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【連載第13回】公儀厠番 -うんこ侍後始末- 房州、鑓の品地武之進久尚 嘉門院彷楠・作

武之進は城内、本丸御殿の中にある書院造りの謁見の間に招じ入れられた。武之進が、世が世ならば合戦の評定をするほどの格式がある城内本丸御殿の謁見の間に入れたのも、今回の一件が重要であることを物語っていたようだ。「元鑓奉行、品地不覚斎尚但の一子、品地武之進久尚とは其処許か。遠慮はいらぬ。面をあげい」と、声高に言上したのは、何と城主自身であった…! 何かが常日頃とは違うのだ。

井桁藩といえば狐。騒動の解決に白羽の矢が立ったのが武之進であったが…。

 一両日あとのことになるのだが、武之進は城内、本丸御殿の中にある書院造りの謁見の間に招じ入れられた。
 本来ならば、品地家はお目見え以上の家柄とはいえ、武之進のように年若い下級武士が御殿の奥に招じられることはない。
 武之進が、世が世ならば合戦の評定をするほどの格式がある城内本丸御殿の謁見の間に入れたのも、今回の一件が重要であることを物語っていたようだ。
 二間幅の磨き上げられた廊下を、こちらへこちらへと小腰をかがめて先導する小姓の案内で奥へと進む。
 廊下にて控えよとの下知があり、武之進がかしこまって片膝だちで蹲踞そんきょすると暫くして大太鼓が打ち鳴らされて評定の開始を告げた。
 目の前の、墨絵で雷神、風神を描き金箔を散らした大襖が左右にひかれると、次の間となっていて、その奥に城代家老以下、大目付にいたるまでの老中、重鎮が左右に座っている。
 その人数に武之進は気押された。城内の老中の全てが参集しているのではないだろうか。
 いずれも、どこで見つけてきたのかと思われる枯れ木のような老人ばかりである。あるは年を経た亀のごとく、またあるは今にも絶命しそうな軍鶏のごとく茶渋色の痩せた皺首を延ばしている。御老中とはよくいったものであると武之進は感心して居並ぶ重臣たちを見回した。
 慇懃な茶坊主然とした小姓に促されて武之進は外廊下から一段高くなる次の間にあがり、正座して平伏した。
 暫時あり、殿の御成り、との音声があって、正面、さらに一段高くなっている上段の間といわれる舞台のごとき謁見の座の、向かって右手の武者隠しの襖が音もなく開けられた。
 藩主、藤倉守重友が無造作に中央に歩み寄ると、誰に憚ることもなく、ぞんざいにしゃがみ込んだ。
 礼を失してもよいというのが最も身分が高いという証左である。
 年寄りばかりの中で先君が思いの他の早死にであったために幼くして地位を継いだ藤倉守重友がそれでなくとも若く見える。
「元鑓奉行、品地不覚斎尚但の一子、品地武之進久尚とは其処許か。遠慮はいらぬ。面をあげい」
 と、声高に言上したのは、何と城主自身であった。
 これには居並ぶ老中連中もいささか度肝を抜かれたという風情で、あわてて自らも面をあげ、左右を見回した。何事かが常日頃とは違うのだ。
 顔をあげた武之進も別の意味で驚いていた。
 殿に御意を得るのは初めてであったが、その上座に座る殿の右手に、殿に次いで現れた今はおみねの方様となっている、幼なじみの、件のみねが同じように脇息に左手を預けて控えていたからだった。
 豪奢な打ち掛けが似合っているのか、なんとかにも衣装なのか、なかなかに美しく、武之進は気押される思いだった。
 みねは武之進が三日三晩の不寝番をした翌年、大方の予想通り、藤倉守に見初められて側室となっていた。
 もとより、そのようになることは承知の上で腰元になったのだから、多少遅くなったともいえないことはなかった。
 殿の御沙汰となれば、否も応もなく、御意に従うのが習いである。親しく接していた隣家の息女の出世を祝う気持ちはあっても、世の中はそうしたものとして過ごしている武之進に、釈然としない気持ち、口惜しさ、嫉妬の心はない。
 しかし、とはいうものの、今、脇息をつかうおみねの方様を拝見して、なにやら心の奥底に動くものを感じて驚いているというのが本当のところだった。
 あらためて、眉を落として高く書き眉とし、お歯黒も調えて紅を差したみねの美しさに感服していた、ということもあった。
 その婉然として微笑むさまは若いとはいえ妖艶とまでいえる。武之進はこれだけでも気押された心持ちになっていた。
 こんな気持ちを経験したことはない。この思いを武之進は、まだ名付けられないでいる、というところが本当なのだった。

