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【連載第15回】公儀厠番 -うんこ侍後始末- 房州、鑓の品地武之進久尚 嘉門院彷楠・作

お屋敷内の古井戸に出るという晦日狸征伐の話を聞いたあの夜に、話は戻る。武之進とおみねの江戸定府の日々が、さしたる出来事もなく万事が平穏に流れたのちのこと。裏門の外に浪人の惨殺死体が打ち捨てられていた日の夜であった。晦日の深夜に現れるという狸の話を聞いた翌日、お勤めの合間をぬって武之進が裏門の徒長屋とは逆の方角に建てられている中間溜まりを訪ねてみたところ……?

第四章

身辺があわただしくなる中、例の狸の一件を聞き出そうとする武之進だったが……?

 話はいささか前後する。
 件の夜のことである。
 武之進の長屋にぶらりと現れた、仲間うちではトノサマと冗談まじりに呼ばれる優男から、お屋敷内の古井戸に出るという晦日狸征伐の話を聞いたあの夜だ。
 それは、そんな江戸定府の日々が、さしたる出来事もなく万事が平穏に流れたのちのことだった。
 この日はあまつさえ、裏門の外に浪人の惨殺死体が打ち捨てられていた日の夜であった。
 ようよう江戸暮らしも夫婦暮らしも落ち着いてきたというのに、惨殺死体やら狸の化け物やら、にわかに武之進の身辺があわただしくなってしまう。これも何かの星回りかと武之進はいぶかしく思うのだった。
 晦日の深夜に現れるという狸の話を聞いた翌日、お勤めの合間をぬって武之進は裏門の徒長屋とは逆の方角に建てられている中間溜まりを訪ねてみた。
 ごめん、と一声かけて引き戸を開けると、三人ばかりの中間ちゅうげんがたたきで所在なげに茶などをつかっている。胸ははだけ、尻端折りをして褌が丸見えになった姿は、はなはだむさ苦しい。
「あ、これは品地さま」とおそれいってそのまま、たたきに片膝付きとなった。
「ご無礼するよ。昨日は色々とご苦労であった。其処許たちの働きもなければ、後片付けなど手間取ったであろう。いや、ご苦労千万なことであった。いずれ別途に祝儀などはずまれることとなると思うよ」
 と、武之進は自分の腹が痛まないと思って中間どもをおだてている。それには策略というほどのことではないが、例の狸の一件を聞き出す誘い水にしようという武之進ならではの魂胆があっての上だった。
「ところで、本日、こちらにお邪魔したのは昨日の一件とは別に、其処許たちにお願いの儀があってな」
 と、話を切り出した。
「どんなご用件で。ほかならぬ品地様のお申し出だ。ここにいる連中で分かることなら、へぇ、なんでもお答えいたしやすよ」
 なかでも年かさの中間がこたえる。
「おぬしらも、このところお屋敷内で話が持ちきりの、晦日狸の噂は聞いているだろう」 中間共がお互いに、まぬけな顔を見合わせると、なにやら思い至るようである。
「知っているのか」
「はあ、まあ、たいがいのところは・・・」
 と、きまり悪そうな塩梅だ。
「どうもこうも、恐ろしいことで」「ありゃあ、怖いや」「まあ、肝っ玉の小せい奴にはできねえ相談でさ」
 と異口同音にまくしたてる。いすれも力自慢の中間どもである。それが狐狸妖怪のたぐいとなると、からっきしなのだ。意気地がないのか、まるでおびえているかのようだ。
「お手前がたは、いずれも度胸自慢、腕自慢と、常日頃より拝察するが、それでも晦日の狸は怖いということか」
「さいでございますなぁ。どうにもこうにも度胸ってやつがございません。なにしろ晦日の丑三つ時といえば鼻をつままれてもわからない、真っ暗闇でございます」
「それは、そうだが」
「そんなことですから、こいつはいいやとばかりに仲間うちでは度胸試しに、晦日にお屋敷の裏庭に入って……」
「おお、それそれ、そのことよ。其処許たちのいずれかが狸を見たか」
 と武之進がたたみかける。
「だから、エヘ、度胸試しには、ウヘヘ、絶好なんでさ」
 隣に控える髭面の中間が、口をとんがらせて言い添える。
「さいでやす。度胸試しには、なにしろ一番なんで。こいつなんか、やらせろやらせろ、って五月蝿くせっつきやがんで」
 と、隣から小突くものがいる。
 妖怪のたぐいだと怖がっているのかと思ったら、どうやら晦日狸を体のいい肝試しに利用している様子である。
