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【連載第12回】公儀厠番 -うんこ侍後始末- 房州、鑓の品地武之進久尚 嘉門院彷楠・作

件の三日三晩の寝ずの番も無事にやりとげ、伝統を守り、家名をあげることにも成功していた「品地武之進久尚」という男。歳はまだ若いが城内随一の使い手として知られているという。又しても当人にしてみれば酷な沙汰が下ったのだった……。今度は泥棒騒ぎ。日が暮れるまでは屋敷内にとどまり、夜陰に乗じて所定の位置に着けというのだが、これではどちらが泥棒であるかわからない、と武之進は苦笑する。そして、蔵櫓の物陰にある、ちょっとした植え込みの中に身を潜めること一両日、子の刻の漆黒の闇に紛れて、何やら気配がする…!

三日三晩の寝ずの番再び。お城の土蔵倉に泥棒が入るという噂が!

武之進は焦燥しきってその場をあとにする。その後ろ姿を見守るように、高さ六尺はあろうかという石灯籠の上で、座布団ほどの大きさがある、大福餅のごとき色白の物の怪がどろりと鎮座していて、にんまりと笑っている。
 何を無駄なことをして命を縮めているのだろうと、小馬鹿にしたような笑いだ。
 たかだか三日三晩の荒行程度で、おれ達が退散するものか、と人間様の浅知恵を物笑いの種にしているのだ。魑魅魍魎といえば、身の毛もよだつ醜悪な化け物を連想するが、こんなこまっしゃくれて子供染みた容貌の物の怪もいるのだ。妖怪変化とはいえ、おそらくは,下級の使い走りのたぐいに違いない。

 それはさておき、三日三晩のことを成就させたのは、みねのそれとない応援により茶菓の付け届けがあったせいなのではないかと武之進は心憎からず思っていた。最初の夜から三日めの夜まで、毎晩、茶菓を運んできては武之進に微笑みかける。そんな気遣いがなによりの助けになったと武之進は思っている。
 有体にいえば、その実、茶菓の接待も代々の申し送りであり、この何の益もない習わしの一環として行われる式次第の決まり事であったのだが、初めて経験する武之進が知るよしもない。ひたすらにみねの好意と思ってしまうところが、若い武之進の未熟であった。
 そんな品地武之進久尚が、ひょんなことから、再びその腕を振るわざるを得なくなったのは、件の寝ずの番から一年半ほどたった頃であった。
 お城の土蔵倉に泥棒が入るいう噂があった。
 小藩はいえども天守閣、本丸があり、下って小さいながらも一之櫓、二之櫓、と続き、それなりの厩があって米倉がある。これがいわゆる城砦であって、それを囲んで上級武士の屋敷が並び、馬場があって下級武士の長屋が続いている。
 このところ、そのお蔵に入れた貴重な米俵が、いつの間にか、一俵二俵と減っているというのだが、そんな重たいものをおいそれと持ち出せるものではない。
 これは物の怪の仕業ではないかと考えるのが城内でのもっぱらの噂話であった。
 理に沿わないことが起これば、なんでもかんでも、一切合切、物の怪の仕業として処理してしまうのが当節の習いである。
 泥棒でも物の怪でもかまわない。ともかく問題はいやしくもお城の米倉から税として藩内くまなく集められた米俵がなくなるというのでは、沽券にかかわる。
 どうせ、たいした泥棒ではないだろう。大物ならば米俵なとという悠長なことは考えず、千両箱の一つも持ち出すであろう。だから小者の仕業ではあろうと考えるのだが、しかし、もしものことを考えてそれなりに腕のたつものを張り番にしてはどうかと城代家老が申し出た。
 といって大人数がうろうろしていては物の怪も出にくかろう。腕達者を潜ませて、一刀のもとに切り捨てさせるというのが長上ではないかと衆議一決した。
 下のものに問いただすと、なんでも品地武之進久尚という男が、歳はまだ若いが城内随一の使い手として知られているという。
 先年、件の三日三晩の寝ずの番も無事にやりとげ、伝統を守り、家名をあげることにも成功している。
 まあ、年若いものの一人や二人、どうなってもかまわないではないか、と又しても当人にしてみれば酷な沙汰が下ったのだった。
 又しても、寝ずの番の不寝番であったが、今回は初夏の気候であったので、それほど過酷とは思えなかった。気候がいいのがせめてもだった。
