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【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール<16>

池上彰が、歴代の総理大臣について詳しく紹介する連載の16回目。アジアの平和外交が光った、昭和の黄門様こと「福田赳夫」について解説します。

福田赳夫

第16回

第67代内閣総理大臣
福田赳夫ふくだたけお
1905年(明治38)〜1995年(平成7)

福田赳夫肖像キリヌキ_01

Data 福田赳夫

生没年   1905年(明治38)1月14日~95年(平成7)7月5日
総理任期  1976年(昭和51)12月24日~78年(昭和53)12月7日
通算日数  714日
所属政党  自由民主党
出生地   群馬県高崎市足門あしかど町(旧群馬県金古かねこ町)
出身校   東京帝国大学法学部
初当選   1952年(昭和27) 47歳
選挙区   衆議院群馬3区
歴任大臣  農林大臣・大蔵大臣・外務大臣
ニックネーム 自民党のプリンス・昭和の黄門こうもん
墓  所  群馬県高崎市足門町の徳昌寺とくしょうじ

「さあ働こう内閣だ」とみずから宣言!

福田赳夫は大蔵省で順調にキャリアを重ね、政治家の道へ進みました。政界でも大蔵大臣や外務大臣、また自由民主党幹事長など要職につきましたが、総理大臣になる機会をたびたび失しています。ようやく総理になったのは71歳のことです。在任期間はわずか2年でしたが、経済を立て直し、「協調と連帯」を基本に日中平和友好条約の締結、新東京国際空港(成田なりた空港)開港など、歴代内閣の懸案事項を次々とこなしています。また、東南アジア諸国との協力関係を重視する「福田ドクトリン」などで、「世界の中の日本」の存在感も示しました。

福田赳夫はどんな政治家か 池上流3つのポイント

1 保守政界のプリンス

名家の生まれで東京帝国大学から大蔵省にトップの成績で合格。政界に転じても、岸信介きしのぶすけの信頼を得、初当選から6年で政調会長に抜擢ばってきされ、党務・政務の要職を歴任。そのエリートぶりに、周囲から「プリンス」と称されました。「総理・総裁はされてなるもの」が信条で、党内工作などをせず、そのために総理になる機会を何度ものがしました。

2 経済安定成長論者

戦前の高橋是清たかはしこれきよ大蔵大臣の「山高ければ谷深し」という考え方が、福田の経済政策の基本です。そのため、池田勇人いけだはやと総理のように経済成長をひたすらに追う方法ではなく、山は低く谷は浅くして、安定して成長していくべきだと主張しました。この考えに基づき、福田は佐藤栄作さとうえいさく内閣の蔵相だった1965年(昭和40)、景気回復のため、戦後初めて赤字国債こくさいの発行に踏みきったのです。

3 田中角栄との政争

福田より13歳も若いながら、初当選が5年早かった田中角栄たなかかくえいは、自民党結党後、めきめきと頭角を現わしていきました。佐藤栄作総理の次は福田が総理の座につくことが確実視されていましたが、田中はポスト佐藤をめざし、あらゆる手だてを尽くして、党内で「反福田連合」をまとめ上げました。その結果、総裁選で田中が圧勝。福田と田中の対立は、休戦期もあるものの、1980年代半ばまで続きました。

福田赳夫の名言

私は事務所と家以外には、土地を持たん。
(中略)やっぱり土地を持つと、
経済政策がちゃんとできないからね。

― 雑誌の対談で(『現代』1976年〈昭和51〉10月号)

政治家の最大の使命は
戦争を起こさせないための
努力をすることだ。
― 退任後、「後輩たちへの注文」を聞かれて

成長は高きをもって尊しとせず、
成長の質こそ大事である。
― 1977年(昭和52)1月の施政方針演説で

福田赳夫の人間力

福田赳夫アイキャッチ用_01

◆弱きを助け強気をくじく「任俠にんきょう」の人

1966年(昭和41)の幹事長就任時のことを、「党の危機が叫ばれるいま、総理から懇請こんせいされれば逃げ回ることはできない。任俠の道に反する」と福田は述べている。
「任俠」という言葉を好んで使った福田には、こんなエピソードがある。大蔵省秘書課長時代、運転手をしていた男性から、「自分の職業が運転手であったために、娘が私立学校の面接で落ちた」との話を聞いた。その後、まもなく、運転手の“肩書”が「雇員こいん」から「大蔵技官」へと変更された。福田は運転手に何も語ることなく、大蔵省に変更させていたのだ。

◆エリートなのに豪放ごうほう

1930年(昭和5)にロンドンに赴任した際、上司の津島寿一つしまじゅいちの家に着任の挨拶あいさつに行ったが、津島はなかなか出てこない。そこで風呂を借りた福田は、すっかり気持ちよくなり、湯船につかりながら故郷の民謡「草津節くさつぶし」をうなった。その声があまりに大きかったので、隣家のイギリス人から「安眠妨害」と怒鳴り込まれたという。初の海外赴任初日、しかも上司の家でもおくさない、エリートらしからぬ豪放さを持っていた。

◆理念を守り筋を通す

「総理・総裁はされてなるもの」が福田の持論で、総裁選があっても田中派のような露骨な運動はしない。派閥はばつ解消を掲げると真っ先に派閥を解消し、総裁選に向け他派が活発に動き出して、周囲が「せめて事務所だけでもつくろう」といっても応じない。側近であった森喜朗もりよしろう元総理は、「あまりにもきれいごとすぎるが、それが福田さんらしいところだ。ある意味では福田さんは教育者、聖職者だ」と述べている。

(「池上彰と学ぶ日本の総理9」より)

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