内需が縮小していけば、海外に活路を求めるに決まっています。
 ですが、それがまず不可能な産業がある。その最たるものが言葉の産業、「日本語を使う産業」です。
 放送、新聞、出版、いわゆるメディアがそれに当たるのですが、日本人の人口減は、真っ先にメディア産業を直撃するはずです。
 人口減少は、特に地方で急速に進んでいますが、民放のテレビ、ラジオの最大の収益源はスポンサー料と広告費です。放送エリアの人口減は、それすなわち消費力の減少を意味します。莫大な費用を投じて番組のスポンサーになるのも、広告を打つのも、費用対効果が得られればこそ。出費を補って余りある収益が上げられなければ意味がありません。
 たとえばテレビの場合、その指標となるのは視聴率ですが、近年ではスポンサーが重視するのは、単なる視聴率の高低ではなく、視聴者の中の年齢構成、つまりコマーシャルがターゲットとする年齢層の視聴率へと変わってきているのです。
 いくら視聴率が高くとも、視聴者の大半が高齢者であれば、化粧品や高級車、教育やゲームのような若い世代から中年層までを主たる購買層とする商品なら、広告を打っても然程の効果は見込めません。
 もちろん、高齢者をターゲットとしている企業は数多(あまた)あるにせよ、スポンサーが限定されるのは間違いないでしょう。
 電通が公表した「2018年 日本の広告費」によると、インターネット広告費は、前年比116.5パーセントの1兆7589億円と5年以上連続で伸びており、地上波テレビ広告費の1兆7848億円に迫る勢いなのですから、このまま地方の人口減が続くなら放送産業は、そう遠くない将来、地方局から事業を縮小せざるを得なくなり、統合の過程で消滅していく局が続出することになるでしょう。
 新聞も同じです。日本には全国紙が5紙、地方紙ともなると数知れず。多くの新聞社があります。しかも、地方ではローカルニュースを詳細に報じる地元紙の購読数が全国紙を上回るところが少なくありません。新聞だってビジネスですから、経営が成り立つのも購読者がいればこそ。販売対象地域の人口が減少すれば、どこかの時点で損益分岐点を割り込み、経営続行が不可能になります。
 出版もそうですね。いくら本や雑誌を出したところで、日本語で生活する人間が減少すれば、いずれ業として成り立たなくなる時を迎えることになるでしょう。
 私がこの世界にデビューしたのは1996(平成3)年のことですが、当時の出版市場の規模は2兆6000億円。この年をピークに、以降年を経るごとに市場は縮小し続け、23年経った2019年の総売上高は1兆3000億円と半減しています。
 出版産業の衰退の原因は若者の活字離れにあるといわれますが、たぶんそれは本当のことです。かつて取材報道がメインだった主要週刊誌にも、もれなく「終活」「病気」「薬」、果ては「性生活」と、毎週高齢者を対象にした記事が掲載されるのは、その証左といえるのですが、なによりも恐ろしいのは、このまま少子化が進めば、教科書を編纂する出版社の経営を窮地に追い込むかもしれないということです。
 いうまでもなく少子化は学齢期を迎える子供の数が減少することを意味します。教科書の出版社だってビジネスです。市場規模が小さくなれば、業として成り立たなくなる時が必ずやって来ます。
 まして、教科書は文部科学省の検定がありますし、パスしたとしてもどれほどの学校が使ってくれるかは分かりません。コストの軽減化を図ろうにも著者、編集者と刊行に携わる人員は一定数が必要ですから限度があります。
 もちろん、移民が産む子供たちが増加すれば、市場規模は維持できる、あるいは拡大するとも考えられなくはありませんが、前述したように同国人がコミュニティを作り、母国語で生活するようになれば日本語を習得する必要性も薄れていく可能性はなきにしもあらず。
 実際、東京には同国人のための学校がいくつも存在します。
 アメリカンスクールはいうに及ばず、中華学校、インディアンスクール、朝鮮学校などはその代表例ですが、特定の国からの移民人口が増加するにつれ、それぞれの国出身者の子弟のための学校が開設されれば、そこで用いられる言語は母国語になるでしょうし、次いで力を入れるのは間違いなく英語になるはずです。
 世界的に見れば、日本語は日本でしか使われないローカル言語です。英語は世界の標準言語といっても過言ではありません。つまり、英語を身につければ、働く国や職業の選択肢が格段に広がるのです。
 結果的に日本語の教科書を必要とするのは、減少する一方の日本人児童だけ。需要が細れば出版会社も業として成り立たなくなる。業として成り立たない仕事に人は集まらない、という悪循環に陥るかもしれないのです。

