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【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール<17>

池上彰が、歴代の総理大臣について詳しく紹介する連載の17回目。鈍牛と呼ばれましたが、政界屈指の知性派でもあり、アジア初東京サミットを開催した「大平正芳」について解説します。

大平正芳

第17回

第68・69代内閣総理大臣
大平正芳おおひらまさよし
1910年(明治43)~1980年(昭和55)

大平正芳肖像キリヌキ_01

Data 大平正芳

生没年   1910年(明治43)3月12日~80年(昭和55)6月12日
総理任期  1978年(昭和53)12月7日~80年(昭和55)6月12日
通算日数  554日
所属政党  自由民主党
出生地   香川県観音寺かんおんじ豊浜町とよはまちょう(旧三豊みとよ和田わだ村)
出身校   東京商科大学(現一橋ひとつばし大学)
初当選   1952年(昭和27) 42歳
選挙区   衆議院香川2区
歴任大臣  外務大臣・通商産業大臣・大蔵大臣
ニックネーム 鈍牛どんぎゅう、おとうちゃん
墓  所  東京都府中市の多磨たま霊園、観音寺市豊浜町

壮絶な衆参同日どうじつ選挙でまくろします

大平正芳ほど、在職中とくなった後での評価が違う総理大臣もめずらしいでしょう。その口の重さから、「鈍牛どんぎゅう」の渾名あだながつき、「アー、ウー総理」などと国民から揶揄やゆされます。野党だけでなく、与党からも批判にさらされ続けました。しかし、当時はその本当の姿は見えていなかったのです。
膨大ぼうだいな読書量に裏打うらうちされた、政界屈指くっしの知性。第2次オイルショックの最中に、東京サミットにおいて日本の石油輸入量を確保するために行なった奮闘ふんとう。のちにAPECエイペック(アジア太平洋経済協力)へと発展する「環太平洋連帯構想かんたいへいようれんたいこうそう」の提案。また、赤字国債こくさい依存にストップをかけるため、早すぎた消費税導入のこころみ。これらの功績は、30年をへた今こそ評価し直されるべきものでしょう。

大平正芳はどんな政治家か 池上流3つのポイント

1 屈指くっしの知性派総理

大平の一番の趣味が読書でした。政治の本に限らず、哲学書から宗教書、小説にいたるまで、ひまさえあれば読みふけります。外遊先でも必ず書店に足を運ぶほどでした。読むだけでなく、大平は多くの文章も残し、自身の政治哲学も説明しています。この知性がなかなか理解されなかったところに、大平の不幸がありました。

2 活発な外政家

第2次池田勇人いけだはやと内閣で外務大臣に就任して以来、大平は「外交の専門家」ともくされるようになります。精力的に外遊がいゆうを重ねましたが、ときに引退した吉田茂よしだしげるを訪ね、外交のりかたについて教えをうこともありました。そのなかで大平は「待つ」ことを学びます。大平が信頼したアメリカのライシャワー駐日大使は、大平のことを「未来へのビジョンをもっている」と評しています。

3 早すぎた消費税の話

大平は第1次内閣成立の際、「政治があま幻想げんそうを国民にまきらしてはいけない」と語っています。オイルショックの影響で日本の経済成長にブレーキがかかるなか、赤字国債こくさいの問題など財政再建が大きな課題だったのです。大平はいくつかの経済政策を打ち出し、消費税導入はその目玉めだまでした。ただ、当然ながら国民には不評で、党内の反発も強く、断念します。導入までには、さらに10年ほどの歳月を要しました。

大平正芳の名言

自分の将来のこともあるが、
この際は、外交をになって
田中君を支えていかなければならない。
― 1972年(昭和47)、田中角栄たなかかくえい内閣の外務大臣に就く。幹事長就任を勧めた側近へ答えて

首脳会談というものは、
って話し合うことに意義がある。
極端な場合には握手あくしゅ一つだけでもいい。
― 周囲に会談の心構こころがまえを説く

人の本当のよろこびは、
他者をめることにあるのではなく、他者のために何を奉仕ほうしするかにあると思います。
― 自伝『私の履歴書』より

大平正芳の揮毫

大平正芳揮毫_01
任怨分謗にんえんぶんぼう
大平正芳記念財団蔵
思い切った仕事をする際は、あえてうらみを買う。同僚へのそしりを自分も受ける、という意味。大平が晩年、よく色紙に書いた言葉。

大平正芳の人間力

◆忍耐の政治

官僚時代の大平は、「自慢じまんしない、愚痴ぐちをこぼさない、悪口を言わない」人物だった。大平にも、少なからず冷遇れいぐうされ、わない仕事を押しつけられた時期がある。そんなときでもめげずに、全力をつくすことこそが次のステップにつながると、大平は若いころからの経験で知っていた。

◆上に対する率直そっちょく物言ものい

大平は、上司に向かって意見を言うことが多かった。とくに池田勇人いけだはやとに対しては、「芸者のはべる宴席えんせきと、ゴルフはご遠慮えんりょください」「いったん任命なさったなら、その人にまかせるべきでしょう」など、他の者ができないような諫言かんげんもしていた。
組織内での忠告は、部下よりも上司に向けたほうがより効果が大きい。大平にしてみれば、組織の向上を考えるなら当然のことだったのだろう。

◆信頼と合意

大平の談話から「アー、ウー」を抜くと、きちんと主語・述語がそろった理路整然りろせいぜんとした文章になる。「アー、ウー」を発語する間に話の筋道すじみちを立て、言葉を選択しているのだ。池田勇人が「貧乏人びんぼうにんむぎを食え」発言で物議ぶつぎをかもした際、大平は「ボキャブラリー(語彙ごい)の選択に注意すべき」と語った。上に立つ者は言葉を信頼し、言葉で信頼を得なければならないのだ。

(「池上彰と学ぶ日本の総理10」より)

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