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【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール<28>

池上彰が、歴代の総理大臣について詳しく紹介する連載の28回目。軍財抱合財政が特徴的だった「林銑十郎」内閣について解説します。

日本の総理_林銑十郎

第28回

第33代内閣総理大臣
林銑十郎はやしせんじゅうろう
1876年(明治9)~1943年(昭和18)
林銑十郎_01

Data 林銑十郎

生没年月日 1876年(明治9)2月23日~1943年(昭和18)2月4日
総理任期   1937年(昭和12)2月2日~6月4日
通算日数 123日
出生地  石川県金沢市小立野こだつの(旧石川県金沢町上鶴間町かみつるままち
出身校  陸軍大学校
歴任大臣 陸軍大臣、文部大臣など
ニックネーム・号 越境将軍、龍南りゅうなん静軒せいけん
墓  所 東京都府中市の多磨たま霊園、石川県金沢市の大乗寺だいじょうじ

林銑十郎はどんな政治家か 池上流3つのポイント

1 満州事変まんしゅうじへん越境将軍
えっきょうしょうぐん

1931年(昭和6)9月18日、関東軍が満州事変を起こします。このとき陸軍中将の林銑十郎は、朝鮮軍司令官でした。林は満州の国境まで朝鮮軍を送りますが、国境を越えることは海外派兵にあたり、天皇の裁可さいかをへなければなりません。しかし、林は関東軍からの救援要請を受けて、独断で満州へ兵を進めました。
この行動は天皇によって不問に付されましたが、林の決断は世を驚かせ、「越境将軍」とあだ名されるようになりました。

2 内閣で軍財抱合ぐんざいほうごう財政が進展

林内閣の大蔵大臣に就任した結城豊太郎ゆうきとよたろうは、広田内閣の膨張ぼうちょう予算を修正して、予算削減と税制改革に手腕を発揮しました。軍部は軍備増強のために軍事費増大を要求しますが、結城は、「財政当局者としては、軍部と抱き合って国政をしていきたい」という融和方針を提案します。この「軍財抱合財政」は、軍部と財界がたがいの利益を尊重しつつ手を組むという道筋をつくり、戦時下の財閥による軍需産業の独占へいたることになります。

3 食い逃げ解散の短命内閣

林内閣がはじめて迎えた議会で、昭和12年度の予算は成立しました。ところが議会の閉会直前に林は、「政党が審議に対して不誠実だった」という理由をつけて、衆議院を突然、解散してしまいます。政党は、予算通過後の解散に対して「食い逃げ解散」と非難しました。
国民も林の独断を支持せず、その後の総選挙では野党勢力が圧倒的勝利をおさめ、林内閣は123日で総辞職に追いこまれました。

池上彰の5分でわかる政策

林銑十郎内閣の「軍財抱合ぐんざいほうごう財政」

財界と軍部が連携協力した準戦時体制の幕開け

林内閣の緊急の課題は、財政政策でした。広田内閣の馬場鍈一ばばえいいち大蔵大臣は軍部に迎合し、膨張ぼうちょう予算案を提出しましたが、これは財界に大きな負担をかけるものでした。そこに登場したのが、林内閣の新蔵相結城豊太郎ゆうきとよたろうです。結城は日本銀行の出身で、当時59歳。日本商工会議所の会頭かいとうとして財界を代表する地位にあった人物ですから、財界は「われらが大蔵大臣」と歓迎しました。結城が軍部をうまく手なずけ、財界の負担を軽減してくれると期待したのです。
 1937年(昭和12)2月、結城は蔵相に就任すると、馬場予算案をいったん撤回して削減する方針をとり、馬場案の30億4000万円の予算案は28億1500万円に修正されて閣議決定されました。ただし、陸海軍省の予算は、4600万円の繰り越し使用分を含みながらも、馬場案と同額の約14億円で、全体に占める軍事費の割合はかえってアップしています。
 馬場案では、膨張予算を補う大幅な増税改革案が計画されていましたが、予算削減の見通しが立ったことにより、増税金額が大幅に減りました。そこで、馬場案の税制改革案も修正することになります。結城案では、法人所得税10割増徴ぞうちょうを5割に減らしたり、財界に負担を負わせる新税を撤廃したりして、1億7000万円を軽減しました。
 結城のこの財政方針は、「軍財抱合財政」とよばれました。これは結城が議会での答弁のなかで、「財政当局者といたしましては、軍部当局者と対立状態に置くことを避け、追従することを避け、相互に理解しあい、抱き合って今後国政をしていきたいと考えているのであります」と発言したことによるとされています。
 軍部も財政状況に理解をもち、また財政当局者も国防の必要というものに理解をもって、話し合って予算を決めていこうではありませんか、という提案です。同時に「軍財抱合」は、軍部と財界の協調も意味しました。財界は軍部と融和することで、軍需産業の増大と生産力向上のバランスを調整しようと考えたのです。
 しかし、結果として軍部と財界の協力は、その後の戦時体制下の軍需産業拡大へいたるきっかけとなっていきました。

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結城豊太郎ゆうきとよたろう(1877~1951)
山形県出身。日本銀行理事や安田銀行の副頭取、日本興行銀行総裁などをつとめたあと、林内閣の蔵相に就任。結城の在任期間は4か月と短かったが、財界と軍部の協調路線の道筋をしいた役割は大きい。

(「池上彰と学ぶ日本の総理26」より)

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