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【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール<30>

池上彰が、歴代の総理大臣について詳しく紹介する連載の30回目。調整力と気配り術で巨大権力を掌中にした「竹下登」について解説します。

日本の総理_竹下登

第30回

第74代内閣総理大臣
竹下登たけしたのぼる
1924年(大正13)~2000年(平成12)
DMA-P03扉竹下登1_

Data 竹下登

生没年月日 1924年(大正13)2月26日~2000年(平成12)6月19日
総理任期 1987年(昭和62)11月6日~89年(平成1)6月3日
通算日数 576日
所属政党 自由民主党
出生地  島根県飯石いいし掛合かけや村(現島根県雲南うんなん市掛合町)
出身校  早稲田わせだ大学商学部
初当選  1958年(昭和33) 34歳
選挙区  衆議院島根全県区
歴任大臣 内閣官房長官・建設大臣・大蔵大臣
墓  所 島根県雲南市掛合町の竹下家墓地

竹下登はどんな政治家か 池上流3つのポイント

1 消費税導入

竹下登総理の最大の政策課題は消費税導入でした。そのため、閣内・党内の重要ポストに有力者を起用したのです。大蔵大臣には中曽根康弘なかそねやすひろ内閣の消費税導入の責任者だった宮沢喜一みやざわきいちを、官房長官と官房副長官には側近の小渕恵三おぶちけいぞう小沢一郎おざわいちろうを置きました。総務会長に消費税の党側の責任者だった伊東正義いとうまさよし、政調会長には蔵相経験者の渡辺美智雄わたなべみちお、税制調査会長にベテランの山中貞則やまなかさだのりを任命したのです。

2 ふるさと創生そうせい

総理になる少し前、竹下は『素晴らしい国・日本 私の「ふるさと」創世論』という本を著わしました。その中で「日本人として、しっかりとした生活と活動の本拠を持つ世の中を築き上げること」が重要だと述べています。たんなる国土の開発や地域の振興に終わらない「ふるさと創生」を、竹下はめざしました。

3 政界の「おしん」

竹下は佐藤栄作さとうえいさく内閣の官房長官に抜擢ばってきされ、大平内閣の蔵相に登用されています。これが政界での飛躍につながったのです。田中たなか派の中でも有力な総理候補でした。しかし田中角栄かくえいは自派の竹下の台頭たいとうを喜ばず、押さえ込みました。苦労に耐えながら、慎重な気配りで総理をめざす竹下の姿は、当時のテレビドラマの主人公になぞらえて「おしん」と呼ばれていました。

竹下登の名言

愚者は経験を語り、
賢者は歴史を語る。
—― 1994年(平成6)5月19日、東京プリンスホテルで開かれた「古希を祝う会」で

私の一身を燃え尽くさねばならない。
—― 1988年(昭和63)7月24日、自民党の軽井沢かるいざわセミナーで税制改革に対する決意を述べる

竹下登の揮毫

DMA-P32竹下登揮毫_01
竹下登筆「我が道を行く」
竹下登記念館蔵
重大な政治決断は「政治という無限の理想への追求に沿っているかどうか」によって判断されるという竹下総理。大平正芳内閣以来、紆余うよ曲折を経て約10年がかりで消費税導入をはたした竹下総理にふさわしい。

竹下登の人間力

強靭きょうじんな意志力

竹下登は、目標実現のためには自分を殺し、どんな屈辱くつじょくにも耐えた。石橋どころか二重橋までたたいて渡るほどの慎重さと気配りによって、人脈を広げ、キャリアを積み重ねてきた。「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう」が政治信条で、これが竹下を派閥はばつのトップ、ひいては総理の座に押し上げる原動力となった。
権力抗争を勝ち抜いてきた竹下の強靭な忍耐力と意志力は、人には言えない苦悩や厳しい経験を耐え忍んできたがゆえに、身につけられたものだろう。

(「池上彰と学ぶ日本の総理12」より)

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