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【連載第14回】公儀厠番 -うんこ侍後始末- 房州、鑓の品地武之進久尚 嘉門院彷楠・作

おみねと武之進の馴れ初めを振り返る。紆余曲折あったふたりだったが、嫁入りに際しておみねのほうにも異存があるわけではない。物心が着く前から隣同士の同じ武家屋敷で育ち、お互いが見知って兄妹のように育っている。はなから心憎からず思っていた武之進が相手ならば願ったりかなったりであった。しかしそこには諸々の事情が……。

 

いずれは一緒になるものと互いに思っていた武之進とおみねだったが……?

 話は多少、前後するが、おみねはお城に御殿女中として奉公に上がってから日ならずして殿のお目にかない、側室となっておみねの方様となったのだ。
 これはもう、お城に御奉公に上がったときからの既定のことであり、おみねの両親にしても異存があるはずもなく、むしろめでたいものであった。
 あわよくば次代の領主の祖父母となるのだから、これは名誉以外のなにものでもない。 幼なじみの武之進にして、その事情は同じである。
 お城に上がった、ということは遠からず側室となる。これはもうお天道様が毎日、東からでるように明らかなものであった。そのことでつまらない忖度をしたりすることはなかった。
 しかし、そんなおみねであったが、いやおみねの方様であった。例の武之進の女狐征伐の頃はずいぶんと殿のご寵愛もあった。
 しかし、嫁して三年子なきは去るの定跡通り、子宝にめぐまれることがなかった。つまりは期待されたお世継ぎに恵まれなかったために、これも決められているわけではなかったが、三年目にお褥下がりとなり里に返されていたのだった。
 つまりは、井桁藩代々の家名を継ぐものを生むという任を解かれたということである。 通常であれば、そのまま奥にとどめ置かれるものである。しかしおみねに関していえば、そのまま奥にとどまるということはなかった。
 それには藩の都合あったのだ。すでに数名の側室をかかえ、小藩の財政はそれでなくとも逼迫している。すべては財政的な問題であった。
 出戻った、元側室の扱いというものも、これはこれでなかなかに往生するものであり、面倒なことではあった。
 そんな折り、老中の誰が思いついたのかは詳らかでないが、しかるべきものに拝領させてはということになってしまった。
 本人の与り知らぬところで、このような談判が進んでしまうのが、世の習いであったが、迷惑な話である。
 そして、これも誰が言い出したかは図りかねるが、かねて顔見知りであり、幼なじみでもある品地の小伜、武之進がよかろうという沙汰になったのだった。
 まことに、ずいぶんといい加減なものであるが、理に適っているといえば理に適っているともいえる御沙汰ではあった。
 武之進とおみねの二人に嫌もおうもない。身分はもとより、祿高、御料地であろうと、太刀であろうと殿からの拝領となれば、ありがたく頂戴するのが習わしである。
 まして殿がご寵愛になった側室である。あたやおろそかにはできない。異存があるもないも、そんなことを考える余地もないのであった。
 国元でそんなやりとりが交わされている頃、武之進はすでに江戸表の井桁藩江戸屋敷にいた。
 江戸定府で国元の事情が伝わらない武之進にその知らせが来たのは、江戸に移ってから二年目の秋口で、武之進もようやっと江戸の諸事一般にも慣れたころのことであった。
 ある日、父、不覚斎名義の書状が早飛脚によって江戸屋敷にとどけられた。それは簡単に、おみねをもらえ、とだけ書かれた身も蓋もないものであった。
 武之進にも、さしたる感慨はない。
 なるほど、そのようなものであるかと、のんびりと構えていた。妻帯するのも悪いことではないなあ、などとぼんやりとしているのが武之進である。
 武之進にしても、単に、ああそうかそんなものか、それも悪くはないのだろう、とまるで他人事のようである。
 父から書状が来て、殿の御沙汰が出て、妻を娶れとなれば、否も応もない。
 武之進のほうも、委細承知とだけ認めた書状を、待たせておいた飛脚に渡して、それきりであった。