 それからふと初めてみる謁見の間を興味深げに眺めたのだが、向かって左手の付け書院から目を床の間に移した武之進は内心の驚愕を隠せなかった。
 季節、季節で掛け軸やら古銅の花入れに時々の生花が投げ活けされているものだが、この日はの床の間には武門の誉れとも思える鎧兜が据えられていた。
 これは井桁藩の開祖、藤倉孫右衛門儀平が徳川将軍から拝領したものと伝えられている赤糸おどしの立派なものである。
 初代井桁藩当主は孫右衛門儀平などという名からもわかるように、その昔は足軽のごときものであった。
 ある夜、孫左衛門の夢枕に白狐が現れ、徳川に味方しろと告げたという。
 それにしたがって孫右衛門は関が原の合戦やら何やらで徳川方に味方して、一説によるとその戦場において徳川家康を助けたとかなんとか。
 その武勲にたいして足軽同然であったが、一万石ばかりを拝領し、房州江潟の新田を領地としたのだった。
 時代が下がって、いつしか江潟は、なまったのか井桁と称せられるようになり、井桁藩としての体裁が整った。新田はその後も少しずつ開墾されて、現在は一万五千石となっているが、申し訳程度の小藩であることにかわりはない。
 それでも立派に天守閣がある城砦があり、本丸御殿に書院造りの謁見の間も設えられている。
 さて、問題は、その謁見の間の床の間に飾られた鎧兜の意匠であった。
 初代の夢枕に立ったとして井桁藩の守り神は白狐である。
 兜の頭にあるのは狡猾そうな狐の飾り物であった。その、紅玉を象嵌した抜け目のなさそうな目が武之進を見下ろしている。ピンと跳ねた両耳が武之進の嘘八百を少しも聞き逃すまいと少し伸びたようである。
 武之進が心底、驚いたのは、その当藩の守り神ともいえる狐を、件の蔵泥棒の真犯人と言い立て、現に取り押さえて一刀両断したと、これから殿はじめ、城代家老、ご老中のお歴々に疲労しなければならないということだった。
 しかし、面妖な。井桁藩といえば狐と相場が決まっているのを、武之進、先刻ご承知だったはずだ。
 それが、どうした気の持ちようか、つい口にでてしまったのだ。
 いや、だからこそ井桁藩と狐の因縁が心の奥底で結びついていたのかもしれない。これも守り神の祟りだろうかと、武之進は縮み上がった。
「武之進とやら、本丸御殿米倉に夜毎現れるという妖怪を取り押さえたというのは、そこもとか。またその欺に間違えはないか」
 と、これも年若い殿ご自身、直々のご下問であった。
「左様でござりまする。その欺に、微塵の相違もございませぬ」
 と、武之進もかしこまる。いまさら、あれは口からでまかせでした、真っ赤な嘘の作り事などと、ことここに至って、この場でいえるわけもなかった。
 どうも、武之進には幼少のころから、土壇場になると奇妙に落ち着き払って、泰然自若としてしまう癖があった。開き直るということか。
「して、その妖怪の有り様や如何に」
 藤倉守重友の詮議が続く。
「夜陰に乗じて現れましたるは、案に相違して妖怪変化のたぐいではなく、一目見た限りでは裏山に住まいなす、女狐とおぼしきものでございました」
 と、武之進が見てきたようなことを言葉巧みに身振り手振りで言上すると、居並ぶ老中連中の間でいささかの動揺があった。
 それぞれが息をのむもの、隣の同役と顔を見合わせるもの、そんな馬鹿なと鼻の穴を膨らませるもの。
「ほほ、女狐とはな。これは面妖なり」
 と、藤倉守重友が皮肉な笑いを浮かべながら辺りを睥睨すると、意味ありげに控える老中の一人の前ではたと視線を止めた。
 それがなにを物語るのか、鋭い視線に射すくめられたように当の本人ははっとした思い入れで目をふせるのだった。
 しかし、それなりに緊張もしている武之進がその微妙な目配せに気がつく余裕はなかった。
「ところで、品地。其処許は女狐、女狐と軽々にいうが、証拠の品はあるのか」
 藤倉守の口調が鋭くなる。
「は、これにございます」
 と、持参して背後に置いておいた市松模様の風呂敷包みを取り出し、さらさら開いてみせた。
 そこには、かねて用意の犬革が丸められて麻縄で縛り入れてあった。
「夜陰に乗じて現れましたる女狐を、得たりやおうとばかりに腰の脇差しを貫放ち、えいやとばかり、一刀のもとに切り伏せましてございます。こやつ、憎々しげに身共を見上げると、狐はいまわの際にコンと一声鳴きまして、そのまま絶命したのでございます」
 武之進としても、よくもまあこれだけ、嘘八百を並べたてられるものである。まるで昨今流行りの浄瑠璃語りのごとくだ。
 それでは、いま目の前に広げられた包みに入っていた、何かしらの獣の生革とおぼしきは、くだんの狐であるか。
 切り殺した狐をこの場に持ち込んだのではないかといぶかった重臣たちがうっとうめいて顔を背けると袖で鼻を覆った。
 どうも狐にしても小さい包みと思ったが、とりだしたのは麻縄でくくった毛皮一枚だが、そもそも目を背けているのだから、誰も三年は過ぎている古い毛皮とは気がつかない。 手にしてみれば、すぐにわかる。数日前に切り殺したとは思えない。ひからびて生々しさなど微塵もないのだが。
 顔をしかめる重臣たちの中にあって藤倉守だけが興味ぶかげに身を乗り出した。となりでおみねの方様も脇息に身をゆだねて大振り袖で顔を半ばも覆っているが、その目は興味津々と光り輝いている。
 居並ぶ一同の間に暫時の刻が流れ、藤倉守重友が重々しくも口を開いた。
「品地武之進久尚、大儀であった。これにて一件落着ということで皆のものもよいかな」 と、藤倉守重友、ここばかりは威厳を正して自ら言上すると、辺りを形ばかりにねめ回す。
 もとより殿御自身にそういわれてしまっては反論のしようもない。一同のものは、ははぁ、とばかりに平身低頭するのみであった。
 武之進が居住まいを正して改めて平伏し、上目づかいに上座を見ると、殿と目があった。その目がどうも、とんだ茶番芝居に面白くしようがないといった面持ちで笑っている。 そして、かたわらのおみねの方に目配せすると、これもそれに返答するように、何やら意味ありげな微笑みを浮かべているのである。