 

過去の知の蓄積にアクセスできなくなる

 では、従来のマスメディアが業として成り立たなくなった時、どこに情報源を求めたらいいのでしょうか。
 そういうと、すぐに「ネットがあるじゃん」という声が聞こえてきそうですね。
 すでに若い世代を中心として、情報源はネットで十分、分からないことがあれば「ググればいいじゃん」と当然のようにいう若者が増えているのは事実です。マスコミを「マスゴミ」と称し、信頼できないと断じる風潮が蔓延しているのは日本に限ったことではありません。
 確かに、大手メディアの中には偏向報道がやたら目につく媒体もありますし、テレビの情報番組に出て来るコメンテーターにしても、知識や見識に基づかない、思いつきとしか思えないコメントを述べる方が実に多い。メディアなんかいらない、ネットで十分だという声が上がるのも理解できなくもありませんし、高齢者ですら新聞購読を止めてしまう人が増えているのも、おカネの節約が目的だけではないでしょう。
 それでも一次情報源としてのメディアの役割は極めて重要です。
 いま世の中で何が起きているのか。世の中が、どう動こうとしているのか。世界中から刻々と入ってくる情報を整理し、いち早く世に知らしめる機能を持つのは、やはりマスメディアです。それもこれも世界中に張り巡らした情報収集網を持つからこそ初めて可能になるわけで、事実ネット上に流れるニュースにしても、発信源は多くの場合、マスメディアです。
 そしてメディアもまた立派なビジネス。収益が悪化するに従って支局を畳み、人員を整理し、合併しと、生き残りを図るにしても、衰退する産業に人は集まりません。それ以前に情報収集能力が低下し、メディア離れに拍車がかかるのは目に見えています。
 その時、誰が情報を収集し、整理し、伝える役目を果たすことになるのでしょう。
 誰もがスマホを常時携帯している時代です。事件、事故の現場を目撃した人間が、動画と共に発信すれば、とおっしゃるかもしれませんが、ネット上にフェイクニュースが溢れ返る時代に、情報の信憑性を誰が保証するのか。何が真実で、何がガセなのか判断がつかなくなってしまうでしょう。
 それ以上に厄介なのは、海外の情報をどうやって入手するのかということです。
 日本の大手メディアは、自社で海外支局を持ち駐在員、特派員を置き、取材活動を行なっています。同時に海外メディアと提携し、ニュースの配信を受けているわけですが、そこで用いられる言語は様々です。
 各メディアは、それを日本語に翻訳した上で報じているわけですが、メディアの力が弱まった時、誰が海外の情報を翻訳し、世に知らしめる役割を担うことになるのでしょう。
 もちろん、テレビ受像機に限らず、パソコン、スマホを所持していれば受信料を徴収するNHKが、潰れることはありません。国内外の支局も維持できますし、海外の通信社やメディアからの情報を適時日本語で伝えもするでしょう。ですが、報道の一切合切が事実上の国営放送局であるNHKに握られてしまうのは大問題です。
 ならば、個人が海外メディアの媒体にアクセスするしかないのですが、ネイティブ向けに書かれた外国語を、日本語同様に解する能力を持った日本人が果たしてどれほどいるか。
 つい最近も、2020年度からの大学入試への民間の英語検定の導入が中止になった際、「新制度に備えて準備してきたのに」とか、「無駄な時間を費やした」というような受験生や識者と称される方々のコメントを耳にしました。しかし、これは実におかしな話です。英語を学習するのは、英語という言語を習得するのが目的であって、受験のためだろうが民間の試験のためだろうが、英語を学んだことに変わりはないはずです。こんなコメントが何の違和感も抱かれることなく、大手を振ってまかり通るのは、英語が大学受験の必須科目だから。つまり受験に合格するのが目的であって、言語としての英語を身につけるために学んでいるのではないと認めているようなものでしょう。

 