「度胸自慢、腕自慢の其処許たちが、なにも改まって、わざわざ度胸試しでもなかろう」 と武之進が、なかばあきれ顔で、そう申しつける。
「そこがどうも、手前どもも、寝ずの番はこれといってやることないものですから」
 と頭をかくものだから、あたりにフケが舞い上がる。退屈しのぎに、度胸試しだというのか。この中間どもに晦日狸を捕らえようという算段でもあるのか。
「それでは、そもそもの噂のものは其処許たちなのか」
 中間どもの面白そうな様子を見とがめて、武之進もなにやらそれなりに納得がいったようだ。屋敷内に自慢話のようにして、つまらないことをいいふらしているのは、お前たちか、と武之進は問いただす。
「まあ、いってみれば、そういうことになりましょうかねぇ。こいつなんか炊事場にもぐりこんで女中衆に、おれは晦日狸で度胸試しをしたんだ、したんだ、って大法螺を吹きやがって。まったく、困ったもんだ。このやろう」
 などと悪態まじりに申しのべる。
「そんな、おいらは何度も度胸試しをやっているんだ。そのたんびに怖じ気づいて、いやだ、いやだと言っていたのは、お前のほうだろう」
「まったく、品地さまの前で恥をかかせるんじゃねえや。へへ、どうも、こいつは口が軽いもんでして」
 と、筋骨も隆々とした若い中間が、小さくなって頭を掻いた。
「さようであったか、たいがいのことはわかった。あまり、御家中に波風をたてるような流言を流すないぞ。邪魔をしたな」
 と、若いくせに年上の中間どもを叱りつけるように言い残したのは武士の端くれである武之進なりの威勢であった。
 あまり得るところはなかったが、どうやら、中間どもの晦日の夜に狸の置物が動くという妖怪変化かなにかの仕業をこれ幸と、自分たち自身の度胸試しの恰好な場所と機会して利用しているようであった。
 なるほどと得心するところもあり、当方もそれなりの覚悟を決めて、ことに当たろうと気持ちを新しくして武之進は中間の控え小屋を後にした。
 なるほど、連中にしたところで晦日狸の正体を探るのは、いい肝試し、いや暇つぶしにもなるのであろう。
 これでは先年、国元のお城に出た米泥棒だか盗賊の噂で、自分自身が駆り出された不寝番と同じではないか、と気がつき、武之進、思わず笑みを浮かべた。
 しかし、これでは狐狸妖怪のたぐいであるか、それとも……、ということが釈然としない。
 あのときは盗賊かと思ったものが家中のものであり、それを女狐と武之進が偽ったのだった。
 今度このたびの晦日狸の真相はいかようなものであろうか。武之進は彼なりに、にわかに興味を持ち出した。
 なまじ妖怪変化とは日頃から馴染みのようにしている武之進のことである。どれ、お江戸の妖怪とはいかなるものであるかと、実のところ興味津々である。
 武之進にしても、来る日も来る日もの汲み取り稼業に飽き飽きして退屈もしていた時期であった。
 毎日の売り上げを上司に持っていけば、
「食べるものを食べさせているのに、この売り上げとははなはだ不忠である」
 と叱責され、出入りの業者からは、
「なにも悪くはいえないでげすがねぇ。お向かいの白神さまのところの御家中の方々は、何を食っているんだか、厠の糞壺の中をのぞくと、毎度毎度、おおきな土手カボチャかと見紛う、豪快な逸物が盛り上がっていらっしゃる。ところが、こちら様ではひねたできそこないのほっそりしたゴボウのごときものが二三本転がっているという始末でがんす。もう少し良いものでもお食べになったらいかがなものでげしょうねぇ」
 などと厭味半分冗談半分にからかわれる。
 出入りの業者が白神さまというのは、井桁藩江戸屋敷の向かい側に位置している澤柳藩江戸屋敷のことで、勇猛をもって知られる澤柳藩邸には血気盛んな若武者が多く、いきおい食事も進むのだろう。それにひきかえ、井桁藩は年寄りばかりで、武之進がほとんど唯一の若手なのだから、いきおい食も細いのだった。
 武之進もこのことは知っていて、ことあるごとに勘定方のほうに出向いて、賄いで芋を多めにしてくれ、と直談判するのだが、いっかな埒があかない。
 そんなこんなで、さすがに温厚な武之進もむしゃくしゃしているところであった。
 やはり、ことここに至ると権左にも手助けを願って、晦日の丑三つ時に裏庭に出かけなければならないのではないか。
 武之進は腕組みをすると天を仰いで長嘆息したのだった。

