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アメリカ大統領・ブッシュの伝記が、今ベストセラーである理由-ブックレビュー from NY【第1回】

NY在住ジャーナリスト・佐藤則男が、アメリカのベストセラーを紹介します。日本での馴染みの作品や、今後日本で翻訳出版されそうな本も取り上げていきます。

<第1回>「あの強かったアメリカ」を思い出させたパパ・ブッシュの伝記

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Jon Meacham. Destiny and Power: the American Odyssey of George Herbert Walker Bush. Random House, New York. 2015、836ページ、US$35.00

 

本コラムでは、アメリカのベストセラーを紹介していく。日本で馴染みの著者の作品も取り上げるが、そうでないもの、将来も日本で翻訳出版されそうにないものも登場させたいと思っている。

どんな本がベストセラーになるかは、その社会の縮図でもある。紹介できる作品にはおのずと限りがあるが、ジャンルにこだわらず、アメリカらしいヒット作を選んでいきたい。

 

第1回に選んだのは、“パパ・ブッシュ”こと、第41代アメリカ大統領、ジョージH.W.ブッシュの初めての伝記である。

著者はJon Meacham。

1969年生まれ。日本のNewsweek誌で、彼の名に覚えのある日本人もいるかもしれない。同誌の編集者を務めた後、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストでエッセイや書評を書いた。Random House編集長(Executive editor)などを歴任し、2009年“American Lion ”(アンドリュー・ジャクソン大統領の伝記)を発表し、ピューリッツァー賞を受賞している。この伝記は当時評判となった。さらに、“Thomas Jefferson: the Art of Power”;“American Gospel”; “Franklin and Winstonなどの著作があり、アメリカ大統領についての伝記では第一人者の一人である。

 

本書のなかで、著者は息子の第43代大統領ジョージW.ブッシュと区別するため、しばしば主人公に対して “41”という表現を使っている。著者が目指すのはジョージH.W.ブッシュの完璧なライフ・ストーリーや、ブッシュ家のファミリー・ヒストリーを書くことではない。むしろ日記や豊富なインタビュー(家族や関係者へのインタビューも含め)を通してプライベートな面や心情に深く踏み込んで、一人の人間としてブッシュ“41”を描いている。

 

もちろん、この800ページを超える大著を通してジョージH.W.ブッシュの人生を詳細に知ることができる。深い影響を与えた祖父のサムエル・プレスコット・ブッシュ(S.P.ブッシュ)と祖母フローラ、父プレスコット・シェルドン・ブッシュと母ドロシー、また母方の祖父のジョージ・ハーバート・ウォーカー(ジョージH.W.ブッシュの名前はこの母方の祖父の名に由来する)から始まり、生い立ちや教育、第二次大戦からの生還、イェール大学時代、テキサス石油での成功、下院議員、国連大使、共和党全国委員会議長、中国への特命全権公使、CIA長官、副大統領、第41代大統領、第43代大統領の父、そして2015年現在のジョージH.W.ブッシュまでを網羅している。また妻バーバラとの出会いと結婚、長女のロビンを白血病で3歳の時に失うなどの悲劇を含め、家族との細やかな関係に関しても詳細に描かれている。

 

ブッシュ家の家法(Bush Code

 

「勝利を勝ち取れ、しかし、がむしゃらに見えてはいけない」(”Strive for victory, but never seem self-involved.“)というブッシュ家の家法はジョージH.W.ブッシュの性格形成に大きな影響を与えた。大統領をやめて15年後のインタビューで彼は、「私のモチベーションは常にゴールを勝ち取ることであり、ゴールとは指揮官になることである」と述べた。ブッシュは大統領になるべくしてなったといえる。だが、国民を熱狂させる英雄タイプの大統領ではない。静かで目立たないが、だからといって軽い存在ではない。政治においては、大胆より堅実、革命より革新に専念する偉大さというものがある。ブッシュ“41”はそんな大統領だった。