 それでも一応の作法に従い、心頭滅却、斎戒沐浴して諸事決められた通りに一応の習わしに従い、一般の拵えで、用意周到に張り番のお役目を果たそうと、武之進は心を新たにした。
 一両日のうちに万事用意を整えて、伝家の鑓を小わきにしてお城にあがる。
 上役諸氏に挨拶をして、城代から直々に、どこに潜み、決して物音を立てるな、などと子供でもわかるような訓示をいただく。
 日が暮れるまでは屋敷内にとどまり、夜陰に乗じて所定の位置に着けというのだが、これではどちらが泥棒であるかわからない、と武之進は苦笑する。
 そして、蔵櫓の物陰にある、ちょっとした植え込みの中に身を潜めること一両日、子の刻の漆黒の闇に紛れて、何やら気配がする。
 もとより足袋裸足、袴だち、きりりと鉢巻きを締めてたすき掛けの武之進であった。
 すっと身をかがめて、片膝をつくと左手親指に力を入れて鯉口を静かに切った。城内のどこに現れるかともしれないので、得意の手鑓が使えない。せっかく持参した手鑓は武之進に付き添ってきた品地家の家僕が恭しく捧げて長屋に持ち帰っていた。
 武之進にしてみれば、たた一番と持ち込んだ手鑓であった。多少気落ちする面持ちであったが、なんともいたしかたない。
 しかも、城中深くにひかえるわけだから、大仰な大刀をたばさんでというわけにもいかないのだ。
 武之進は刃渡り一尺五寸の脇差し一振りを腰にして潜んでいたのだった。
 賊とおぼしき人影は辺りをはばかり、小腰をかがめて、外廊下の下を伝って米倉へと忍びよっていく。
 姿はなかなかに上等そうな一重の着流しにみえて、どうもこれから盗賊を働こうとしている拵えとは思えない。ちょいと小粋な手拭いで頭を隠し、片端をくわえている図はどうみても花道をいく歌舞伎役者のできそこないである。
 こいつはどうしたものかと武之進が思案していると、賊は米倉を通りすぎて、奥の目付役長屋のほうに壁伝い、半ば手をつくようにして身を隠しながら進んでいく。
 武之進もそれと同様にして小腰をかがめると、つかず離れず身を隠しつつ追いかけた。 ふとみると、その人影を迎えるようにして、長屋と長屋の間にある、ちょいとした小路にもう一つの人影がみえる。
 長屋が路地を挟んで背中合わせになっていて、各々の長屋の裏手である路地側には高いところに風を通す小さな引き戸があるだけで、窓もない。ぼっとした月明かりの中で、二つの人影が、一つになった。
 まいったなあ、というのが武之進の最初の思いであった。
 これは土蔵破りでも米盗人でもない。人目を忍んでの逢い引きとみた。世間を知らない歳若い武之進にもそれぐらいの了見はある。
 さあて、と。これは、はたして大変に困った難題だ。
 男女の仲も色々だが、筋を通して縁談を取りまとめるのが武家の習いだ。それを、夜夜中に逢い引きとはおだやかではない。それにはそれ相当の理由があるはずであると武之進は、そう踏んだ。
 夜陰に乗じて寝静まった家内に忍び込み、一件に及ぼうという夜這いとも、これは違う。夜這いではない証拠に相手方も外まで出迎えに来ているのだ。
 折からの朧月が風の吹き加減で雲間から顔を出して、あたりはずいぶん明るくなった。 忍び込んだ男のほうは多少は手拭いで顔を隠しているから、人相は分からない。しかし、迎え出た相手のほうは無防備にも寝間から這い出したそのまま、といった風情である。 その人影に、武之進は見覚えがあった。
 これは、これは……。
 武之進は、これで得心がいった、という思い入れで、そのまま後ずさりすると、音もなくその場を離れる。
 と、その二人が、何事かに気がついたように振り返る。遠ざかる武之進のほうを見る、その顔は口が耳まで裂けた狐のものではないか。黄ばんだ両眼が二人で四つ。月明かりにらんらんと輝いている。
 武之進の存在に気がついたのであろうか。そんな姿は一瞬のことで、再び何やら怪しげな密会を楽しむ男女の風情となっている。
 そんなこととは梅雨知らず、武之進は米倉の角を曲がって、もう大丈夫と腰を延ばすと、あとは脱兎のごとく、中庭を横切り、馬回りを駆け抜けると三間の空堀の石橋を渡り、三番櫓の角を曲がって、自らの長屋に駆け戻ったころには、さすがに息もだいぶ上がっている。
 その武之進の脇を並走するように幾つもの黒い影が飛び交い、武之進は妖怪変化の存在をかたわらに感じるのは毎度のことながら、生きた心地もしない思いで、足の運びを早めた。


