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【連載第4回】公儀厠番 -うんこ侍後始末- 房州、鑓の品地武之進久尚 嘉門院彷楠・作

武之進は、直属の上司である浅間伝兵衛に、事の次第を報告。下役人長屋に帰宅したのは夜もだいぶふけたころだった。女房のおみねが、「だんなさま、おかえりなさいませ」と、一日の労をねぎらう。武之進は、やや遠くをみるように目を細め、事の次第をおみねに聞かせるのだった。すると、おみねの尻のあたりから何かが現れる。幻を見たかと驚く武之進だったが……?

女房のおみねに事の次第を話す武之進だったが……。

 この日の夕刻、武之進がそろそろ浅間伝兵衛に事の次第を報告しているころ、屋敷内のかたわらに別棟として立てられている中間控えでは、一日の後片付けも終わって渋茶などを飲みながらキセル煙草を燻らして中間小物どもが武之進の噂話をしている。
「いやあ、驚いたの何の。あの品地さまがなあ」
「ああ、てめえもそう思ったかよ。なにしろ、あの品地様だ。忠臣蔵の大石蔵之助が昼行灯だとしたら、あの品地氏は昼のお灯明か、とお仲間衆からいわれているぐらいの有り様だからなあ」
「おうよ。その通りだ。普段はうんこ侍の汚穢おわい屋武之進などと御同輩のかたがたから、散々にからかわれている御方がなあ。日がな一日、お座敷のかたわらでそろばん勘定しているのが関の山かと思っていたのがなあ。いやあ、おっとろしいもんだな。ああいうのを、本気をだすというのか。本性を現すというのか。噂によると品地さまのお宅はなんでも代々、鑓一筋のお家柄と聞くぜ」
 常日頃は件の金肥を近隣の農家に納めるための収支を計算するそろばんを弾き、そんなお役目もそこそこに、明るい日差しを求めて廊下に陣取り、軍記ものやら滑稽な頓智ものの草双紙などを日がな一日、飽きもせずに眺めている武之進であった。
「お武家様といえば、その昔は、どちらも鑓一筋といわれるが、どうも昨今はお座敷の長押の上で埃を被っているのが関の山だというじゃないか。床の間の大小もお飾りだというぜ。それを、品地様は、どこでご修行したのか、いざというときに備えていたことになるって寸法か。いや、たいしたものだ。おいらは見直したぜ」
「おきゃあがれ、お前なんぞが、どうしてお武家様を、見返すなんてことがあるものか」「ちげえねえや」
「品地様のお宅は、確かに鑓一筋とは聞いている。それはそうと忠臣蔵といえば、今度の中村座の出し物は観たのかよ」
「ああ、先代ほどじゃないにしろ、あの師直はよかったねえ」
 と一端の通を気取っている。
「いやあ、それはそうだか、あの判官じゃあ、どうもいけねえや。どだい、あんなにしゃっちょこばって偉そうにしていれはいいっていうもんじゃねえや」
「まったく、先代の爪の垢でも煎じて飲めってんだ」
「はあ、そんなもんかねえ」
 といつの間にか話題は最近、観たという歌舞伎の話題に移っていた。