ブッシュ“41”はイデオロギーよりはプラグマティズム(実践主義)に重きを置いた。彼は著者とのインタビューで、「私に対する批判の一つは《ビジョンを持っていない》ということだったが、人々を助けようとし、平和をもたらそうとすること、世界を少しでも良くしようとすることのどこが悪いのだ。それだけの《ビジョン》で充分ではないのか?」と疑問を口にした。ブッシュのプラグマティズムが[時代の波に乗ったとはいえ]ゴルバチョフとともにイデオロギーを超えて冷戦を平和的に終結に導き、東西ドイツの再統一を成し遂げたことは歴史の真実である。

 

その後、彼は湾岸戦争に勝利したが、アメリカは経済不況から立ち直れずに苦しんでいた。国家財政の赤字解消を目指した1990年の予算法は増税を招くことになり、増税しないと有権者に約束したブッシュの1988年の有名な選挙公約の言葉“Read my lips:no new taxes”を破る結果となった。ブッシュは自分で正しいと思う政治判断をするために「妥協」や「譲歩」を行ってきた。彼にはこの予算法が国益にかなうという「プラグマティックな」政治判断があった。

 

ジョージH.W.ブッシュは子供のころから常に両親、学校の先生、そして祖国が自分に課したことをやり遂げてきた。しかし1992年11月4日の大統領選挙でクリントンに負けた夜、彼は日記で次のように述べた。「私は傷ついた祖国や国民のことを思っているし、やり遂げていないことがたくさんありすぎる」「我々は進歩をなしとげた、しかし仕事は終わっていない。そのことを考えると死にそうになる」大統領としての仕事をやり遂げるチャンスを失ったことに対する悔しさがにじみ出ている。

 

父と息子

 

ジョージH.W.ブッシュは自分が大統領になっただけでなく、息子が大統領になるのを生きている間に見ることができたラッキーな父親でもあった。息子のジョージW.ブッシュは2000年に民主党のアル・ゴアを破って第43代大統領に選ばれた。ブッシュ“43”は大統領在任中、時々父ブッシュに特別任務を与えた。たとえば2004年、スマトラ島沖地震による津波の後、ブッシュ“43”は2人の元大統領、父ブッシュとクリントンに被害救済のための基金調達の特別任務を与えた。ただ父ブッシュは基本的には元大統領として政治的な役割を果たすことにはあまり積極的ではなく、息子ブッシュの大統領在職中でさえ政治の舞台からは距離を置き、主に慈善活動などに専念をしてきた。

 

そうして息子の政権に干渉することを避けながら、実はブッシュ“43”のもとでアフガニスタンやイラクなどで対テロ戦争が加速していくことに父ブッシュは心を痛めていた。“9・11”後のアフガニスタン、イラクへの軍事介入は仕方がないとしても、もっと外交的に問題解決をするべきで、対テロ戦争の拡大には危惧の念を抱いていた。

 

対テロ戦争の拡大はブッシュ“43”の本意ではなく、副大統領チェイニーの影響だと父ブッシュは信じていた。2008年から2010年に行ったインタビューで、父ブッシュは副大統領としてのチェイニーの権力が大きくなりすぎ、大統領の権限を脅すほどになっていたと述べた。チェイニーはブッシュ“41”のもとで国防長官をしていたころとは全く違った人間になってしまったと父ブッシュは感じていた。

 

このコメントに対し、チェイニーは微笑しながら“Fascinating” (面白い)と言い、「もちろん9・11以後、わたしは以前より強硬路線になった」「面白いのは、ブッシュ親子が副大統領職に関し明らかに認識の違いがあったことだ。ブッシュ“43”は私に重要な役割を果たすことを望んだ。そして私は強い組織を作った。彼(ブッシュ“43”)が私に望んだのは国家安全保障に集中することだった」と述べた。そし父ブッシュが自分に対して批判的だったことは副大統領在職中には全然知らなかったと述べた。

 

一方、息子ブッシュは父ブッシュのチェイニー評について、こう述べている。「大統領在職中もそれ以後も父は私にそんなことを言ったことはなかった。私はディック(チェイニー)のアドバイスを尊重したが、彼は何人もいるアドバイザーのひとりというだけだ」「決断したのは私だ」。

