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【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール<22>

池上彰が、歴代の総理大臣について詳しく紹介する連載の22回目。海外経験が育んだ国家観で、数々の大仕事を成し遂げた「西園寺公望」について解説します。

日本の総理_22

第22回

第12・14代内閣総理大臣
西園寺公望さいおんじきんもち
1835年(天保6)~1924年(大正13)
DMA-P04西園寺公望_s_01

西園寺公望 1906年(明治39)1月撮影。
写真/国立国会図書館ホームページ

Data 西園寺公望

生没年  1849年(嘉永2)10月23日~1940年(昭和15)11月24日
総理任期 1906年(明治39)1月7日~08年(明治41)7月14日、1911年(明治44)8月30日~12年(大正1)12月21日
通算日数 1400日
出生地  京都市上京かみぎょう新北小路しんきたこうじ
出身校  ソルボンヌ大学(パリ大学)留学
歴任大臣 文部大臣・外務大臣など
墓  所 東京都世田谷区の西園寺家墓地

西園寺公望はどんな政治家か

1. 桂園けいえん時代

西園寺公望は、立憲政友会総裁でありながら純粋な政党内閣をつくらずに、藩閥はんばつ・官僚・政党がバランスを保つ内閣を組織しました。桂・西園寺内閣の時代は「桂園時代」と呼ばれていますが、桂と西園寺の内閣交代は両者の黙約によるものだったのです。西園寺は桂内閣の政策を継続しています。西園寺は、総理大臣・侯爵でありながら権力欲を見せず、敵からも味方からも誠実な人柄を評価されていました。

2. 最後の元老げんろう

1924年(大正13)に松方正義まつかたまさよしが亡くなり、元老は西園寺ひとりとなりました。その後、1940年(昭和15)の死去の少し前まで、天皇に後継首班を推薦し続けたのです。隠棲いんせい先の静岡県興津おきつには政財界の要人が相談に訪れるようになり、いつしか「興津もうで」という言葉まで生まれました。現役の総理時代よりも円熟した政治手腕を、元老として発揮しました。

3. 豊富な国際経験

西園寺は20代のほとんどをパリで暮らし、留学期間は9年半におよびました。これほど長期間の海外経験を持った政治家は、当時ひとりもいません。パリではのちにフランス首相となるクレマンソーらとの友情をはぐくんでいます。民権主義者の中江兆民なかえちょうみんと知り合ったのも、この留学中でした。その後も欧州の国々の公使を歴任しました。
軍部や国家主義者をきらい、日本は世界の大勢たいせいに従って動き、世界の国々から敬意を払われる国になるべきであるという西園寺の信念は、こうした豊富な国際経験に基づくものです。

西園寺公望の名言

時流に逆らいもしなければ
時流に従いもしない

――西園寺公望が自分の性格を語った言葉

西園寺公望の人間力

刻苦勉励こっくべんれい――西園寺公望
「鼻血のぼたぼた落ちるのを手で押さえながら夜通し勉強する風であった」と回想するほど、フランスに留学中の西園寺公望は勉学にいそしんだ。1875年(明治8)11月4日にパリ大学法学部の第1回受講登録を行なっている。西園寺はみずから、「正式にソルボンヌ大学(パリ大学)に入ってもっぱら法律を学んだ。経済のことも幾らかあった。学校の試験も正式に受け、そして卒業した」と語っている。事実、学籍簿に1876年(明治9)11月23日に第1学年の試験に合格、1878年(明治11)5月2日に第2学年の試験に合格したと記録されている。普仏ふふつ戦争に敗れたフランスが国を挙げて立ち直る姿をの当たりにして、西園寺は教育の必要性を深く心に刻んだのである。

(「池上彰と学ぶ日本の総理18」より)

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