 青やら赤い目鼻のある人魂が武之進の周りに幾つも飛び交い、逃げろや逃げろ、走れや走れ、と口々に武之進をはやし立てている。
 武之進が駈け去るのを見届けると、人魂は蛍の姿となって、井桁城を取り囲む掘割へと帰って行った。
 いやはや、大変なものを見てしまった。噂には聞いていたが、こんなことをあるのだなあと、若い武之進は韋駄天走りに転がるように走りながら、関心している。
 しかし、なんだって、こんなお役目を自分におおせつけだのだろう。
 米倉の泥棒というのは真っ赤な嘘か誰かの誤解による誤解だった。
 物の怪や妖怪のたぐいでもない。あれは確かに今日ただいまに生きている城中の方であった。
 蔵の米が減っているというのは、噂が広がるうちについた尾ひれというものだと判断した。
 下々の噂話などに同調するような老中連中ではない。巷間、いわれているような土蔵荒らしや米泥棒ではないことぐらい、先刻ご承知のはずだ。
 もしも、これが不義密通であるならば、世間体が悪いことである、他言せずに丸く納めよ、というご下問であろうか。
 この一件、上手く納めればよいが、もしもしくじれば、お役御免という沙汰が下るかもしれない。あるいは閉門蟄居、悪くすれば切腹ものである。
 ここは思案のしどころであると、武之進は頭を抱えた。
 内密にしておくわけにもいかず、さりとて両人を呼び出して説教するというわけにもいかず。
 ここは下っぱの年端も行かぬ武之進に目撃させて、それとなく両人に忠告しようという算段か。
 二人が誰かに目撃されたと知れば、ご難を恐れて分かれると判断したのか。これはなかなかに策士である。城中にそれほどの切れ者がいるのであろうか。
 と、短い間に頭をめぐらせる武之進もなかなか隅に置けない。
 ようよう長屋にたどり着き、引き戸を開けて足を洗うのももどかしく、上がり込むと、そそくさと寝間着に着替え、自室の布団にくるまって、さっさと寝てしまおうと思ったのだが、どうして、なかなか寝つけない。
 おりしも夏の暑い盛りだ。雨戸、障子の隙間から藪蚊が忍び込み、盛大に羽音をたてて武之進に襲いかかる。とてもではないが寝ていられない。
 転々反則して一睡もしないうちに朝を迎えた。
 翌朝、朝餉をとろうと座敷に入るとすでに両親が座っている。
 上座に不覚斎の銘々膳が設えられ、下座に武之進の銘々膳がおかれている。母はおひつを前にして次の間に控えている。二人が食べ終わってから自分は台所で食すのだった。
 父、品地不覚斎はすでに半ば隠居の身であった。母、ふでがしゃもじを軍配のごとく差し出して朝餉に遅参した武之進をさっそくとがめる。
「武之進様。昨夜はなんとしました。お役目では不寝番のはずではございませんか。それを、気配で分かりましたが、早々にお戻りになった。あれでは子の刻をわずかに回ったばかり。お役目になっていないではありますせんか」
 あの深夜、母親は起きていたのかと武之進は憮然とした。まったく、鬱陶しくてしようがない、と武之進は幼児のようなふくれっ面になる。
「まあまあ、ふで、そう咎め立てするものではないぞ。武之進にも何か、それなりのことがあったのであろう」と不覚斎がとりなす。そして武之進に「で、何か分かったのか」と尋ねるのだった。
 息子にはからっきしの不覚斎である。一人子ゆえに甘やかして育てたのだった。
「はあ、それが、どうも、少しばかり込み入っているような。いえ、なに、お役目をぞんざいにしたとういことではございません。それなりに、見届けてまいりました」
「というと」
「噂通りの米泥棒であってくれればよろしかったのですが」
「やはり……」と、なにやら得心顔をする不覚斎であった。
 小藩とはいえ一国一城の本丸御殿である。そもそも、角角には夜回りがいて、それなりの警護はしているのだ。そこに忍び込むなど容易なことではない。
 義賊、忍びのたぐいでもあるまい。第一、そうしたことは歌舞伎や俗本の中だけのことと了解している不覚斎であった。
「わたくしの見たところによりますと、裏山の狐が土蔵に住もうとするネズミのたぐい目当てに出没するのではないかと」
 と、自分でも話しだして気がついた思いつきを、思いつくままに告げてしまった。