 嫁入りに際しておみねのほうにも異存があるわけではない。物心が着く前から隣同士の同じ武家屋敷で育ち、お互いが見知って兄妹のように育っている。はなから心憎からず思っていた武之進が相手ならば願ったりかなったりであった。
 そんな事情で夫婦となり、所帯をもった二人であるが、さすがにこんな新しい夫婦が国元にいるのは、いささか気詰まりなものである。
 なにしろ、それが御定法にかなうとはいえ、拝領妻などといういささか物議を醸すであろう言い方もないわけではなかった。
 口さがない隣近所の噂話は容赦のないものだ。それもまた人の世のならいであろうか。 不覚斎、つまり武之進の両親と、みねの両親も健在な国元では、どうも息が詰まるだろう、という予感も若い二人にないわけではない。
 一方の老中連中にして、それなりの考えがあった。
 城代家老をはじめとして年寄り連中は城内のお内緒を知りすぎているみねがそのまま御城下の用人屋敷に住まうことに少なからぬ懸念を抱いていた。
 件の女狐事件のさい、不寝番として武之進を殿に推挙したのはおみねではないかというのは、武之進の推測でもあり、また城内の何者かもそのように考えていたフシがある。
 このようなご用には品地がいいのではないかと進言したものの正体は、いまだに不明である。
 もしもおみねが殿に話したとしても、それは単に腕が立つ若侍が御家中にいますよ、というほどのことだろう。
 それを誰かが耳にしたのではないか。
 その一方で、事が終わってみれば武之進は当夜の密会の相手も、待っていた人物の顔も知っている、と推量するものもいたのだ。
 それは、井桁藩にとって、都合の悪いこと、であった。
 これを内密にしなければならない、なんらかの理由があったのだ。
 不義密通でもお咎めがある。親の許しを得ない、これは下々でいえば夜這いのごときものであったか。

 いずれにしても、武之進は城内から遠ざけられた。それが武之進江戸常府の真相といってもいいものであった。
 このまま井桁藩領内にとどまったのでは何かと不都合であると判断したものがいたに違いない。
 だからといって処罰する訳にはいかない。それこそ、事を荒立てる、ことになる。まして謹慎蟄居などを言い渡しても、いずれは復職するであろう。そこで話が盛り上がっては困るのだ。
 であるからして、おみねも武之進も江戸表に追いやって領内から、いわば放逐してしまうのが得策という結果を招いた。
 二人は幼なじみで、知らない仲ではない。これほどの好都合はまたとあるまい。
 こうして、二人の縁談は思いも寄らない、計り知れない深謀遠慮ののちに、慌ただしく決まってしまったのだった。
 武之進は幸い例の一件以来、江戸定府である。そこにおみねを送りつければ、始末がつく。そう衆議一決したものと思われる。
 とはいうものの、当のご本人、ご両人はいたってのんびりしたものである。まるで、そんなこととは梅雨知らずの体である。
 いずれは一緒になるのだと、はなから決めていたように恬淡としている。城内、ご老中連中の思惑などどこ吹く風だ。これだから武之進は人に好かれるというものであった。
 この婚礼は行き当たりばったりの軽々しいものではなく、藩行政の安泰を図ってのものという深謀遠慮のなせるわざであった。
 しかし、もとより二人にかぎってそんな懸念は必要ないというのに、である。
 そこで、嫁を娶ったというものの、国元への帰国は許されず、武之進はこれまで通り、井桁藩江戸屋敷に住み続けることとなった。
 さすがに側室であったことだけのことはある。一端は実家に戻されたおみねはそれなりの駕籠に揺られて両親のもとに帰ってきた。
 これは一応のご多分を考慮してお里帰りの体裁をとったものだった。そして、以後出仕に及ばずという沙汰があり、そのあとのことは御随意に、ということでもあった。
 おみねとしても、こんなところにぐずぐずしている気持ちはなかった。出戻った身としては、狭い屋敷内に身の置き所がないということでもあった。
 両親、家族、屋敷内のものたちに一通りの挨拶をすませて、一息つくと、なんとそのまま荷をほどくのもそこそこに、江戸へ向かってしまった。
 このあたりの思い切りのよさと武之進と一脈通じてるところがあり、意外にも似た者夫婦となるやも知れぬ、とは屋敷内での噂話である。
 江戸に向かうといっても、このときはすでに一介の家臣の出戻り娘にすぎない。前後にかちがついて厳かに豪華なお籠に揺られてというわけにはいかない。共もつれずに江戸まで歩くかということになった。
 それではあまりにもかわいそうだと父、須永胡堂の気遣いで仕立てられた駕籠に乗って、単身、一路、井桁藩江戸屋敷を目指したのであった。
 なあに、房州の井桁藩とは早足ならば半日ばかりの近間である。行き来するのにさして煩わしいということもなかったのだった。