 これは、意外にも、智将、名君であるやも知れぬ、と武之進は妙なところで関心している。
 米倉泥棒とは名ばかり、その実態は城中のそれと知られた人物にかかわる、醜聞であることは歴然としているのだ。
 それを突き詰めることもしないで、武之進がいうままに、裏山の女狐にすべてを預け、いわば濡れ衣を着させて、自らはとぼけている、ということになる。
 いずれにしても、城中に不審人物が往来している。それを誰かが見とがめて、夜夜中、足しげく通う男を泥棒と思い違いしたのであろう。
 城中深く、夜毎、立ち入るこそ泥がいるとはご多分が悪い。
 そこでなんらかの取り繕いが必要と、上の方で衆議一決したのではないか。
 そして、白羽の矢がたったのが城内随一の使い手と噂の武之進。
 武之進を張り番にしようと思いついたものは、彼が賊を一刀のもとに切り伏せれば、それで一件が落着すると考えていた。
 しかし、事実は誰の想像もつかないようなものであった。
 武之進に役目をおおせつけたものは、おそらく事の真相を知らなかった。
 だからこそ、腕がたつという評判だけで若い近習を抜擢したのだ。その思惑は見事に外れてしまった。
 これが、機転のきく武之進であったからよかったものの、もしも真面目一方、物事を杓子定規に考える、うつけ者がお役目を仰せつかっていたとしたら。
 城内は上を下への大騒ぎ。とても謁見の間での飛んだ茶番劇であった大評定どころで終わるものではなっかたはずだ。
 武之進がとっさに逃げ帰ったからよかったものの、もしも、武之進がその場を離れず、忍び寄る影を切り捨てたらどうなっていたか。
 それを出迎えた相手も、返す刀で切り伏せてしまったら。あるいは賊を成敗いたしましたと武之進が、賊を出迎えた男に向かって勝ち名乗りを上げたら。賊とおぼしき人物を武之進が切り捨てるところを出迎えた人物が見とがめたら。
 いずれの場合も、事は藩内の醜聞というだけでは済まなくなる。
 井桁藩そのものがおとり潰しになるかもしれない、大問題だ。
 いっそ狐狸のたぐいの悪さであってくれたらと思った武之進が、ふと思いついたのが女狐の仕業ということであった。それが思いの外、功を奏したということになるだろう。
 この一件を醜聞とならないように納めようと、思ってもみなかった大嘘をついて一芝居打ったつもりの武之進であった。
 しかし、その実、この一件を取り仕切って事を荒立てないような段取りを算段したのは藤倉守重友自らではなかったのか。
 すべてを最初から承知の上で、夜分の張り番を武之進に命じ、ことを穏便に取り計らうことを画策したのではないか。これは存外、油断がならない御方かもしれぬ。
 しかし、武之進の日頃の行い、また人物評定を殿に伝えることができる人間は殿の近くにいないはずだ。
 と思ったところで武之進は、はたと気がついた。これはおみねの仕業に相違ない。