 ほほう、と不覚斎が身を乗り出し、興味深げであったが、口をへの字に曲げて武之進を見つめる。その目がなかかに鋭い。
「それはまことであるかな」
 と、続けてちょっと笑った。
 しかし、それはまんざらはずれた話でもない。むしろ、その作り話に一縷の光明を見つけた武之進であった。
「それで、その狐だかむじなの類を、おぬしはどうしたのかな」
 と不覚斎が居住まいを正して武之進にたずねる。
 そういわれてしまうと、どうしていいものか。たった今、思いついた嘘八百だ。武之進はそのあとのことまで、考えていなかった。
 これは迂闊であった。見つけた狐を取り逃がしたということでは、まだ事は成就していないことになる。
 いずれにしても、上役の方々に説明を求められたら、なんらかの証拠が必要になるのではないか。
「はあ、実は」と武之進は口ごもってしまった。
「どうした。武之進。取り逃がした」
「いえ、そのようなことは……」
「では、いかがした」
「はあ」
 はあ、ではわからぬではありませんか、と横から口を挟んだのは母、ふでであった。
「武之進さま。しっかりなさいませ。きちんとお仕事をしなければ、だめではありませんか。お父様のお手前もあります。これだから、お城にあげるにはまだ早いと申しておりましたではありませんか」
 一度、堰を切ると、ふでの小言は、いつもながら止まるところを知らない。
「いえ、その場でとりおさえております」
 と、武之進は苦し紛れの嘘をついてしまった。
「ほほう」
 と不覚斎が顎をなでる。
 早くも不覚斎は武之進の嘘に気がついている様子で、面白がっている。久しぶりに面白い話を聞くものだという面持ちである。
「本当に、この子は、まだ何も分かってはいないのではないですか。お父様からも何か申してくださいな」
 と、ふでの小言は、矛先を不覚斎に向ける。
「まあ、ふでもそうそう忙しく言い立てるものではない。武之進にもそれなりの算段があっていのことだろう。取り押さえたというが、その狐とやらはどこにいる」
 不覚斎はこの事態を上手くやりおおせるか、しくじるか。そこに武之進の器量が図られていると判断したようである。
 ここは一番、この小伜の了見を試してみようという気持ちになっている。
「はあ、その件ですが……」
「うむ。なんとする」
「なんとすると申されても……」
「しっかりしてくださいよ」
 と、ふでがまたはじめとそうなるのを見越して、武之進は席をたった。
「父上、母上、ごちそうさまでした」と箸を置き、「確かに父上のおっしゃる通り。狐がいなければ話になりませぬ。これより、その証拠のものを持参いたします」
 と言ってみたところで、どこでどうしたものか、武之進には判断がつきかねている。
「まあ、いいようになさるがよろしい。ここは口出ししないで高みの見物をさせてもらいますよ」
 と不覚斎は鷹揚なものだ。飯粒が幾つか残っているご飯茶碗に渋茶を注いで、箸で二三度手早くかき混ぜると、すっとあおって朝食を終えてしまう。
 隣でふでだけが、まだ言い足りないような顔をして釈然としない様子で憮然としている。
 朝餉を済ますのももどかしく、武之進は身支度をすると長屋を出て、城門をくぐり、町家が続く御城下に出た。
 初夏のさわやかな風がわたり、ここ房州井桁藩は江戸湾に面しているために汐の香りが強い。
 幅広の道が町家と城内を仕切り、その先がちょいとした商人が軒を連ねる、いってみれば小商いの町になっている。粗末な陶磁器や漆器の店、刃物屋、桶屋などである。
 その地続きに漁師町が広がり、魚河岸と船着場につながっている。田畑はお城の裏、小高い丘陵地に拓かれている。
 武之進が目指しているのは日頃、品地家が贔屓にしている武具馬具も扱う、刀剣商「武州屋」であった。
「ごめん」と一声かけて、武之進が暖簾をくぐる。
「これは品地さまの若様。大変なご無沙汰をしております」
 と、店の奥に設えた小上がりで仕入れた刀剣の値付けでもしていた店主が、武之進の姿を認めてかしこまる。
「いや、無沙汰をわびなければなからなのは身共ほうだ」
 と、言い置いて、武之進は大刀を帯から引き出して、その小上がりの端に腰を下ろした。
「実は、本日、お邪魔したのは、ほかでもない。お手前の店では、確か猟師が腰あてにする毛皮を商っておらぬか」
