本との偶然の出会いをWEB上でも

ビジネス小説の第一人者・楡周平が「ニッポンの大問題」を斬る!!【馬鹿につけるバカの薬】第12回:勝ち組エリートが日本の企業をダメにする!?

新入社員、若手社員、就活生も必読!! つねに時代の先を読み、予測を的中させてきたビジネス小説の旗手・楡周平が、ニッポンの近未来に警鐘を鳴らす! もはや政治家、官僚に任せてはおけない。すべての日本人を覚醒させる一刀両断のノンフィクション。
第12回のテーマは、企業や組織に衰退をもたらす「優秀な人間」たちについて。受験戦争、就職戦線、出世競争を勝ち抜いたエリート集団によって構成される大企業が、凋落の途を辿る理由とは?

科挙社会の勝者で構成される組織

 企業にはそれぞれ社風がありますが、歴史が長い企業ほど制度や慣習に縛られるものです。そして、社長はもちろん、役員も管理職も、それぞれの会社のルールの中で出世の階段を昇り、今の地位を射止めたのです。おそらく、その大半は、与えられた任務をつつがなくこなし、リスクを取らず、ミスを犯さぬことに細心の注意を払い、上司への配慮も怠らなかった人たちでしょう。そもそもが大企業に就職してくる新卒者は、1点が合否を分ける科挙制度そのものの受験戦争の勝者ばかりですから、ミスなく課題を解く習性が身に染みついています。会社がそんな社員ばかりの集団になれば、斬新な企画を起案しても、まず採用されないでしょうし、それ以前に社歴が長くなるにつれ、社員の大半は企画を提示する意欲さえ失ってしまうでしょう。
 さらに、サラリーマン社長の最大の問題は任期があるという点です。
 社長の任期は会社によって様々ですが、一旦トップに上り詰めたからには、できるだけ長くその座に留まろうとするのが常です。社長の座を退いた後は会長、そして相談役にと、長く会社に留まろうとします。となれば、覚えめでたい人間、つまり自分に服従する人間を後継者に据えるに限る。そうした人事を繰り返してきた大企業が日本には山ほどあるのです。
 そして、大企業の大半は上場していますから、業績は株主から常に厳しく監視されています。これぞという企画が出てきても、投じた資金を十分に上回る結果を出してみせることができなければ責任を追及され、退陣を迫られることにもなりかねません。
 長く社長の座に留まるためにはミスを犯さぬこと、妙な野心を抱くことなく無難に経営の舵を取ること。会社の将来を考えれば、いま着手しておかなければならないと分かっていても、自分の在任中は安全経営。極端ないい方をしてしまえば、「俺がいなくなった後のことなど、知ったこっちゃない」と考えている経営者が多くいるように思うのです。
 家電業界などはその典型かもしれませんね。
 かつて、世界市場を席巻した日本の家電メーカーも、いまや見る影もなく落ちぶれてしまいました。かつて事業部単位で存在したビジネスも、スマホの機能に次々に集約され事業からの撤退を余儀なくされました。現在の形のスマホを最初に開発したのはアップルですが、当時半導体や液晶事業を持っていた日本の家電メーカーは幾つかあったはずです。豊富な資金、人的資源を持っていたはずの日本の家電メーカーが、どうしてスマホを開発できなかったのか。考えた人間がいたとしても、組織内に斬新な構想を吸い上げ、実現に向けて後押しする体制がない。あったとしても、誰も着手していない、つまり解答が分からない問題に挑戦する気概に欠ける。これは科挙制度の中で〝優秀〟とされてきた人間が集う集団であったからではないかと思うのです。

 

競争を勝ち抜いてきたエリートで構成される大企業。優秀な人間の集まりのはずが……。
 
 