 戦国の世にあっては武家の誉れは一番鑓、敵方の大将の御印をいただくのが主君へのご奉公であった。
 ゆえに侍の家に生まれたからには、まずは鑓を習得するのが習いであった。
 戦場では騎馬した武者が、大音声も勇ましくお互いに名乗りをあげてから一騎討ちとなる。見事に相手の首をはねれば勝ち名乗りをあげて武運を誇るというものであった。
 しかし、時代は下って戦法も変わる。雑兵共が大勢で十尺から二間もの長さがある鑓襖を構えて馬上の武将を遠巻きにすると滅多やたらに突き上げて、なますのごとくに突き殺すという凄惨なありさまとなる。
 こうなると鑓の存在も次第に下級武士のものとなり、武将は馬上にあって群がる雑兵ばらを、刃渡り四尺、五尺という長大な太刀を降り下ろして切り捨てるということになってくる。
 そもそも、原野を騎馬で進軍する、かつての合戦ではそんな長い刀を腰に差せるわけがない。騎馬した武将の脇に従者が担ぐようにして太刀を掲げて一緒に駆けるものである。 いざというときは、その従者が掲げた太刀を、馬上から手を延ばし、えいやあと抜き放つことになるのだが、そんな接近戦になるのは、どちらかというと敗色濃く、すぐそこまで敵の軍勢が迫ったときということになる。
 勝負はそれ以前に決していようから、滅多なことで四尺以上もある大太刀を抜いたりしなかったのではないだろうか。
 柄も含めると六尺近くにもなる長い得物を握りしめて、ご主君に遅れてはならぬと疾走する馬の後を追う従者も大変であったことだろう。
 そうこうしているうち南蛮渡来の火縄銃が主戦場における重要な位置を占めるようになると、雑兵の鑓襖も心もとなくなってくる。
 そんなこんなのうちに徳川の御世となり平安な日々がつづくことになる。
 そうなると、徳川のご時世では太刀も鑓も半ば身分を表すお飾り同然となっていったのであった。
 長い鑓は無用のものとなり、精々が大名行列の先頭をきってこれ見よがしに、その権力のほどを見せびらかす道具となる。
 また、四尺、五尺という太刀も帯にたばさむには長すぎるとして短く切断されてしまうのだった。
 馬上から振り下ろす四尺ばかりの大太刀も刷りあげて(柄のほうを切断して短くすること・筆者注)、二尺五寸ばかりと刃渡りを短くこしらえを作り替えて腰に履くようになる。
 まして差し渡しが十尺近くにもなろうかという大仰な鑓を四六時中携帯するわけにもいかない。鑓は床の間のある座敷の鴨居に掲げられ、埃を被っているという有り様となる。ちなみにいずれは詳述することになると思うが、武之進が用いる鑓は差し渡しが穂先から石突きまで六尺ほどの、俗に手鑓と称せられる、鑓一般の中ではもっとも短い部類にはいるものである。
 閑話休題(それはさておき)
 その日、件の浪人の亡骸を見つけてから上司に報告などをして、珍しく仕事らしい仕事をしたお役目を終えた武之進が井桁藩江戸屋敷の敷地内にある下役人長屋に帰宅したのは夜もだいぶ更けたころだった。
 五軒長屋の右から二軒目、一間幅の引き戸を開けると、そこがたたきになっていて、右手には簡単な煮炊きができるへっついがしつらえてある。
 上がり框の向こうが四畳半ばかりの板の間で、向かって左手の畳敷きの六畳間へとつづき、その先に名ばかりの縁側、猫の額ほどの中庭があり、その縁側の脇が厠になっている。
 武家の厠は侍は上等なものを食べているから出るものも上等だろうということで金肥と呼ばれて近隣の農家に珍重されていて、馬鹿にならない収入源であった。
 武之進自身もこのわずかばかりともいえない武家の収入の生産者であった。自分自身だろうと女房のおみねだろうと、この厠に入って用便をたしている音を聞くと、それがさながらそろばんの玉をはじく、快い音に聞こえるのは、何も武之進が常日頃、ひとに聞こえない音が聞こえてしまうからばかりではなかった。
 それは、まさにお役目大事の発露であった。この音が聞こえれば当藩の収入の助けになるのだと、武之進は得心している。
 それはともかくとして、小藩ゆえのわび住まいである。そんな棟割長屋が向かい合って十家族ほどが軒を連ねて仲良く住んでいる。
 引き戸を開けた武之進が、今帰ったよ、とたいした距離はないのだが奥に声をかける。 二年前に娶ったばかりの女房、おみねが奥の六畳間から弾かれたように駆け寄り、三つ指ついて、今日一日の労をねぎらい、だんなさま、おかえりなさいませ、と言う。
「はい、ただいま帰りました。遅くなって悪かったなあ」
 武之進は形ばかり、たたきで着物の袖と裾のほこりをはたく。
「なあに、手内職のはかが行きましたよう」