 さきにも触れたように武之進が拝命した役職は勘定方の配下となる汲み取りを差配する職種であった。
 井桁藩は江戸城建立のおり堀を掘った残土を積み上げて山となした愛宕山の南にあたり、それゆえに城南と呼ばれる。
 近郊の出入り業者である金子組は城南から多摩川の河川敷までひろがる田園地帯一体に下肥を商って生業としている。
 毎日の汲み取りのあと、今日は幾桶、今日は何桶と帳面を着けるのが武之進の主なお仕事であった。年末に金子組差配の親分がまとまった料金を納めにくるという塩梅になっている。
 しかし、御おくみ取りの仕事はそれだけではない。
 殿の寝所近くに日替わりで夜通し侍り、殿が深夜に厠へとたたれる回数を数えて御殿医に報告する。
 また汲み取りに際しては側室の月の物を確認しお局様に報告するということもある。いうまでもなくお世継ぎの有無を知ることは何よりの大事であった。
 汲み取りの者が、最近厠に蟻が出る、と聞けばやはり御殿医に告げて、殿の飲食を加減するという重大事もある。単に厠から甘い匂いが放たれただけでも、それなりの判断はつくものだ。
 また、何番組の長屋の厠が酒臭いともなれば、踏み込んで、飲酒を諫めるのだった。
 殿や老中、御家老の川や近くに侍れば、下々の下世話な話も物語するし、御家老から内々のご指示を賜ることがある。
 厠の傍ら、お庭先に侍り、不信の輩が忍び込みはしないかと不寝番もかねているから、それ相応に腕がたつという必要もある重要なお役目でもあったのだ。
 武之進の働きぶりや人柄から、この任は余人をもって替えがたし、とはなから井桁藩江戸屋敷ではもっぱらの評判であった。

