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【連載第11回】公儀厠番 -うんこ侍後始末- 房州、鑓の品地武之進久尚 嘉門院彷楠・作

五代前の藩主、藤倉備前守義友が病の床についた。夜毎、枕元に得体の知れない妖怪が現れて苦しめたという。いっこうに回復の兆しがない。もう如何様な手だても残されていないと思われた。お局連中はただただ神仏に祈るばかりで、やれ仏門に入るだの、身代わりに短刀で喉をつくなど物騒なことを言い出している。いったい、いかなる御世のいかなる御方の祟りであろうか、などともっともらしい談義が朝から晩まで、ひっきりなしにつづいているが、一向に埒があかない。それを聞いた、時の近習一の使い手と言われた佐倉信之助が殿の寝所の外に袴立ちたすき掛けで参上し、夜通し裂帛の気合とともに真剣を振るって寝ずの番をしたが……。
 

寝ずの番で、物の怪を退治…!?

たとえば、こんなことがある。
 五代前の藩主、藤倉備前守義友が病の床についた。
 夜毎、枕元に得体の知れない妖怪が現れて苦しめたという。
 高熱にうなされ幻覚でもみたのであろうか。そしておびただしい汗をかく。もとより食べ物も飲み物ものどを通らない。
 これは御家の一大事である。
 しかし、法力あるという藩内の名僧を招いて加持祈祷を頼んでも、陰陽師に御祓いをしてもらっても、薬師にあやしげな煎じ薬を造らせても、いっこうに回復の兆しがない。
 もう如何様な手だても残されていないと思われた。
 お局連中はただただ神仏に祈るばかりで、やれ仏門に入るだの、身代わりに短刀で喉をつくなど物騒なことを言い出している。
 いったい、いかなる御世のいかなる御方の祟りであろうか、などともっともらしい談義が朝から晩まで、ひっきりなしにつづいているが、一向に埒があかない。
 それを聞いた、時の近習一の使い手と言われた佐倉信之助が殿の寝所の外に袴立ち、たすき掛けで参上し、夜通し裂帛の気合とともに真剣を振るって寝ずの番をした。
 これにて物の怪を退散させようという腹積もりなのだった。
 そうしたところ、佐倉が太刀を降り始めてから三日目の朝、なにがおこったのかは分からないが奇跡的に備前守の熱が下がり平癒した、いう言い伝えが、井桁藩にあった。
 こうしたことが、いつしか決まり事になるのが当時の習わしであった。
 爾来、藤倉備前守義友が床に就いた戊子の大寒の夜半から、佐倉信之助が寝所の前に立った三日三晩、近習一の使い手が大奥の御寝所近くで寝ずの番をはたすという、はなはだ当事者には迷惑な風習がはじまり、次の世代へと申し送りになるという取り決めがはじまった。
 すなわち干支が回る十二年ごとに執り行われる厳粛な儀式ではあるが、習いはいつしか形骸化するものであるが、同時に一度決められた決まり事がなくなるということはない。 殿の御寝所間近で、たとえ信任の篤い近習とはいえ、真剣を振るうというのも、いまとなってはいささか物騒である。
 まして裂帛の気合などを夜通し発せられたら、当の殿様の安眠を妨げること甚だしい。 なんのことはない、うるさくて眠れないというのだ。近習のほうでも、ここ一番のご奉公ということで、ここぞとばかり蛮声を張り上げて真剣を打ち込むものだから、枕元でそんなことを三日三晩もやられたのでは、たまったものではない。