 もっとも、スマホの開発計画を披露した途端、デジカメ、オーディオ、レコーダー、テレビ、パソコン等々、各事業部の担当役員から、「そんなもの開発したら、うちの事業部、なくなっちまうじゃないか」と猛反対されたでしょうけどね。
 こうした傾向は、優秀と目された人間が集う組織には、よく見られるように思います。
 官僚の世界はその典型でしょう。
 この原稿を書いている時点では、世界の話題はコロナ一色。ニューヨークのような地獄絵図が日本社会で繰り広げられるようになるのか、息を潜めて見守る日々が続いています。
 いま我々が直面している事態は、スペイン風邪以来のまさに人類の存亡に関わりかねない極めて深刻な危機です。
 かかる状況を招いた最大の原因は、政府、行政と国の中枢を担う組織にいる人間たちの想像力が決定的に欠けていたことと、保身を第一に図る彼らの習性の2点にあると私は考えています。
 まず、既に武漢や湖北省以外でも感染が広がっていることが報じられているにもかかわらず、春節を迎え来日する中国人観光客に入国禁止命令を出さなかったこと。
 来日する中国人観光客の多い春節は、観光産業はもちろん、小売業、交通産業などにとっては一年の中で最大の稼ぎ時です。中国人の入国を完全に絶ってしまえば、これらの業界から囂々ごうごうたる非難の声が上がるのは目に見えていますし、経済的損失も尋常なものではなかったでしょう。
 そこで、政府が打ち出したのは、「団体客の来日は認めないが、個人旅行者はその限りでない」です。
 これで、何の効果が見込めるのでしょう。中国人の団体旅行客はいまや全体の4割に過ぎません。残る6割は個人旅行者です。半数以上の入国を認めれば、その中に感染者がいない方がおかしいわけで、感染封鎖策として意味を為さないのは、小学生でも分かるでしょう。
 事実、日本で最初に武漢への渡航歴のない感染者が確認されたのは、中国人観光客を乗せたバスに乗務した奈良県の観光バスの運転手でした。
 さらに、それから程なくして、客船ダイヤモンド・プリンセス号で集団感染が発生しました。その時点で、コロナウイルスが強い感染力を持つことが明確になり、PCR検査で陽性反応が出た乗客は近隣の都県と一部は愛知県の病院へ、陰性であった乗客は勝浦のホテル等に隔離されました。
 この経験は、今後日本で起こるであろう感染拡大にどう備えるか、対処方法を確立するケースとなったはず。少なくとも私は、そう考えていました。
 ところが国内で最初の感染者が確認されてからおよそ3ヵ月、緊急事態宣言を出すに当たっては、政府も自治体も、その準備が全く整っていないことが露呈してしまったのです。
 自粛を要請する業態ひとつとっても、政府と自治体の考えが合わない。挙げ句の果ては、緊急事態宣言を発令した後の2週間の感染者数を見てと政府はいい出す始末。感染者数が連日増加傾向にあり、ニューヨークでは膨大な感染者と死者が出ているというのに、2週間様子を見たらいったいどんなことになるのか。それすらも想像できない。というか思考能力が絶望的に欠如しているとしか思えません。
 発熱外来の整備、重症者の入院、軽傷者の別施設への隔離、最前線で治療に当たる医療関係者が使用するマスクや防護服の確保。経済活動を制限せざるを得ない事態に陥った場合のシミュレーション。武漢、欧州、アメリカ合衆国と次々に感染が拡大していく様を見ていれば、いま何を検討し、準備しておかなければならないか、完全に把握できたはずです。そして、備えるに十分な時間があったはずなのです。
 しかし、政府も自治体も、何の備えもしていなかった。
 それどころか、この間、有事に備えて備蓄していたマスクや防護服を中国に贈り、春節で来日した中国人観光客にマスクを買い占められ、当の国民が入手困難となってしまいました。
 困った人を助けるのは当然のことです。中国の感染拡大を速やかに収束させれば、日本に害は及ばないと考えたのかもしれません。しかし、個人旅行者とはいえ、感染が拡大し続ける中国からの入国を許してしまった以上、当時の武漢の惨状は、近未来の日本の姿だと考えつくはずです。
