本との偶然の出会いをWEB上でも

モーリー・ロバートソンが語る、「ぼくたちは何を読んできたか」①その青春の軌跡 モーリーのBOOK JOCKEY【第2回】

国際ジャーナリストからミュージシャンまで、幅広く活躍中の「モーリー・ロバートソン」が、その青春時代を振り返る!何を読み、何を経験してきたのか…赤裸々なエピソードに注目!

翌年、ハーバードの大学ラジオ局「WHRB」ではクラッシュというバンドの「Rock The Casbah」という曲がヒットした。学生たちが夜の11時頃、夜食を食べるために集まる寮内のホットドッグ・スタンドでも流れていた。この曲が収録されたアルバムは「サンディニスタ・ナウ!」という題名で、ニカラグアに樹立したばかりのサンディニスタ政権を応援するものだった。アメリカのレーガン政権は当時、社会主義のサンディニスタ政権に対して、キューバ経由でソ連のバックアップを受けているのではないかと猜疑心を働かせ、議会で否決された軍事侵攻をCIAの闇資金で行っていた。パンク・バンドが政治に物申し、ヒットを出している事実は「音楽で世の中を変えられる」という気持ちの追い風になった。デュラン・デュランやカルチャー・クラブだけじゃない。クラッシュだってヒットするんだ、と。

同じ頃、ぼくは「世界を変える前衛芸術」に出会った。ミニマル音楽の第一人者だったフィリップ・グラスのライブを観たり、現代音楽の偉人とされるジョン・ケージと直接会話する機会もあり、高揚し、アートと実験音楽に身を投じることを決意した。もう秩序はこわれてもいい。いや、むしろ積極的にすべてを疑い、すべてを壊しながら創りなおしていこう。パンクと即興演奏を組み合わせたようなグループを学内で結成し、大学の録音スタジオで演奏したり、大学OBが集まる同窓会のステージに乱入して10分間の騒音を演奏したりといった「不確定性」の活動を行った。許可を取らずに学内のスペースで演奏会を開くたびに守衛に止められ、いたちごっこが続いた。正規の手続きを経ず、ルールを破りながら演奏するからこそ、音楽で世の中を変えられる。成人式で壇上に駆け上がって騒ぐようなアートだった。自分の周りの空気は自分で作り、色をつける。それが理論だった。

この理論に意外な人物が共鳴した。1年生の1学期で誰もが知っていたあの才女の学生記者だった。1年間の間に変身し、ビート詩人となっていた。きっかけはビート文学の創始者、アレン・ギンズバーグに単独でロング・インタビューをしたことだった。その時のカセットテープにはギンズバーグがアメリカ政府によるレバノンへのPKO派兵や中米ニカラグアへの軍事侵攻を非難し、もっと自由に生き、自由に性交し、冒険し、心の旅に出かけ、チベット密教に心の平安を求めるよう呼びかけるアジテーションが収録されていた。しかもギンズバーグはバンド「クラッシュ」のツアーに同行し、舞台で詩を朗読していた。ここですべてが一つになった。これは機が熟している。やるしかない。

音楽経験のないその才女を口説いて、バンドに入ってもらった。パティ・スミスをイメージして歌ったり、語ったり、叫んだりを好きにしてもらった。なるべく原始的でシンプルな、それでいてつかみのあるグルーブを探すために、ひたすらベースを弾き続けた。この即興セッションには数多くの学生が加わり、離れ、最後には数人の中核となるメンバーが残った。全員、頭がよくて、それぞれにひと癖があった。そのグループの内輪でも日々、議論をし続けた。不確定性、有機性、連続性。色即是空。つまりは、でたらめをすればするほど世の中が変わる。だから、やることをやらなくてはだめだ。今やらなくてはだめだという話の流れになっていった。大学2年が終わった夏、才女はビートニクたちの足跡をたどり、詩を書きながら放浪する旅に出て、西海岸のカリフォルニアへ向かった。

才女が旅立った後の夏休み、ニューヨーク市内で出会った年上の女性のアパートや日本人の知人の家を転々と居候し、TBSの衛星特派員のアルバイトにつき、マンハッタンを上へ下へとひたすら歩き、チーズがいっぱい乗った「シシリアン・スライス」と呼ばれる長方形のピザをとにかく食べ続けた。音楽で世界を変えてやる。でも政治はだめだ。この理論を実証するために、ひたすら歩くという修行を続けた。ピザを食べ、マンハッタンを歩く。そんな「禅=ZEN」であった。

記事一覧
△ モーリー・ロバートソンが語る、「ぼくたちは何を読んできたか」①その青春の軌跡 モーリーのBOOK JOCKEY【第2回】 | P+D MAGAZINE TOPへ