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ドストエフスキーの貧困生活【作家貧乏列伝#1】

『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』などの傑作を残した文豪・ドストエフスキーはギャンブルにはまって借金生活を送るロクデナシだった?? 新連載、【作家貧乏列伝】第1回は、そんなドストエフスキーの貧乏生活に迫ります!

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文学史にその名を残した大作家たちは、誰もが華々しい生活を送っていたわけではありませんでした。むしろ、作家としての成功を手にする前には、金銭的に苦しい生活を強いられていたケースの方が圧倒的に多いと言えるでしょう。

P+D MAGAZINEの新連載企画となる「作家貧乏列伝」は、そんな文学者たちの苦しいお財布事情について伝記的に振り返ります。その第一回となる今回は、ロシアを代表する文豪であり、世界規模で多大な影響を及ぼしている小説家、フョードル・ドストエフスキーを特集!

人間存在の根本問題を重厚な文章で描いたドストエフスキーの作品は今もなお多くの支持を獲得しており、ノルウェー・ブック・クラブが選ぶ「世界最高の100冊」には『カラマーゾフの兄弟』、『罪と罰』、『悪霊』、『白痴』の4冊が選出されています。

そんな大文豪として名高いドストエフスキーですが、その作品執筆の背景には、自身の持つ「浪費癖、賭博癖」と、それらがもたらした「破綻した生活」が強く関係していることが知られています。今回は波乱の人生をおくったドストエフスキーの貧乏エピソードを、彼の作品とともに紹介します。

 

年収500万円なのに借金は800万円?ドストエフスキーの呆れた浪費癖。

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ドストエフスキーは1821年、モスクワに生まれました。父親は医者、母親は商人の娘でしたが、子供は兄、ドストエフスキー、弟、妹3人と8人家族であったために裕福な家庭とは言えなかったようです。

ドストエフスキーは両親の死を経て工兵学校へ入学します。22歳で工兵学校を卒業し、少尉として製図局で働くようになった彼は、父親の残した領地からなる収入と製図局の給料を足した額、およそ5,000ルーブルほどを年収として得ていました。19世紀当時の1ルーブルは現在の日本円でおよそ1,000円。年収500万円といえばかなり裕福な暮らしができそうなものですが、ドストエフスキーの生活が困窮していた理由は、彼の持つ浪費癖にありました。

よく知られているように、ドストエフスキイには医しがたい[引用者註:病的な、の意]賭博癖や浪費癖がありました。この浪費癖はすでに兄ミハイルとの往復書簡にもでてきまして、金がはいるとまず前の借金を払い、残りの金をすぐ使ってしまって、いくら金があっても足らないという具合でした。妹ワルワーラの夫カレーピンは、父の死後、ドストエフスキイ兄弟の後見人となって田舎の領地から上る収入を毎月送っており、ドストエフスキイには年千ルーブリ送っていましたが、その送金が着いたその日にもう一文もなくなっているということがありました。

『ドストエフスキイ その生涯と作品』より

十分な収入があるにも関わらず、送金を受けた日には一文無し……ドストエフスキーの浪費癖は酷いものでしたが、彼の父親は真逆でした。私的な患者を抱える医者であったものの、妻が子どもたちと田舎へ出かける際には、衣類や家具が盗まれないか不安にかられるあまり「ようく思いだしていちいち書いておよこし」と頼んでいます。貧乏を極端に恐れる父親を反面教師として、ドストエフスキーの金銭感覚はおかしくなっていったのかもしれません。

浪費癖とは別に、ドストエフスキーのお人好しで気前のいい、考え無しの性格もまた、貧しい生活を招く原因となっていました。誰かにご馳走を振る舞う、知り合った人のいい鴨にされて金を貸す、博打で片っ端から金をする……彼の生活態度はだらしなく、挙げ句の果てには急に退職をしてしまいます。

「つとめはじゃがいものようにあきあきしました」、「食いぶちくらいはすぐに見つけます。猛烈な勢いで仕事をしますからね。いまやわたしは自由の身です」と兄への手紙で堂々と宣言していますが、あては全くありませんでした。むしろ、「さて、さしあたり何をするか、それが問題です。8,000ルーブルからの借金があるのですからね。」と、今の日本円に置き換えて800万円の借金を抱えている状況で考え無しに仕事を辞めたドストエフスキーに舞い込む仕事など、当然ながらありませんでした。

 

ギャンブル、愛人……“泥沼作家”ドストエフスキーの生活

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ドストエフスキーがだらしないのは金銭面だけではありません。女性関係においても同様でした。最初の妻、マリアは既婚者でしたが、ドストエフスキーはマリアの息子の家庭教師になったことをきっかけに近づこうとします。マリアの夫が亡くなった後に2人は結婚しますが、結核を患っていたマリアはドストエフスキーと離れて療養することを余儀なくされるのでした。

その一方、ドストエフスキーは愛人のスースロワとともに二度目の外国旅行に旅立とうとしていました。しかし借金の手続きや雑誌編集の仕事などにより彼女と出発できなかったドストエフスキーは、パリで落ち合うことを約束します。

しかしここで、ドストエフスキーの賭博癖が悪い方向へ働いてしまいます。パリへと向かう道中、ドイツのヴィースバーデン滞在中にルーレットへのめり込んだドストエフスキーは4日間もの時間を費やします。

博打に興じるドストエフスキーをよそに、スースロワは単身パリに向かい、現地で新しい恋人を見つけました。ドストエフスキーがようやくパリに到着した頃には、すでにスースロワはその新しい恋人から棄てられていましたが、ドストエスフスキーは彼女と恋愛関係に戻るのではなく、似た者同士の「兄妹」として振る舞うことになったといいます。