いち早く動き始めている富裕層

「日本人は、中学から高校までと六年間も英語を学び続けているのに、なぜ不得手なのか」と、国の内外から言われ続けてきました。
 そこで文部科学省は、現在小学校5・6年生が行なっている外国語活動を、2020年度から3・4年生が行なうことにし、5・6年生は英語を正式科目として学ぶことを決定しました。つまり、英語を学ぶのは早いに越したことはない。二年前倒しで始めようというわけです。
 確かに外国語を学ぶのは早いに越したことはないのですが、授業を行なうのが日本人なら、まず効果は見込めないと断言しましょう。
 すでに、日本の公立小中高にはALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー)制度の下、英語圏のネイティブスピーカーが派遣されておりますが、彼らの報酬は各自治体が負担することになっているせいもあって、複数校を掛け持ちするために、授業頻度が多くありません。大半は日本人の英語教師が授業を行なっているわけで、授業の大半は日本語で行なわれているはずです。英会話教室に大枚はたいて通い続ける日本人はたくさんいますが、ネイティブスピーカーに教わっても中々上達しないという生徒がたくさんいるのに、1回数十分、週何度かネイティブでもない日本人教師の授業を受けて、どれほどの効果が見込めるのでしょう。
 近年、インターナショナルスクールへ子供を入学させたいと願う家庭が増えていると聞きますが、これは日本の英語教育に対する親の不信感、絶望感の表れと言えるでしょう。
 インターナショナルスクールは文科省の管轄外、しかももれなく私立ですから授業料は高額で富裕層の子弟でなければ入学できません。そして教師は英語を母国語とするか、日本人教師がいても大半は帰国子女で、ネイティブと遜色ない英語力を持っています。まして英語以外の授業も、全て英語で行なわれれば、教科書もまた英語。幼児向けのインターナショナルスクールに通わせる教育熱心な親も少なくありませんから、早くは幼稚園から高校まで英語のシャワーを浴び続けることになるのです。
 その結果、英語で教育を受けた子供の可能性は世界へと広がる。労働の場も、職業の選択肢にも格段の差が生じることになるのですから、親の所得の格差、居住地の環境によって、子供の将来が大きく変わってしまうことになる。
 いずれ、経済的な余裕はあっても、居住地域にインターナショナルスクールがない、あるいは経済的理由で子供をインターナショナルスクールに入れられない親からは、不満の声が上がることになるかもしれませんが、そんな声が上がり始めれば学校経営者には絶好のビジネスチャンスの到来と映るでしょう。
 全ての授業を英語で行なっている日本の教育機関といえば、秋田にある国際教養大学が有名です。
 創立が2004(平成16)年と日が浅いにもかかわらず、卒業生は日本を代表する大企業に就職し、採用先から高評価を得ていることは、多くのメディアが報じるところです。もちろん、同校の教育内容が評価されてのこともありますが、企業が最も魅力に感じているのは卒業生の英語力でしょう。
 かつてアメリカ企業で働いた経験からしても、外国人と仕事をするなら、まず英語力。どれほど優秀でもコミュニケーションがスムーズに取れなければ、仕事になりません。まして、ビジネスを取り巻く環境がめまぐるしく変わる時代においては、スピードが命。日本人が話すたどたどしい英語に、外国人が一生懸命に耳を傾け、理解に努めるなんて時代は遥か昔です。もちろん、私が現役であった頃より、日本人の英語レベルが格段に向上していることは存じていますが、読む、書く、話すをそつなくこなせる人間は、現在に至ってもなお、大きなアドバンテージを持つことに変わりはないのです。
 して考えると、これからの時代を生きる若年層には、「実戦の場で使える英語力」を身につけるのは重要課題。まして、語学の修得は早いに越したことはないわけですから、早くは幼稚園、あるいは小学校から英語のシャワーを浴びさせるに限るということになる。
 東京都教育委員会の資料によると、都内私立中学への進学割合は東京全体でこそ18パーセントですが、区別に見ると文京区では実に42.3パーセント。千代田区、港区、中央区、目黒区で30パーセント台後半、渋谷区、品川区、世田谷区では30パーセント台前半となっています。
 東京は全国で合計特殊出生率が1.21(2017年)と最も低いわけですから、学齢期を迎える子供の数は減る一方となっていく。私学の学校経営は立派なビジネスです。今後、生き残りをかけた生徒争奪戦は激化する一方となるのは間違いありません。そしてキラーコンテンツなくして勝利はあり得ないのがビジネスです。全てとは言わずとも、国語以外の授業は中高一貫して英語で行うことを売りにする学校が出て来ないとも限りません。
 もちろん、日本の学校教育は文科省が定める学習指導要領に基づいて行なわれるのですが、授業をどんな言語で行なうかの縛りはありません。私立校の中には、教科書を全く使わず、担当教員が独自のテキストで、それもクラスによって内容が異なる授業を行なう学校も現に存在します。
 さて、もし授業の大半を英語で行なうことを売りにする学校が評判となり、それに続く学校が増加していった時、教育の現場ではどんな教科書が用いられることになるのでしょう。
 日本の教科書出版社の中で、英語はともかく、他の教科の教科書を英語で作成できる出版社はまず皆無のはずです。となると、海外の教科書を使い、授業を行なうのも教員資格を有する外国人ということになる。レポートも試験も全て英語。日本語を使うのは〝国語〟だけとなってしまうようなことにでもなれば、日本人の国語力は確実に劣化します。それどころか、日本語を学ぶ意味が教育の現場から失われていくことになるでしょう。
 日本語よりも英語。かくして、日本人もいよいよ世界を舞台に活躍する人材を輩出することになるのですが、さてそこでどんなことが起きるのか。
 英語を不自由なく読め、書け、話せる。英語圏の映画やドラマを字幕なしで楽しめ、新聞、雑誌、海外のサイトや様々な文献にも不自由なくアクセスできる。そのこと自体は、実に素晴らしい。いや、夢のような話です。
 しかし英語を用いる比重が高まるに連れ、日本語を学ぶ必要性が次第に薄れ、日本語を学ぶことが煩わしくなる。「分からないことはググればいい」というのと同様、全て英語でいいじゃないかという風潮に繋がるとしたら──。
 かつて、近世に日本にやってきた宣教師が「悪魔の言語」と称したように、日本語はとても複雑な言語です。ひらがな、カタカナはそれぞれ50しかありませんが、義務教育で習う常用漢字だけでも2136文字。しかも漢字の多くは、音訓二つの読み方がある。
 少子化が改善されなければ国内人口は減る一方。内需は細り、企業は生き残りをかけて海外に市場を求める。人口減少対策として移民を受け入れても、日本語が通じる外国人ばかりとは限らない。しかも、人口減を移民で補おうとすればするほど、日本語を話せない外国人人口は増加していくわけですから、英語は身につけておかなければならない最低限の言語となるでしょう。
 その時、果たして日本語のような厄介な言語を学ぶ気になる人が、どれほどいるでしょう。学ぶことに意義を見出す日本人がいるでしょうか。〝国語〟は学校の必修科目の一つ。それこそ今の英語と同じ扱いになってしまうかもしれません。
 結果、営々と積み重ねてきた知の所産、日本語で書かれた過去の文献や資料に、当の日本人がアクセスできなくなってしまうことにもなりかねないのです。