 武之進を子供の時分から知っているのは、長屋で隣同士だったおみねを置いて他にいない。
 武之進の、ときとしてとんちを働かせる性情を、それとなく物語りしたのは、寝所にはべる、おみねであることは疑いの余地がない。
 しかし、おみねは武之進のどんな性格を殿につげたというのだろうか。また、それを聞いた殿が、こんなときには武之進、と了解したのはどんな理由からだったのか。
 武之進がそんなことを思い思いしながら感じ入っているところに、殿様の一言があった。
「品地武之進久尚、面を上げい。そのほうに申し渡すことがある」
 その言葉に冷水を浴びせられたように、夢から覚めたかのごとく、武之進はきょとんとして、殿の真意を図りかねていた。
「このたびの働き、上々であった。よってこれより江戸定府を命ずる。身辺片づき次第、御府内麻布新堀町、井桁藩江戸屋敷に赴くように」
 江戸定府とは江戸の藩邸に常駐するということだ。
 参勤交代の折に殿に付きしたがってい一年間江戸に止まるのが江戸詰めといれるが、江戸定府となると国元を離れて行ったきりであり、いつ帰れるかもわからない。
 これは手柄をたてた褒美であるのか、体のいい島流しであるのか。
 藩内の、いわば醜聞を丸く納めたとはいえ、醜聞は醜聞、それを知るものを城内に止め置くというのは、いかにも憚られるような理由があるのだった。
 体よくやっかい払いできれば、それにこしたことはない。
 これこのように、と女狐のせいにしてしまえば城下の噂話も鎮静化するだろう。
 そして、こんな騒動を起こした張本人も、これは大変なことになったと、以後、身の処し方を慎むことになるだろうという、三方一両損のようなお裁きであった。
 しかし、せっかく城内の米倉に巣くう鼠を退治してくれる狐を切り捨ててよかったものであろうか。そのままに捨ておいた方が米倉のため、はては藩の財政の一助となったのではないか。
 そこまでは思いがいたらない武之進であり、藩士をはじめ御城下の町衆もそんなうがった見方はしないのであった。
 なんとなく、こんなことで事が穏便に済まされてしまって、いつの頃からかこの一件に関して口を開くものはいなくなった。
 これが野良猫の仕業ということであったれば、また話はちがっていたかもしれない。
 だが、女狐ときては、生かしてはおけないと咄嗟に思ってしまうのが人情というものであり、その点でも武之進は上々の働きをしたと褒められはしても、余計なことをしたとはいわれなかったのである。
 とはいうものの、御沙汰は御沙汰。殿直々に江戸定府を言い渡されてしまっては、ぐうの音もでない。

 本丸御殿奥座敷の謁見の間を退出し、磨きあげられた大廊下をわたりながら、武之進は井桁藩と狐のつながりについてご下問がなかったことをいぶかしく思っていた。
 ほんの思いつきから話し始めてしまった作り事であったが、おそれ多くも当藩の守り神ともいえる、開祖を繁栄に導いたお狐さまを一刀両断にするとは何事だ、というお叱りとお怒りを受けるもの思っていた。
 あの謁見の間に入るまでそのことに気がつかなかった自分も迂闊であったが、言及しないご家来衆の思惑も理解しがたい。
 開祖と狐の因縁などは子供に物語りする、面白おかしい話ではあっても、大人衆は、そんなものは体裁を調えるための作り事とわきまえているのかもしれない。
 小藩が、まがりなりにも領地を与えられ、石高も少ないながら一国一城と大きく見得を切るためには、それ相当の逸話が必要だったのか。
 いずれにしても、守り神とのことは不問であった。
 しかし、江戸に所を変えてければならないという御沙汰は本物だ。
 武之進はそれだけでも、事の重大さを身に沁みて感じていた。
 この一件は長く、城内某重大女狐事件として語り継がれることになるのだが、まだ歳若い武之進は知るよしもなかった。

<続く>

※次回は9月12日に配信予定。

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