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【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール<29>

池上彰が、歴代の総理大臣について詳しく紹介する連載の29回目。増税なき財政再建で行政改革に挑んだ「鈴木善幸」について解説します。

日本の総理_鈴木善幸

第29回

第70代内閣総理大臣
鈴木善幸すずきぜんこう
1980年(昭和55)~1987年(昭和62)
DMA-P03扉鈴木善幸1_01

Data 鈴木善幸

生没年月日 1911年(明治44)1月11日~2004年(平成16)7月19日
総理任期 1980年(昭和55)7月17日~82年(昭和57)11月27日
通算日数 864日
所属政党 自由民主党
出生地  岩手県下閉伊しもへい山田やまだ
出身校  農林省水産講習所(現東京海洋大学)
初当選  1947年(昭和22) 36歳
選挙区  衆議院岩手1区
歴任大臣 郵政大臣・厚生大臣・農林大臣など
墓  所 岩手県下閉伊郡山田町の龍昌寺りゅうしょうじ

鈴木善幸はどんな政治家か 池上流3つのポイント

1 大平おおひら派(宏池会こうちかい)の大番頭

大平正芳まさよし総理の突然の死去に際して、鈴木善幸は「舞台に出て踊るのは、向いていないよ」と言っていました。ところが、大平の後の宏池会代表にされ、後継総理に推挙されることになりました。長期にわたり自由民主党の総務会長を務めて党内の意見調整を行ない、宏池会の取りまとめ役でもあった鈴木の温厚な人柄が、田中角栄たなかかくえい福田赳夫ふくだだけお両元総理をはじめ、他の派閥はばつの支持を得ることになったからです。

2 地元三陸さんりくの振興に貢献こうけん

1933年(昭和8)3月3日、三陸沖地震で三陸沿岸を襲った大津波に、鈴木は郷里の岩手県山田やまだ町で遭遇そうぐうしました。その体験が鈴木の政治活動の原点になり、三陸各地の漁港の整備や三陸鉄道の開業など、三陸地方の振興に尽くすことになったのです。また、海難事故で父親を亡くした子どもたちのために、財団法人漁船海難遺児育英会を発足させてもいます。

3 の政治

「たんに足して二で割るといったような安易あんいなものではない。調整という過程を通じて、おのずから鈴木政治の方向、政策がにじみ出てくるようなものにする」と、鈴木は総理就任時に自分の任務について述べています。政府および自民党の調整役として円滑えんかつな政治を行なうこと、それが「和の政治」であると強調したのです。

鈴木善幸の名言

足らざるを憂えるのではなく
等しからざるを憂える政治が
生涯変わらない私の政治理念だった。
—― 国会議員を引退したのち、現役時代を振り返って述べた言葉

鈴木善幸の人間力

◆ 公正、平等の論理
鈴木善幸は、「私は総理・総裁の座をねらって政界に身を置いてきたのではない。従って、歴代総理のように政策を掲げて総理の座を争ったわけでもない」と語り、「自由民主党の政策がすなわち党総裁である私の政策だ」として、みずからの立場を明確にした。
そして、「公正を追求する政治」を唱え、「足らざるをうれえる政治よりも等しからざるを憂える政治」との理念を信条とした。
鈴木の歩んできた道程から、自然にほとばしり出た言葉である。

DMA-P04鈴木竹下_01
1989年(平成1)5月29日、竹下登総理の訪問を受ける鈴木善幸元総理(左)。

(「池上彰と学ぶ日本の総理12」より)

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