 

2期目に入り、ブッシュ“43”は外交にもっと時間や資金を費やすようになり、チェイニーの対テロ強硬路線は精彩を欠いていった。ブッシュ親子は話し合うことはなかったにもかかわらず、自覚していた以上に息が合っていた(“in sync”)のだった。

 

クリントンに大統領選挙で負けた夜、日記の中でブッシュは感情的に次のように述べている。「心が痛む、そして考えなければならない。今後数日間いかにしてしっかりと頭を上げてすごすことができるであろうか?」。一般的にはクールで理性的、面白味に欠けた大統領というイメージのブッシュ“41”である。しかし、本書により、もっと野心的、感情(感傷)的、心配性のブッシュの人物像が明らかにされたといえるだろう。

 

なぜ、ブッシュ“41”の伝記がベストセラーなのか?

 

それにしても、なぜ今になって、1期しか大統領を務められなかったブッシュ“41”の伝記がベストセラーになるのだろうか。

当コラムの筆者はニューヨークに住んで40年になるが、ある時点のアメリカ国民の心情、感情を理解するためには、過去16年間のアメリカを振り返って見ることが重要だと感じている。16年間というのは、大統領が順当に2期務めたならば、2代の大統領の治世という意味になる。そうでなければ最大4人の大統領のアメリカを見ることになる。いずれにしても、それくらいがアメリカ人にとって「一時代」と考えてよいのではないか。

 

今のアメリカを知りたいならば、ブッシュ“43”とオバマの16年間をよく振り返ってみることが大事である。この2人の大統領は極めて対照的だった。

「カウボーイ」ブッシュは、9.11テロ攻撃を利用し、イラク戦争、アフガニスタン戦争を決行し、約4000人もの若い兵士の命を犠牲にした、しかし、その結末は勝利とは程遠いものに終わった。その反動から黒人初の大統領に就いたオバマは、戦争を嫌い、悪く言えば何もせず、アメリカの国際的立場を大きく引き下げた。この16年間、アメリカはこれといった国際舞台での実績がなく、むしろ世界の嫌われ者であった。2人の大統領は「もろい、弱体化したアメリカ」を創ってしまったのである。

 

1990年8月2日,イラクの指導者,サダム・フセインはクウェートへの侵攻と占領を命じた。クウェートの大規模な石油資源を獲得することが目的だったことは明白だ。それに対し、ブッシュ“41”は、国連でイラク攻撃の決議を成立させ、34か国からなる多国籍軍を組織して、1991年1月17日にイラクへの侵攻を開始した。この作戦は「Desert Storm (砂漠の嵐)」と呼ばれた。

クウェートの占領を続けるイラク軍に対する戦争は、多国籍軍による空爆で火ぶたを切って落とした。開戦1か月後の2月23日には地上部隊による進攻が始まった。多国籍軍はこれに圧倒的勝利を収め、クウェートを解放した。地上戦開始から100時間後、多国籍軍は戦闘を停止し、停戦を宣言した。

 

この勝利は、あまりにも見事であった。強いアメリカ、世界の警察官としての最高の記憶がアメリカ国民には残ったのである。それが、その前の16年間の象徴であった。ブッシュ“41”を引き継いだクリントンの時代、アメリカは空前の好況とIT革命による社会の革新を経験することになった。

しかし、“43”とオバマの16年間、アメリカ国民は、イラク戦争、アフガニスタン戦争で勝利すらできず、今や世界はISのようなイスラム過激派による大規模なテロ攻撃に震え上がっている。この16年間、アメリカ国民は不満と不安、そして、慄きに満ちているのである。

 

今、ブッシュ“41”に対するノスタルジアが強くアメリカ国民を揺さぶるのは、そういう背景があるからだろう。本書の著者がブッシュ“43”とオバマに対する揶揄、批判を込めていると見るのは穿ちすぎかもしれないが、テロ攻撃に怯え、不満を爆発させようとしているアメリカに、実に時宜を得た作品となったことは間違いない。

 

佐藤則男
早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。

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