「ほんとうだ、ちげえねえや。ご苦労さんだったね」
 おみねはお歯黒の口元に左手をかざして、いやですよう、と微笑んだ。
 武士とはいえ、このぐらいの役職では亭主も女房もなんらかの家系の一助として手内職をして糊口をしのぐものである。
「今日、遅くなったのには、ちょいとしたわけがあってなあ。まあ、聞いてくれ」
 腰から長いものを引っ張りだして形ばかりの床の間の刀かけに置き、六畳間に置かれた長火鉢の横に座をとると、おみねがかねて用意の四合徳利を重そうに傾け、武之進が手にした白磁の猪口に酒を注がれながら、そう切り出した。
「お屋敷のうら、ほらさ、仙台坂に向かった抜け道になっている裏の路地さ。それはお前も知っているだろう。そこに朝っぱらから、おろくがころがっていやだったのさね」
「あら、いやだよう。食べるものにも事欠いた、おこもさんか何かかねえ」
 江戸が繁華とはいえ食い詰めたものどもが路上を徘徊し、物乞いができるうちはいいけれど、それも立ち行かなくなるとそのまま道端でこと切れていることも少なくはなかった。
 酒は横丁を曲がって仙台坂にかかろうという坂下に店を構える酒屋で量り売りしてもらったもので、水で割ったものか馬鹿にあっさりとしているが、贅沢は言えない武之進の生活であった。これはこれはとして、さも美味そうに杯を口に運んでいる。
「それがそうじゃねえんだ。そんじょそこらの、ただの行き倒れじゃねえんだよ。身なりだけはれっきとしたお侍だ。まあ、食い詰めたのか、だいぶ貧しい身なりだったよ。かなり汚れてはいたが、昔はきちんとしたものだったようだよ」
 武之進はやや遠くをみるように目を細める。彼の心中には、世が世ならば、明日は我が身か、という心配があった。
「それで、どこのどなたと……」
「それがわからねえのさ。どうしたものかとも思ったが、まあ番所に届け出るのがせいぜいさね。武家の亡骸が、当藩江戸屋敷の門前にありましたが、こちらで懇ろに弔いました、ということだ」
「ほんにねえ。お題目の一つも唱えて、きちんとしてさしあげなくちゃ、後生が悪いよ。それでも、お前様、関わりになったりしたら、いけませんよ」
「それはそうなんだが、関わるのがお役目だ。ついさっきもお屋敷内で浅間さまに小言をいわれたんだが、確かにお役目はまかない方の下働きではあるものの、これでも武士の端くれだ。何かあれは、押っ取り刀ですわ鎌倉とかけだすよ。まして、中間からの報告をきいて、いの一番に駆けつけたのは、ほかならねえ、おれなのさ。だから、関わるもなにも、上の方に詳細を申し上げるのも、拙者の役目というわけさ。しかも、ただ亡くなっていたわけじゃないんだ。真っ向唐竹割りに切られていた」
 聞いたおみねが、しぇえと息を飲んで一尺ばかりも後退ると、右手の袖で顔を覆うようなしぐさをして、くわばらくわばらと唱えながら横座りになった。
「いやですよう。それを先に言っておくれな。おどろくじゃないかね。だったら辻斬り、試し斬りのたぐいかねえ」
「いや、悪い、悪い。ともかく普通の病死や行き倒れなにかではないのだ。それで御家中でも多少の談判があったというわけさ」
「それで、遅くなられたかえ」
「まあ、そんなところだ」
 茶碗に盛られた冷や飯に湯冷ましの白湯を注いで武之進は一気に食べ終えた。それに数切のキュウリの浅漬けで夜食のつもりである。
 本日の事の顛末のあらかたを女房に告げて、御酒を杯に数献もいだだいて、武之進はようよう一息ついたという塩梅になった。
 ふと、へっついに立って皿小鉢を洗おうとしているおみねの後ろ姿を振り返るようにして見上げた武之進はおみねの尻辺りから犬の物だろうか狐のものであろうか、太い赤茶けた尾っぽが垂れて、ふさふさとした毛をなびかせるように左右に振っているさまに、驚いた。

 そんなことは毎度のことなのだが、武之進にしてしみれば、犬ならまだしも狐にはいささかも縁がある。そのことはおいおい語るとして、さしもの武之進もいつになく少しばかり身震いする思いであった。
 何もこんな日に限って、こんなものは見たくもなかった。
 尾っぽを盛大に左右に振っているは犬がうれしいときのことだと聞いているのがまだしもではあった。
 と、武之進が思ったのを気づかれたのか、おみねが武之進をふりかえると、婉然として微笑みかける。そのときにはすでに犬だか狐だかの尻尾は消え失せているのだった。

<続く>
※次回は7月4に配信予定。

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