そしてこの後、まったく懲りないドストエフスキーはドイツのバーデン=バーデンで賭博に耽ります。ここで負けに負けた彼は、持っていた時計をも売り飛ばし、スースロワとホテルで請求書が来ないかと絶えずビクビクしながら過ごさなければいけないほどでした。

 

もはや自虐小説!? 『賭博者』あらすじ

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出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4102010084

なんとか家族や出版社からの借金で窮地を脱した2人は、この旅行を終えて別れることになります。この時の経験をもとにドストエフスキーが書いた作品は、その名も『賭博者』。ドイツの架空の街、ルーレテンブルクを舞台に、ロシアの将軍の家庭教師である主人公アレクセイがルーレットにより身を滅ぼしていく物語です。アレクセイはドストエフスキーが、将軍の義理の娘でアレクセイが思いを寄せるポリーナはスースロワが、フランス人公爵でステレオタイプな鼻つまみ者のデ・グリューはスースロワがパリで作って棄てられた恋人のサルバトールが、それぞれ投影されているのです。

デ・グリューが金の力でポリーナの心を自分に向けようとしていることを知ったアレクセイは、「そんな金なんて叩き返してしまえ」と所持金を持ってルーレットに挑みます。神でも味方につけたかのように勝ったアレクセイは20万フランもの大金を得ますが、ポリーナからは愛憎入り混じった言葉を投げつけられて終わるのでした。加えてルーレットで得た大金も娼婦のブランシュに根こそぎ搾り取られ、ギャンブラーとして身を落としていきます。

当初大勝ちするものの、そこからアレクセイが転落していく様子をドストエフスキーはえげつないままに描いています。「次はもっとうまくやる」、「次こそは取り返す」といった負の連鎖を生み出す思考法は、賭博依存症のドストエフスキーだからこそリアルに描けたものだったのです。

 

起死回生の一作、『罪と罰』を生み出した窮地

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借金の返済に追われたドストエフスキーは、悪質な出版業者であるステロフスキーとの間にとんでもない契約を結びました。その契約内容とは、金を貸すかわりに期限までに新作の長編小説を書かなければ違約金を支払うほか、ドストエフスキーの持つ著作権を永久的に譲渡するというもの。借金がある以上、ひどい条件であっても呑むしかなかったドストエフスキーの生活は、ますます困難なものとなっていきます。

なんとかステロフスキーから借りた金も例によってルーレットであらかた溶かし、堕ちるところまで堕ちたドストエフスキーは『罪と罰』を書き始めます。この『罪と罰』は、頭脳明晰ではあるが貧しい主人公、ラスコーリニコフが強欲非道な高利貸しの老婆と目撃された老婆の妹まで殺してしまうことで罪の意識に苦しめられる物語です。1人の貧乏な青年を主軸に「正義のためであれば人を殺す権利はあるのだろうか」、「正義とはなにか」という重厚かつ普遍的な問題を描いた『罪と罰』は、一気にドストエフスキーの評価を高めました。

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出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4102010211

『罪と罰』では好評を博したものの、ステロフスキーの契約ではもう1本長編小説を書く必要がありました。しかし『罪と罰』の執筆により時間もなくなり、精神的にも追い詰められていたドストエフスキーは口述筆記にて『賭博者』を完成させます。このときに筆記を担当したのは、速記学校に通う20歳の女学生、アンナでした。

なんとか『賭博者』の原稿を完成させ、窮地を脱したドストエフスキーはアンナへプロポーズします。2人は25歳も離れていましたが、同世代の青年にはない才能に惹かれたアンナはプロポーズを受け、結ばれます。

2人の結婚生活は幸せなものではありませんでした。ドストエフスキーは持病のてんかん発作を起こし、すぐにでも払わなければいけない借金のために生活は困窮。アンナは嫁入り道具全てを質入れし、ドストエフスキーに外国での治療を受けさせようと旅立つ決意をします。

ドストエフスキーの親族とも不仲だったアンナはようやく平穏な生活を手にいれましたが、ドストエフスキーはそんな生活に飽き飽きし、ルーレットでまたもや有り金全てを失います。海外を転々とする生活は4年にも及び、その間に何度もドストエフスキーは賭博に溺れましたが、1871年にサンクトペテルブルクに戻った頃から生活がようやく好転します。

その理由はドストエフスキーが編集を引き受けた雑誌で書いたエッセイ、『作家の日記』や回想が人気になったほか、妻アンナがドストエフスキーの著作集を自ら出版したことで経済的に安定したことにあります。ギャンブル癖のあるドストエフスキーが困窮生活から抜け出した背景には、“できすぎた妻”であるアンナの支えがあったのです。

 

“生活破綻者”の文学

日本文学においても『罪と罰』の設定を借りて作品を書いた江戸川乱歩、『カラマーゾフの兄弟』に登場する挿話に着想を得て「蜘蛛の糸」を書いたと言われている芥川龍之介など、ドストエフスキーの影響は計り知れません。文学史で大きな存在ではあるものの、彼自身は波乱の人生のなかで人間を深く見つめなおした作品を多く残しています。そんなドストエフスキーの洞察力を育んだのは、自らの浪費癖と賭博癖が招いた破綻であったと考えると、作家稼業の独特なカルマを感じさせますね。

さて、続く「作家貧乏列伝」第2回では、明治の女流作家、樋口一葉を特集します。今では5千円札にその顔が刷られている一葉の貧困生活とは一体どんなものだったのでしょうか?

連載第2回をお楽しみに!

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