 殿様のほうからも注文が出て、寝ずの番は本丸御殿から御寝所につながる奥御殿との間にかけられた渡り廊下の下、わずかばかりの、といってもなかなかに広い中庭で、と新たに取り決められたというから、伝統を守るなどとはいっても存外、いい加減なものである。
 また腰の物は長大な真剣、というのも物騒だということになり、脇差しはともかくとして、振るうのは木刀と決められた。しかし、三日三晩、不眠不休で木刀を振るうことには変わりはない。
 寝ずの番はなかなかに骨の折れるものである。
 妖怪に呪われて高熱を発したといえども、その実態は風邪をこじらせたたぐいのものであった。すなわち、この寝ずの番をやらなければならないのは真冬も厳寒のころであった。
 歴代の近習のうち、何人かがこれまでの歴史の中で、この一種の荒行が原因で命を落としているという。
 寝ずの番に際して、まさか掻巻をかぶって火鉢にあたっているわけにもいかない。
 悪霊が現れたらただちに応戦して撃退しなければならない。目には見えない妖怪を退散させようとして、闇夜に向かって木剣を振り下ろしつづけるのだ。
 だから、羽織を羽織るでもなく、一重ものの稽古着のようなものに袴立ち、たすき掛けで鉢巻きを巻き、裸足で仁王立ちとなる。もとよりこの季節としては普段よりも薄着になる。
 それに耐えられずに倒れるのだ。つまり凍死であり、過酷なものである。
 家訓を守るのも命懸けだ。
 そんなことで、毎度のことながらなり手がない。自薦であれば重畳であるが、存外、そんな腹の据わったものがいないのだ。
 まだ乳飲み子がいるので、とか、老母の世話が、などといってお役目をご遠慮させていただくとう異口同音に申し立てる。困ったものである。
 そんなところへ、武之進の名前があがった。
 腕がたつというばかりが理由ではない。道場でしたたかにこらしめられた同輩共がこぞって推挙した結果なのだ。
 藩内の道場では何人もの人間が一つ屋根の下で修練を積んでいる。それなりの確執はあるものなのだ。
 上手く不寝番のお役目を努めれば藩としては得難い人材を得るということであり、しくじればその程度の御仁であったかと評判を落とし、中には溜飲を下げるものもでてこよう。理不尽なのはいずこも同じであった。
 おい、お前、お役目だ、恒例の不寝番、今年はお手前におまかせする、と上役に申し渡されると、はたして武之進は否とはいわない。
 これといった断る理由を思いつかないのだ。よく考えれば品地家の跡取りで、ほかに家名を継ぐものがいないという、けっこうな理由があったはずなのだが、そういうことに気がつかないのが武之進であった。
 このお沙汰を自宅である長屋に持ち帰って両親に報告したときも、武之進がお役目についてから、なかば隠居のようにしている父、品地不覚斎尚宗はもとより、日頃からお役目大事といっている母、ふでも、ともに格段、心配する風ではなかった。
 こうした些事に頓着しないのが品地家の家風であるらしい。跡取り息子の命がかかっているというのに、である。