 しかも、マスクや防護服の7割は中国製だというのには驚きました。かねてより、新型インフルエンザはいつ発生しても不思議ではないといわれていましたし、コロナウイルスにしても、SARS、MERSが流行したのは最近のことです。感染症治療に防護装備は欠かせません。医師が感染してしまえば、治療は不可能になります。それがよりによって、供給の大半を中国に依存していたとは……。
 これも市場規模と人件費の安さに目がくらみ、我も我もと生産拠点を中国に移転した企業経営者の利益追求主義と、政治家と官僚がいかに危機意識に欠けた集団であるかの証左です。
 自粛要請にしても、いよいよ感染が拡大する兆候が確実になってから。しかも、どの業種に自粛を求めるかで揉めに揉め、都知事の要請を即座に受け入れ営業自粛を決断した百貨店に対して、経産省の役人が経営幹部を呼び出し、「勝手に閉めるな」と叱りつける始末です。
 もっとも、政府に先立って外出自粛要請を出した都知事にしても、同じことが言えます。
 宣言を出す直前まで、もっぱらの関心はオリンピック・パラリンピックの開催の行方。それが延期となった途端の外出自粛要請。しかもロックダウン(都市封鎖)とか、いきなり物騒な言葉を持ち出すのですから、不安に駆られた都民が一斉に買い溜めに走り、店頭からは瞬く間に商品が消え去る始末です。
 都知事の前身はキャスターですが、テレビ出身者の発言は注意して聞かねばならないと、以前から私は考えていました。
 テレビで最も重要視されるのは視聴率です。視聴率を上げる鍵はいかに視聴者の関心を惹くかにある。つまり、深く考え論ずる能力よりも、反射神経が求められるのです。その結果、何を論ずるにしても極論や過激な言葉が口を衝いて出てしまう。しかも困ったことに、テレビで発した言葉は次の瞬間には流れて去ってしまうのです。
 2017年に行なわれた衆議院議員選挙の際に、希望の党を立ち上げ、旧民主党議員を同党に受け入れることを一旦は合意しておきながら、安保・改憲を考慮しないリベラル派に〝排除〟という言葉を使ったのは、その習性が出てしまったのでしょう。
 コメンテーターにもこうした傾向はよく見られます。
 武漢での新型ウイルスの感染拡大を報じた情報番組の中で、全国紙の論説委員の肩書きを持つ女性が、解説の中でこういったのをはっきりと覚えています。
「死者はたった2人しか出ていない。恐れるほどのウイルスではない」
 それが、確か2週間後に同じ番組に出演した時には、「(中国からの入国を禁じた政府の対応は)1ヵ月遅かった」と、しれっとした顔でいうのですから、呆れ果ててものがいえないとはこのことです。
 現在の危機的状況を招いた責任は、こうしたメディアのあり方にも大きな問題があるのですが、それにしても政治家や官僚が、これほどまでに無能なのはなぜなのか。
 多くの方がご存知でしょうが、国を動かしているのは政治家ではありません。かつては、その分野に精通した族議員が大臣になったものですが、今はそれも大分薄れてしまいました。族議員の質も低下しましたし、大臣はもはや年功序列(当選回数)によって決まる持ち回りの名誉職に過ぎません。
 国会答弁にしたって質問内容は事前に通知され、答弁を作成するのは官僚です。大臣は彼らが作成した作文を読み上げているに過ぎず、それでも漢字を読み間違えるわ、とんちんかんな答えをするわ、知的レベルを疑わざるを得ない〝大臣〟は珍しくはありません。
「担ぐ神輿みこしは軽くてアホがいい」とはよくいったもので、官僚にしてみれば、「大臣、大臣」とおだてていればご機嫌、いいなりになってくれるアホがいいに決まっています。
 では、その官僚はどうなのか。
 官僚、特にキャリアの出世レースは激烈を極めます。それこそ一つミスを犯せば命取り。「軽くてアホ」な神輿でも、生殺与奪の権は大臣、特に総理に握られているのです。官邸勤務を命ぜられるのは、官僚の中でもエリート中のエリートですが、彼らにしたって入省から一貫して組織の流儀の中に身を置き、上司の覚えめでたきを得て昇進を重ねてきたのです。

