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文学女子の金沢さんぽ【第5回】徳田秋声という境地! 悲しみを悲しまなくても悲しくて。

本が大好きなアナウンサー、「竹村りゑ」が、名所がたくさんある町・金沢から、文学にまつわる見どころを紹介していく連載。古都を歩きながら、物語の世界を深堀りしていきます。第5回目は、金沢三文豪の1人である徳田秋声がテーマ。秋声にゆかりのある「ひがし茶屋街」近辺を歩きながら、文豪の魅力に迫ります。

  金沢といえば、どんなイメージでしょうか? 美味しい海鮮丼に、お洒落な金沢21世紀美術館、古い町並みも残されていて……、そんな答えが返ってくるかもしれません。しかし実はその一方で、金沢は数多くの作家や物語が生まれてきた文学の町でもあるのです。
 「文学女子の金沢さんぽ」では、読書好きアナウンサーの竹村りゑが、文学から見た金沢の魅力を美しい街並みとともにご紹介します。
 連載第5回目は、金沢三文豪の1人である徳田秋声がテーマ。秋声にゆかりのある「ひがし茶屋街」近辺を歩きながら、文豪の魅力に迫ります。金沢のあちこちをお散歩しながら、物語の世界を深堀りしていきましょう。

【初夏の金沢から】

 初夏の風の清々しさは格別です。どこまでも晴れ渡る空の明るさや、日に日に色濃くなっていく緑の香りを一層引き立てるようで、私はこの季節の風を感じるのがとても好きです。
 金沢には犀川と浅野川という2つの川が流れていて、この季節になると河川敷を散歩する人の姿が多く見られます。かく言う私もその中の一人。川から吹く風の清々しさを味わいながら身体を動かすと、とても健康的な時間を過ごしているような気がして気持ちが良いです。友人とのランチも、カフェではなく河原でピクニックに誘ってみるなど、何かと初夏は川の近くで過ごしたくなります。せせらぎの音にも癒やされて、のんびりした気分を味わう贅沢なひとときです。

 今回のお散歩エリアは、金沢の風情が色濃く残るひがし茶屋街です。江戸時代から明治初期にかけて建てられた茶屋建築が数多く残されていて、歩いているとまるでタイムスリップしたような気持ちになれる場所です。国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。

 ひがし茶屋街は、江戸時代後期の文政3年(1820年)に、加賀藩が金沢城下に点在していたお茶屋を「ひがし」と「にし」にまとめ、開業許可を出したことに始まると言われています。ひがし茶屋街、にし茶屋街、そして明治時代に造られた主計町茶屋街は金沢三茶屋街と呼ばれ、観光客にも特に人気のスポットです。

 道に面した一階には、「木虫籠きむすこ」と呼ばれる、細い出格子がずらり。

 建物を活かしてカフェや土産物店になっているところも多いので、誰でも気軽に歴史ある建物を楽しむことができます。レンタル着物を着て散策する人の姿もよく見かけます。

 ひがし茶屋街にゆかりのある作家といえば、金沢三文豪の1人、徳田秋声です。
 明治4年(1871年)に金沢に生まれた秋声は、ひがし茶屋街のある東山で青年期までを過ごします。そして25歳で上京した後に、自然主義文学の大家として文壇で重要な位置を占める作家となるのです。活動拠点は東京にありましたが、金沢を舞台にした小説をいくつも遺しています。

 金沢にまつわる作品の1つが、昭和8年(1933年)に63歳の秋声が発表した『町の踊り場』です。東京で生活をしていた秋声が、姉のキンが危篤という連絡を受け、故郷の金沢に帰省し葬儀に参列するという、私小説的な物語です。
 タイトルの「踊り場」とは、社交ダンスを踊るダンスホールのこと。当時、社交ダンスはヨーロッパやアメリカから取り入れられたばかりでした。秋声は流行り始めの社交ダンスに夢中になり、この物語の終盤でも姉の葬儀の後に踊りに出かけています。
 作品には、当時のひがし茶屋街近辺の風景が描かれ、中には今でも大切に保存されている建築物もあるということ。金沢さんぽには、ぴったりの作品です。

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