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認知症の出始めた母と暮らした十八年。着実に広がりつつある在宅介護の輪とは?

2013年『月下上海』で第二十回松本清張賞を受賞した山口恵以子。今年の3月に刊行された新刊『いつでも母と』は、認知症の出始めた母と暮らした18年を綴った一冊。介護というほど深刻でなかった時期も目の前で起こる出来事はすべて初めての経験だったといいます。「世の中は情報で溢れているが、自分一人だと選ぶ情報に偏りが出る。他人の視点が入ることで一気に視界が開けることもある」と語る著者の「在宅介護」とはどのようなものだったのでしょうか。

 

自著を語る3
山口恵以子
『いつでも母と』


月刊 本の窓 2020年6月号

 

介護難民にならないで

 母は二〇一九年の一月十八日早朝、自宅で亡くなった。私は最後までそばに寄り添い、手を握っていた。母は少しも苦しむことなく、安らかに、眠るように逝った。
 二〇〇〇年の六月に父が急死すると、それまで年齢より若々しくしっかりしていた母は、坂を転がり落ちるように老い衰え、三年でまるで別人になった。私を守ってくれる頼りになる人から、私が守ってあげないと生きていけない人になってしまったのだ。
 しかし、二〇〇三年が踊り場で、それ以降はゆっくりと下降線をたどって行った。介護度でいうと要介護2の時期が一番長かった。
 私はこのまま百まで生きて、ソフトランディングするのだろうとタカをくくっていた。それが二〇一八年の初め、急激に体調を崩し、私は一時死も覚悟した。幸いその時は持ち直したのだが、七月末に足をくじいたのが引き金で再び体調が悪化し、九月初めに直腸潰瘍からの大出血で救急搬送された。
 それ以降、母はベッドから出ることは出来なくなった。入院中に介護度は要介護2から5に引き上げられた。紆余うよきょくせつを経て十一月には退院して在宅介護になったものの、十二月には感染症で再び救急搬送され、死の宣告を受けた。私は「どうせ死ぬなら家で死なせたい」と、看取りのために再び母を自宅へ連れ帰った。
 通常、まったく栄養補給のない状態では余命二週間と言われる中、母は三週間近く命を永らえ、私と兄たち三人の子供に別れを惜しむ時間を充分に与えてから旅立ってくれた。おまけに年末年始は避けてくれた。本当に最後まで子供孝行な母だったと思う。
 この作品は認知症の出始めた母と暮らした十八年を縦糸に、それ以外の様々な出来事を横糸に、私と母の二人の人生を一枚の布に織り上げたドキュメントだと思っている。
 人気MCの垣花かきはなただしさんはラジオ番組で「介護記録というより、山口さんがお母さんに向けて書いた手紙を読んでいる気持ちがした」とおっしゃって下さった。何よりのお言葉が胸に染みる。
 介護と言うほど深刻でなかった時期も、看取りのために自宅に引き取ってからも、私にとっては目の前で起こる出来事はすべて初めてだった。だから、声を大にして申し上げたい。
「一人で抱え込まないで下さい。相談できる人を作って下さい。出来ないことは専門職の人にお願いしましょう」
 私は母との関係は親子という個人的なものだと思っていたので、職場の同僚Aさんの助言がなかったら、介護保険という社会制度の利用など考えられなかった。それ以外にも、介護や福祉に詳しいAさんの助言に、どれほど助けられたか分からない。
 世の中は情報であふれているが、自分一人だと選ぶ情報に偏りが出る。他人の視点が入ることで一気に視界が開けることもある。
 そして在宅介護についても、世の中の人はまだよく知らない。
 私の個人的な体験を通して、一人でも多くの方に在宅介護について考えていただけたらと願っている。
 今年の一月、二軒隣のお宅のご主人が亡くなった。葬儀の席で家族の方に「実はうちも自宅で看取りました」 と打ち明けられた。主治医のY先生は、母もお世話になった訪問医さんだった。在宅介護の輪は広がっているのだ。
 私と母は六十年の長きにわたって二人三脚で歩いてきた。住む場所はあの世とこの世に分かれても、二人の二人三脚はこれからも続いていく。もう一周忌が過ぎたが、今もそう思っている。

 


『いつでも母と』
山口恵以子/著
本体1,200円+税
小学館・刊 新書判 288ページ 大好評発売中
ISBN 978-4-09-396547-7

プロフィール

山口恵以子(やまぐち・えいこ)

一九五八年東京都江戸川区生まれ。早稲田大学文学部卒業。会社勤めのかたわら松竹シナリオ研究所で学び、脚本家を目指してプロットライターとして活動。その後、丸の内新聞事業協同組合の社員食堂に勤務しながら小説を執筆し、二〇一三年『月下上海』で第二十回松本清張賞を受賞。著作に「食堂のおばちゃん」「婚活食堂」シリーズほか多数。

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