優秀な人間で構成される企業は必ず衰退する

 日本経済絶好調、国内はバブル景気に沸き、日米間で貿易摩擦が問題となっていた頃、私はサラリーマンで、法や規制の解釈について官僚の見解を訊ねる場に同席したことがあります。
 ところが何を訊ねても、彼らの口を衝いて出るのは、「一企業のためにある法律ではない」、「駄目だと書いてはいないが、やっていいとは書いていない」、そして最後は「前例がない」という言葉が返ってきたものでした。
 そう、「前例がない」。彼らの仕事は〝前例〟を踏襲することで、時々の社会情勢に適応した法改正や政策を打ち出すことではないのです。
 あれから四半世紀を経た今となっても、身に染みついた前例主義は、延々と受け継がれているのが今回の件ではっきりとしました。
 今、日本社会が直面しているのは、まさに前例なき危機そのものです。求められているのは、感染拡大を可及的速やかに抑え、犠牲者を最小限に留め、一刻も早く正常な社会活動を取り戻すことにあるのです。
 ところが、右往左往するばかりで、まさに泥縄。指針すら定まらない。
 担当省庁である厚労省ですら、誰が対策の指揮を執っているのかも明らかにしない。
 それはなぜか。
 前例なきことには明確な答えがありません。科挙制度の中で〝優秀〟とみなされた官僚には、最も不得手な問題だからです。だから、どう対処していいのか分からない。結果次第では、責任を追及されることになる。今までのキャリアや将来が、全てパーになってしまうことを恐れているからです。
 休業補償ひとつとっても明らかですね。法の縛りがあるにせよ、特定の業種の営業を〝停止命令〟ではなく〝要請〟としているのは、命令すれば補償金を支払うことになるからなのは明らかです。国民の命、国家の存亡がかかった危機に際して、この体たらく。政治家はもちろん、官僚の中に、「俺が責任を持つ。国家の命運、国民の生命がかかっている非常事態だ。感染を抑えるためなら、何でもやれ」の一言がいえる人間がなぜいないのか。
 そんな言葉は、今に至るまで一度も聞いたことはないし、全国民に10万円を給付するとした政府の決定に、本日(4月17日)財務省が難色を示していると報じられましたが、その理由がやっぱり出ました「前例がない」……。
 かつての輝きは消え失せ、衰退する一方の日本の大企業、そして国家の舵取りを担う官僚の姿に共通するのは、明日の飯より今日の飯。会社や国の将来を長期的視点で考えることなく、己の在任中はつつがなく。無事これ名馬とばかりに、その場をしのぐことで頭がいっぱいなのでしょう。
 社長がサラリーマンなら、社長を目指すのもサラリーマン。そして、入社してくるのが科挙エリートばかりとなれば、その企業の将来は知れたものです。
 若い人はご存知ないでしょうが、かつて「鉄は国家なり」といわれた時代がありました。採用されるのは、有名大学出身者の中からこれぞと見込まれた学生だけ。〝優秀〟と目された人間で構成されていたはずの鉄鋼会社がどうなったか。社会情勢や産業構造の変化に追いつけず、合併、吸収を繰り返し、いまや見る影もありません。銀行だってそうですね。「銀行は潰れない」「堅い仕事だ」といわれ、学業成績も〝優〟が何個以上でないと採用されないとされ、事実採用されるのはそうした学生たちばかりであったわけです。それがバブルの崩壊を機に、都市銀行の合併が相次ぎ、超エリート集団と称された興銀や長銀は解体、消滅してしまいました。
 かつて、世界市場を席巻した大手総合電機メーカーの社長に至っては、このままでは倒産しかねないと危機感をあらわにしながら、「どんな製品を造ればいいのか分からない」という始末。
 常々思うのが、〝優秀〟と目された人間で構成される企業は、必ずや衰退するということです。大企業への入社を目指す学生は、会社の知名度、安定性、給与といった点に目が向きがちです。かくいう私も、海外で働ける機会がある会社を希望してはいたものの、そういった一人でしたから大きなことはいえたものではありません。
 しかし、有名であるのも、安定しているのも、給与にしても、それは入社時の話です。自戒を込めていうのですが、いわば「寄らば大樹」的意識がそこにあったことは否めません。
 この「寄らば大樹」の意識を抱いて入社してきた人間ばかりで会社が構成されたらどうなるか。そんな人間たちで構成された会社が30年も経てばどうなるか。
 入社した時点では、ピカピカの会社でも、定年を迎える頃には、時代の流れについて行けずに、見る影もなく落ちぶれていたとしても不思議ではないでしょう。
 このことは、これから就職活動を迎える学生諸君に、改めて、声を大にしていっておきたいと思います。
 組織が大きくなればなるほど、「仕事と上司は選べない」。だから、今を見て就職する会社を選んではいけません。会社を、そして社長をよく研究し、周到に検討を重ねた上で、志望先を決めること。外見上は立派な大樹に見えても、目に見えない幹の中が腐り始めている会社も少なからずあるのですから……。

 

次回は6月22日(月)に公開予定です。

プロフィール

楡 周平(にれ しゅうへい)

1957年岩手県生まれ。慶應義塾大学大学院修了。米国企業在職中の1996年に『Cの福音』でデビュー、翌年より作家活動に専念する。「朝倉恭介シリーズ」「有川崇シリーズ」「山崎鉄郎シリーズ」をはじめ、『再生巨流』『介護退職』『虚空の冠』『ドッグファイト』『プラチナタウン』『ミッション建国』『国士』『バルス』等、緻密な取材に裏付けられた圧倒的スケールの社会派エンターテインメント作品を世に送り出している。近著に『TEN』『終の盟約』『サリエルの命題』『鉄の楽園』がある。

 
<楡周平の「馬鹿につけるバカの薬」連載記事一覧はこちらから>

記事一覧
△ ビジネス小説の第一人者・楡周平が「ニッポンの大問題」を斬る!!【馬鹿につけるバカの薬】第12回:勝ち組エリートが日本の企業をダメにする!? | P+D MAGAZINE TOPへ