 
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日本の公用語が英語に⁉ 日本語は学ばれなくなり、やがては消滅の危機も
 
 

「何をバカなことを」とお笑いになる方も多々いるかもしれませんね。仮にそんな時代がやって来るとしても、まだまだ先の話。少なくとも、当年63歳になる私が生きているうちにそんな時代になることはあり得ません。
 しかし、国立社会保障・人口問題研究所が2017(平成29)年に公表した「日本の将来推計人口」では、2015年に1億2709万人であった日本の総人口は、65年に8808万人になるとされています。百年後の2115年に約5060万人。二百年後の2215年には、約1380万人になるとある。
 2017年5月の時点で、東京都の人口は約1372万人ですから、僅か二世紀の後、日本の総人口は東京都とほぼ同じ。一世紀の後ですら、日本の総人口は現在の4割に減じてしまうのです。そして推計は数あれど、極めて高い精度を持つのが人口動態統計。そりゃそうでしょう。出生数は完璧に把握できるわけだし、合計特殊出生率だって、そう大きく変わるわけがありません。つまり、百年後には総人口は現在の6割減、二百年後には今の東京都とほぼ同じという時代が極めて高い確率でやってくるのです。
 これが世界の総人口に占める日本人人口となるのですから、日本という国が全ての点において現在の姿を維持できるわけがありません。

 

次回は4月6日(月)に公開予定です。

プロフィール

楡 周平(にれ しゅうへい)

1957年岩手県生まれ。慶應義塾大学大学院修了。米国企業在職中の1996年に『Cの福音』でデビュー、翌年より作家活動に専念する。「朝倉恭介シリーズ」「有川崇シリーズ」「山崎鉄郎シリーズ」をはじめ、『再生巨流』『介護退職』『虚空の冠』『ドッグファイト』『プラチナタウン』『ミッション建国』『国士』『バルス』等、緻密な取材に裏付けられた圧倒的スケールの社会派エンターテインメント作品を世に送り出している。近著に『TEN』『終の盟約』『サリエルの命題』『鉄の楽園』がある。

 
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