 武之進は茶菓が供せられるのももどかしく、さっそく本題に入った。
「はあ、山猟師が寒さ除けと山中の雪道で坂を滑り降りるときに使うために野犬の毛皮を商っておりますが」
「そのほか、狸か狐のものは置かぬか」
「さあて、手前どもでは、狐や狸は扱いませんが。上等なものは鹿革になります」
 なるほど、殿が鷹狩りに出るときは鹿革の袴を当てることもある。しかし、それでは上等すぎて目的にかなわない。
「ご主人、これはたっての頼みなのだが、どうにか狐と見えないこともない犬革はないものかな」
「さあて、これは面妖なことをおっしゃるが、そもそも犬と狐は眷属同然、生きているうちでさえ見誤る御仁もありますゆえ、革にしてしまえば、よほど詳しくない限り、これは犬、これは狐と判別がつく御方がいらっしゃるとは思えません」
「おお」と武之進が膝を打った。「それは重畳。まずそれにて一件落着だ」と一人悦にいっている。
 不思議そうに小首を傾げた主人は奥に入るとほどなくして埃をかぶった犬革一枚を押しいただくようにして持ち出してきた。
「ずいぶんと汚いね」
「はあ、さいでございます。なにしろ三年は奥の棚に置きっぱなしになっておりました。そもそもは冬場にならないと売れないものですし、この節、山猟師もめっきり減ってきてしまいまして」と商品の薄汚れた言い訳をしている。
「それでは、困るが」と武之進。
「なに、こうして叩けば」
 と、二三度叩いてから、あまりの埃にむせると、奥の小僧に声をかける。
 へえーい、とのんびりした声が聞こえて、奥からこまっしゃくれた丁稚小僧が出てきた。
 主人は、これを表で叩いてこいと、小僧に革とはたきを持たせて表に追いやった。
 小僧は面倒くさそうに店主から、たいして毛並みがよくない粗末な毛皮のひと包みを受けとると、表通りに出て、荒縄をほどき、一振りして毛皮を開くと、それだけで埃が鼻にでも入ったか、クシャンと小さくくしゃみをした。
 それから広げた犬革を左手で掲げ、右手に持った布団叩きのごときもので、ポンポンと二度、三度とたたく。
 盛大に埃が舞ったので、今度はゴホゴホと咳き込んでいる。
 埃が目にも入ったのか、涙を浮かべてショボショボとさせると、着物の袖で水っ洟をこすりあげた。どうにも居汚いものである。
 ひとしきり叩いて納得したのか、小僧は店の中に戻り、たいしてきれいになったとも思えない毛皮をぞんざいに店主につっかえした。
「まったく、この小僧は。いいかげんにこざっぱりしないかねえ。親戚筋からの預かり物で銚子の先の船大工の末っ子を預かっちまったんですがねえ。いっかな気が利かないし、口答えはするし。困ったものです」
 と、店主は言い訳染みたことを口にするが、存外、まだ年端もいかない丁稚小僧を可愛がっているという口ぶりであった。いずれはきちんと育てて、店を継がそうとでも算段しているのであろう。
 庶民の暮らしぶりののびやかなことに武之進はうらやましくも思った。御家大事、お役目大事とはいうものの、生まれた家の善し悪しだけでその後が決まってしまう武家のいきとしが重苦しく、疎ましいものにも思えてくる。
 店主の言い値は埃塗れであったことを、たった今、目の前で見てしまったこともあるのか、売れ残りに頭を悩ませていたのか、思いの外、安価なものであった。
 なあに、武之進の思惑としては、形ばかりがそれらしくあればいいだけで、評定の次第によっては、それからそれに手渡されて、どこぞの土蔵にしまい込まれれば、そののち日の目を見なくなることは必定だった。
 亭主の言い値にわずかばかりの心付けを含め、これは埃をかぶった小僧に飴でも買ってやってくれと武之進は支払いを済ませる。
 品物を厚手の和紙にくるんで貰って店主に、ご無礼したと言い残して武之進は帰路につくのだった。
 店の外に出ると、小わきに抱えられた包みの中で、赤犬の目が眠たそうに開くと、まったく何をしていれるのだ、せっかく安穏に惰眠をむさぼって平和に暮らしていたものを、と武之進に不愉快そうな一瞥をくれたが、もとより包みの中のことなど、武之進の知るところではない。

<続く>

※次回は8月29日に配信予定。

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