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モーリー・ロバートソンが語る、「ぼくたちは何を読んできたか」(最終回)その青春の軌跡 モーリーのBOOK JOCKEY【第5回】

国際ジャーナリストからミュージシャンまで、幅広く活躍中の「モーリー・ロバートソン」が、その青春時代を振り返るコラムの最終回。W.バロウズからの返信に始まる本編。モーリーはどこへ行くのか?

魔術師や霊能者を頻繁に訪ねてのオカルト修行、「才女」との愛憎、日本語で書いた自叙伝の映画化の話の浮上と頓挫、バンドメンバーとの葛藤、自分探しを経て3年間。休学期間を経てハーバード大学に復学するも、学問に意欲を感じられなかった。何もかもがグリッドの上に収まっていたからだ。自分よりも3才年下の同級生たちとの会話も物足りなかった。寮の食堂も物足りない。いや、そもそも寮に暮らしてもルームメートとさえあまり口を利かず、友達をなるべく作らないようにしていた。

人類は崖っぷちにある。奇跡に次ぐ奇跡が起きないと、アメリカ対ソ連の核戦争を回避することはできない。しかし奇跡を起こすには大衆の意識が覚醒し、退屈な日常を放棄してみんなでお祭りをやらなくてはならない。その祭りに至るにはジャンプが必要なのだ。人工中絶の是非やゲイ・ライツについて延々と議論をしたり、レーガン政権が中米ニカラグアの社会主義政権を倒すために、敵であるはずのイランに極秘で戦闘機を売却して巨額の裏金を作り出していた「イラン・コントラ事件」を究明したり、次の大統領選に向けて仲間同士で盛り上がっても、本当に必要な変化は訪れない。システムのルールの中でいくらやってもシステムは壊れないのだ。そこにはカットアップがない。もっと奥の奥で東洋的な「悟り」を欧米人が一斉に感じ取るような、あっという瞬間が必要だった。時間と空間を断続させる非日常へと飛ぶためのカットアップが必要なのだ。

FMラジオから流れるボーイ・ジョージやマイケル・ジャクソンやプリンスの音楽に興じているようでは何も変わらない。娯楽は奴隷として支配された人間たちの一時の息抜きでしかなく、そんな日々の娯楽に慣れきってしまうと、支配する権力者と慣れ合うことになる。酒を呑んだりドラッグをやることさえ、支配者のマインド・コントロールの手のひらの上で踊っているのに過ぎない。デュラン・デュランがたとえデュラン・デュラン・デュランになったところで、そんな商業主義的な快楽からの解脱は不可能なのだ。かつての東洋の仙人たちが行ったような「行」を欧米人も行うべきだ。そう思って、大麻も吸わず、コカインもやらず、酒も飲まず、雨の日も傘をささず、風に向かってひたすら歩いた。ケインブリッジの町を練り歩き、カフェ・パンプローナで宇宙のメッセージをノートに書き、その都度付き合っている女性の部屋を訪れて深夜まで世界変革の哲学を喋り倒し、セックスをして眠った。二人の女性のアパートを行き来した時には問題が起きた。一人の女性のアパートからもう一人の女性のアパートに電話をかけたからだ。でも気にかけなかった。真実を求めて戦っていたからだ。

電子音楽やアニメーションならまだ抜け道があった。シンセサイザーや16ミリフィルムを扱うための技術を習得するには膨大な時間がかかる。しかしそれらを全部やっておけば、光と波動でこの世に巨大なUFOのような別世界を出現させられるかもしれない。イエス・キリストはかつて、こう言った。
「神の国は汝らの中にあり」
電子音とアニメーションを組み合わせたモンタージュ、つまり聴覚と視覚の同時進行する作品が見る人に幻覚体験をもたらせば、そこから第三の目が開眼してアメリカとソ連の核兵器競争も封印することができるかもしれない。「アメリカか、それともソ連か」ではなく、「アメリカも、そしてソ連も」という共存が成り立つからだ。

米議会に働きかけるロビイストになったり、核兵器廃絶の活動家になったとしても、どうせ内輪もめや派閥争いで努力は水の泡になる。原水禁と原水協がいくら戦っても原水爆はなくならない。原水禁が、
「ビキニ環礁で水爆実験を行ったアメリカではなく、核実験を実施したソ連も批判せよ」
と主張すれば、原水協が、
「社会主義国の核兵器は侵略防止のためのもので容認すべきであり、反米を中心に置いた反安保・基地闘争も視野に入れよ」
と反論し、大会は混乱し、流会する。話し合いのための話し合いを行い、決裂し、以後それぞれが別々に大会を開催するようになる。広島大学の正門の前にゲバルト文字で「原水禁」と書かれた大型看板が掲げられ、和歌山で、岡山で、東京で原水協による「原爆写真展」が開催される。

政治活動だけで平和をもたらすことはできない。それに政治家たちは右も左も同じ穴のむじなであり、エスタブリッシュメントでしかない。エスタブリッシュメントは基本的に現状維持を望み、ドラスティックな変化を排除する。馴れ合いなのだ。民主党も共和党ももちろん馴れ合いだ。アメリカとソ連もすでに人類を滅ぼしてしまうだけの核兵器を持っているにもかかわらず、それでも作り続けている。狂った状況なのにそれでも現状を維持しようとする。それではデュラン・デュランがデュラン・デュラン・デュランになるだけ。政治を学んで議会のロビイストになるようなことはよしとしない。アナログ・シンセサイザーと16ミリのアニメーションを学ぶ方が世界平和に貢献する。奇跡が起きる。バロウズから直筆の返信を受け取り、鬼のようにそう確信した。

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