 その日、お勤めを終えて帰宅した武之進が自らの長屋の引き戸を開けると、上がり框から戸障子もなく丸見えとなっている座敷の中央に設えられた銘々膳に、夕げの支度ができていて、温かそうな湯気をたてている。
 ふだんは帰宅しても、独り身のことである、遅くなる夕飯は余りものの惣菜に冷や飯という武之進は、これに驚いた。
 はて、と不審に思ったが、国元から母者人でも突然、やってきたのかと思い、奥に向かって、とりあえず声を出した。
「武之進です。今帰りました」
 上がり框で下駄を脱ぎ、大小を床の間に置いて、銘々膳の前に座る。
 奥から現れたのは母、ふでではなく、意外にもおみねであった。
 夜中に物の怪にでも出くわしたように、武之進は呆然と立ち尽くしている。
 よりによっておみねの姿を借りるとは芸が細かい。さすがはお江戸だと武之進は妙なことに関心している。
 はてさて、これが音に聞くお江戸の妖怪であろうか。えんびをのばして床の間の大刀に手をかけようとして、油断なく気配を探る。
「なにを鳩が豆鉄砲でもくらったように、まなこを御広げなさるんだよう。わたくしですよぉ。おみねですよぉ」
 と、その妖怪とも見えたものが、甘い声で語りかけるではないか。
 そういえば、近々、国元から江戸屋敷にやってくるという知らせはあったのだが、まさか今日のことだとは思わなかったし、それなりの挨拶などが屋敷内であってから、長屋に移るのだと思っていた。
 これは、いささか常軌を逸した行いではないかと武之進はいぶかったが、事情を思い起こせば、わからないことはない。
 おみねはつい先だってまで井桁藩藩主の側室の一人であった。下のものからはおみねの方様と呼ばれて、それなりに丁重な扱いを受けていた。
 それがこのたびの御沙汰により、奥を退いて一端実家に戻り、それから武之進のところへ輿入れすることになった。
 通常の婚儀とは甚だしく事情が違うではないか。お屋敷内でもご多分を憚るというような気の使い方をしていたのだろう。
 そんなことにも、いざとならなければ気がつかない、うっかりものの武之進であった。 姉さん被り、たすき掛けで前掛けをして、もう一端の女房気取りで、おみねが竈の前から座敷に姿をあらわした。
 このときばかりはおしとやかにしずしずと武之進の前に進み出ると姉さん被りとたすきを解き、前掛けもほどいて、殊勝にも武之進の前にひざまずいた。
 それから、三つ指をついて、不束者ですがと決まり文句の挨拶をするのだった。
 うむ、と口の中で答える武之進であった。
 それなりの礼儀作法もやっとうの道も究めたつもりの武之進であったが、さすがに、こうしたときの心得はない。
 なかばおみねの手慣れた礼儀作法に驚きながら、口ごもりつつ返事をするのが精一杯であった。
 肝を潰して、おたおたしている武之進に対して、おみねの方はいたって冷静なものである。女は怖いなあと、武之進は内心、あきれていた。
 武之進の杯におみねが、かねて用意の磁器の徳利から三度に分けて酒を注ぐ。今度は武之進がおみねの杯に酒を満たして、これは三三九度のまねごとであった。
 二人の婚儀はそれだけだった。客もいなければ仲人も両親、親族すらいない。質素といえは質素、粗末といえは粗末な婚礼であった。
 しかし、二人とも何事もなかったように、翌日からごくごく所帯じみたありふれた毎日をおくることになる。
 おみねも翌日には長屋でのご近所となる御内儀衆に挨拶を済ませている。
 長屋の女房どもも心得たもので、すんなりと品地家の跡取りに嫁がきたと歓迎している。もとより藩内ではおみねを知らぬ者とていない。場合によっては自分自身が御殿女中として奥にあがり、殿のお手がつくかもしれなかったのだ。事情は先刻ご承知ということである。
 二人の婚儀は、そういうことで、すべてが納得ずくのことであった。
 殿の側室、おみねの方様は本日から、家臣、品地武之進久尚の妻女となりましたと宣伝しても、その口上をそつなくこなせる人物が家中にいなかったということでもあった。
 なんとなく火のないところに煙を立てないようにというか、火に油は注がない、というような思いが家中に漂っていた。
 ことは穏便をもって旨とすべし、が井桁藩の家訓でもあった。
 そんなことを知ってか知らず、二人は何事もないような平静を保ちつつ、この日以来、仲むつまじい若夫婦としてふるまうようになる。

 こうして武之進は、望んでいた国元への帰参がかなわず、そのまま江戸定府中を続けることとなり、屋敷内の徒長屋に居を構えた。
 品地武之進は数えで二十三歳になっている。幼なじみのおみねも同年であった。
 このような諸々の事情があったにもかかわらず、夫婦仲はいたって良好である。
 たまさか、武之進が殿の御太刀と拙者の鑓ではどう違うなどと、軽口をたたくことがあった。
 それに対して、おみねは嫌ですよう、ご冗談ばかり、と剃り落とした眉をゆがめ、お歯黒の口元に手をあてて笑っている。いたっておおらかなものであった。
 おみねの、やや薄いのを気にしている黒髪を大きく結ったためにジャコウアゲハのごとく透けてみえる髪形がなかなかに色っぽい。
 それを見るにつけ、武之進は満更悪くないと微笑むのだった。

<続く>

※次回は9月26日に配信予定。

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