 こんな経緯があり、十二年に一度という、このたびの不寝番は品地武之進と決まった。 当日は昼過ぎから、種々の準備にかかる。といっても精進潔斎し、新しい褌から一重ものの着物、紺袴に身を調え、新しく縫った白繻子の鉢巻きとたすきをキリリときめるほどのことだ。
 城内では簡単な幔幕が奥座敷に通じる小道の傍らに張りめぐらされ、左右には仰々しくかがり火が設置される。このかがり火の温かさが後々、おおいに助けとなる。
 冬の日没は早い。宵闇が迫るころ、武之進が袴立ちにしたたっつけ袴にたすき掛けで奥座敷へと通じる渡り廊下の下にかしこまっている。
 白繻子の鉢巻きで左右の耳朶を覆うようにして締めているのは真っ向から降り下ろされた太刀筋をよける際、耳を切り落とされないようにとの習いである。
 魑魅魍魎がきりつけてくるというわけでもないのに、こうしたところを律儀に踏襲するのが武家である。
 時刻はすでに丑三つ時をすぎようとしている。
 不思議なことに、常日頃、尋常ではないものを目にしてしまう武之進ではあったが、こうした魑魅魍魎や妖怪変化のたぐいが、出るぞ出るぞと構えている時には、一向にそうしたものが見えないのだ。
 いったい、どうしたことだろうと、武之進自身が常日頃から疑問に思っている。
 こうしたときにこそ、出てきてくれれば、功名にもなるし、いつもは武之進のことを、おかしなことをいう変わり者と囃している連中にも意趣返しができる。
 それがどうしたものか、出てこないのだから、武之進は、お前らなどは嫌いだ、と悪態をつく。
 お前らとは日頃は仲のよい友達のように、なれなれしく武之進の身辺につかず離れず現れる魑魅魍魎のことである。
 普段はそれなりに親近感をもって接しているのだ。四六時中、まといつかれているのだから、多少の親しみも感じているのだった。
 出れば出たらでうっとうしい、妖怪変化に武之進は心の中で、出るならば出ろ、と悪態をついている。
 そんなことだから、武之進が蹲居して片膝をついたまま、襲い来るのは物の怪のたぐいではなく、深い眠気だ。
 うつらうつらとして、舟を漕いでいるところへお屋敷の奥から御殿女中のみねが茶菓を乗せた盆を手にあらわれた。
「もし……」
 と、小さく遠慮がちに声をかけたのはもちろん武之進が居眠りをしていると見たからだった。
 う、と声を出して武之進は目を瞬かせている。
 ふと気がついて、傍らの木刀を握り直すと、すっくと立ち上がって、裂帛の気合とともに、一度、二度、と木刀を振るった。
 おのれ、妖怪、物の怪のたぐいか、拙者が退治してくれよう、と目の前に立ちはだかる影に向かって木刀を降り下ろそうとした瞬時、それが御殿女中であることに、かろうじて気がつき、武之進は蹈鞴を踏んだ。
「あ、失敬。失敬。これはとんだ粗相をいたしました」
 と言って木刀を納め、御殿女中に一礼すると、ふたたび、蹲居の姿勢に戻って、目を瞬たせている。まだ、なかば夢の中であるらしい。
 その目の前に御殿女中、みねは手にしていた盆を置くと、袖で口元を隠して少し笑いながら二三歩ほど後退る。
 武之進も軽くうなずくだけで、あえて礼をのべたりしない。これも習いであった。
 武之進はみねを子供のときから知っている。城代家老、大前嘉門之守の家臣に須永胡堂がいて、みねはその三人娘の一番下の末娘であった。
 武之進とは同じ長屋に暮らす幼なじみであったが、先年、上様に見初められたか、大前嘉門之守の思惑からか、御殿にあがることとなった。
 奥女中として奥に上がるということは、遠からず殿のお目にかない御寝所に侍るということを意味していた。すなわち、お手がついてお局、となるのだった。
 そんなおみねを武之進は哀れとは思わない。藩内のそれなりの娘ならば、みな物心ついたときからの覚悟の上であり、不思議にも思っていないのであった。
 むしろ、殿のお手がつくことは、家門を高める名誉でこそあれ、忌み嫌うようなことではない。ましてや藩内の男にそれをいぶかる風はなかった。
 武之進は供せられた茶をすすり、落雁のごとき固い菓子を二つに割ると口にした。
 もとより極寒のときである。奥で淹れたであろう茶はすでに氷水のように冷えきり、菓子もわすかに甘いだけのものだが、それでもこれだけのことで目が冴えて眠るどころではなくなるのは、日頃、こうしたものを口にしていないためであった。
 みねは落雁を口にほおばり、まだ眠い眼を瞬かせている武之進を見ると、ねれなりに得心したのか、ちょっと笑って頭を下げ、奥へと戻って行った。
 日頃の精進が幸いしたのか、武之進は三日三晩の寝ずの番を無事にやり通すことに成功している。
 ようよう冬の遅い太陽が地平線に顔をだしてきた早暁、武之進の役目は終わった。
 凍てつく中、手足を延ばし、裾の土埃をはらうと、日の出に向かって一礼、木刀を左手に、かたわらの草履に足を入れる。この寒中に武之進は素足のまま昼夜を問わず、木刀を振っていたのだから、恐るべき胆力、気力というほかはない。
 辺りを見回して、諸事万端が滞りなく行われたことを再度確認して、武之進はようやく家路へむかった。左右に置かれたかがり火の炉の中で最後のほだ木の焼けぼっくりがごとりと音を立てて崩れ、少なからぬ火の粉が辺りに散った。

<続く>

※次回は8月22日に配信予定。

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