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『ちえもん』の著者・松尾清貴が辿り着いた、櫛ヶ浜神社の寄進者・村井市左衛門とは……?

松尾清貴の新刊『ちえもん』の主人公、村井屋喜右衛門信重は櫛ヶ浜で生まれた廻船商人。著者が櫛ヶ浜神社の鳥居に見た名前「村井市左衛門」とは一体誰なのでしょうか……。

 

自著を語る1
松尾 清貴
『ちえもん』


月刊 本の窓 2020年11月号

 

陸から見る海の風景

 二〇一五年八月十七日、山口県周南市のくしヶ浜へ行った。台風の影響でJR山陽本線のダイヤが乱れていた。徳山駅から一駅、五分足らずの近場だが、天候不良のため電車は一時間に一本もなかった。ちょうど電車が来ると駅員さんに教えられ、慌ててホームを走ったのを覚えている。
 櫛ケ浜駅を降りると、まっすぐ海へ向かった。小雨がぱらついていた。護岸された海辺には歩道が延び、離れた浜に工場が見えた。
 海辺を歩き回って写真を撮ってから、引き返した。車道を渡ったところ、埋め立てる前は浜辺だっただろう場所に、櫛ヶ浜神社という社があった。大きな神社ではなかった。
 天保十二年(一八四一)六月吉日建立。祭神は天照大神の御子五男神と三女神で、八王子様とも呼ばれる。
 鳥居に、村井市左衛門という寄進者の名前を見た。

 本作の主人公、むら井屋喜いやき右衛門信重
もんのぶしげ
は櫛ヶ浜で生まれた廻船かいせん商人だった。海で生きる民である。後に永世みょう帯刀たいとうを許されたとき、その屋号にちなんで村井喜右衛門と名乗った。喜右衛門には一男三女があった。息子の名は正豊といった。
 晩年の喜右衛門は日頃から、「死ぬ三十日前には前もって知らせる」と櫛ヶ浜の人々に言っていたそうだ。文化元年(一八〇四)七月、体の不調を感じた喜右衛門は村中の家を回って挨拶し、墓参りを済ませ、帰郷した弟とも会った後、八月四日に他界した。
 息子の正豊にはこう遺言した。
「人には向き不向きがある。お前は我が家の商売を継いではならない。役人としてろくを受けよ。家業はすべてお前の叔父が責任をもって取り仕切ってゆく」
 正豊には、武士として生きるように求めた。自身が生涯を過ごした海から息子を遠ざけたのは、親心だったのだろうか。

 喜右衛門の死から三十七年後に建てられた櫛ヶ浜神社の詳細については調べなかった。天気は悪くなる一方で、気づけば、辺りに人影もなかった。
 果たして寄進者の市左衛門は、村井正豊だったのか、その息子だったのか。いずれにせよ、村の有力者だっただろう。そのとき私は、村井家では馴染なじみ深かったはずの市兵衛から市の一字をとったらしいその名前が気になった。市兵衛は喜右衛門の大叔父で、かつて櫛ヶ浜の屈強な船乗りだった。
 市左衛門は、櫛ヶ浜とともに生きた。天保年間とは、各地で数年にわたって不作に見舞われた時期である。全国的な飢饉が天保十年まで続いたとも言われる。もとより櫛ヶ浜は豊かな村ではなかった。この神社が建立されたのは、天保十二年。神頼みであるとともに、村人を工事に雇って賃金を与える、お救いであっただろう。市左衛門は、貧者に徳を施した有徳者のひとりだったに違いない。
 櫛ヶ浜から見る徳山湾は広大に映った。その先に瀬戸内海があり、さらに先にまた大海が続いていると想像すると、なんだかそら恐ろしい気さえした。
 私は鳥居の前にたたずみ、村井市左衛門とともに風が強まってゆく海を眺めた。

 


『ちえもん』
松尾清貴/著
定価:本体1,900円+税
小学館・刊
四六判 448ページ
大好評発売中
ISBN 978-4-09-386573-9

プロフィール

松尾 清貴(まつお・きよたか)

一九七六年福岡県生まれ。九五年、北九州工業高等専門学校中退。九七年までニューヨーク在住。二〇〇四年『簡単な生活』でデビュー(『あやかしの小瓶』と改題して文庫化)。他の著書に『エルメスの手』『偏差値70の野球部1~4』『真田十勇士1~7』『南総里見八犬伝1~4』などがある。

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