 秋晴れの、群青の空が馬鹿に高く見える昼過ぎ神田明神下の御刀御研ぎ所「秀政」の暖簾をくぐる武之進の姿があった。
 過日、預けてあった自慢の鑓が、そろそろ研ぎ上がっている筈だったのだ。
 江戸府内に研ぎ師は数限りなくいるが、こと鑓を研ぐとなるとなかなかひとがいない。 通常の刀剣とは違って鑓の形状をした刃物の研ぎにはそれなりの技術が必要であり、また刀剣類に比べると、その研ぎは大変に難しく、おいそれと存所そこらの職人の手に負える代物ではないのだ。
 そんな事情があるので誰でもいいというわけではない。腕に覚えがある職人でなければ、おいそれと預けるわけにはいかない。なかには安請け合いをする手合いもあるだろうし、そもそもいい加減な職人に限って、出来もしないのに研げますというから困るのだ。
 その点、ここ「秀政」は鑓を研がしては江戸随一と呼ばれる名職人であった。
 鑓を研ぐのは刀とは違う。そもそも刀に比べれば、品数も少ないから頼むひとも少ない。ゆえに経験が不足している。いきおい定評のある店が繁盛し、経験も積むからさらに腕が上がるという寸法だった。
「ごめん」
 間口一間半ばかりの小店である。引き戸を開けた左手がもう作業をする板の間になっている研ぎ場で砥石を据えた作業台を前に秀政本人が坐っている。横に清水を張った桶が置かれている。
 秀政本人はまだ若い。三代目になるというから、研ぎ師としては、江戸府内にあって、さほどの老舗というわけではない。それでも、若いが腕が確か、というのが評判の理由だった。先代によほど厳しく鍛えられたとみえる。
 勝手知ったる武之進が無造作に腰の物を帯から取って右手に置くと、たたきに置かれた床几に腰を下ろした。
 いままで預かり物の一尺三寸ばかりの脇差しを研いでいた秀政が顔をあげた。
「やあ、品地さま、ごぶさたで。いらっしゃい」
「おじゃまするよ」
 と短く挨拶した武之進であったが、
「おや、なかなかの業物じゃないか」
 と秀政が研ぎ終わって刃紋を確かめるために脇に置いておいた、二尺二寸ばかりの太刀に武之進の目が釘付けになった。
「さすがにお目が高い、といいたいところですが、固山宗平の弟でね、宗次というんですが、先頃江戸に出で四谷に住んでまして、数えで三十には届かないと思いますが、刀工としては修行をはじめたばかりで、まだ何振りも鍛えてはいないんですよ。とはいうものの、ごらんのように、備前伝の鮮やかな丁子乱れでね。これはそのうち中々の技量うでになると、あっしも今から目をかけているところなんでさ」
「なるほど、そうした事情ことであったか」
 刀工の鍛えた刀身は、それたけでは、まだまだ完成にはほど遠い。
 刀鍛冶は玉鋼を赤らめ、鍛造し焼きを入れた刀身を荒砥で研ぎだす。

 この段階ではまだ刃紋もさだかに見えず、鈍色をした刀剣らしきものにしかすぎない。 これを研ぎ師のもとへと送り、熟練の腕で下地研ぎをおこない、砥石だけでも六段階、荒砥から次第に細かいものへと移る。
 研ぎ上がると、刀工のものに戻され、目釘穴が開けられて、銘切りといわれる銘が刻まれる。
 さらに白金師に渡されてハバキ(柄と刀身の間に固定するために挟む金具)が制作され、鞘師が鞘を作り、塗師が鞘を漆などで塗って、場合によっては蒔絵をほどこす。
 柄巻師が柄、鍔師が鍔を制作、この工程を経て、ようよう刀らしくなったものを研ぎ師が再度、最終行程である化粧研ぎを行うと、はじめて刀身は一般に知られるような底光りする黒々とした深みを見せ、また刃紋もはっきりそれと認められるようになる。
 なんとも一振りの刀剣が完成するまでには手間隙と人手がかかっていることか。また、そのそれぞれの職人技がいずれも第一級のものであることを思えば刀剣もまた美術品であることは論を俟たないであろう。
 この複雑な工程の途中、すべてが特別に誂えられたもので、単品であることにも注目しなければならないだろう。この世に同じ刀は二つと存在しないのだ。
「で、品地様。もしよかったらご自身の差料として一振り、お求めになりませんか。大変なお勧め品なのですが。いずれは名も出れば値も上がるとみこんでいるのですがねえ」
 武之進、まだ若いし、懐具合が芳しくないとはいえ、惜しいことをしたものである。
「まあ、懐に余裕があればなあ。これこの通り、先祖伝来とはいえ、無銘ながらなかなかの業物があるのでなあ」
 と、傍らの実家の土蔵に無造作に積み上げられていた中から選び出した太刀を指さした。
「鑓のほうはあれだけの業物を御諸事でいらっしゃるから、腰のものも、それなりのものをとは思うんでございますが」
 武之進所有の鑓は室町にそのひとありといわれた中堂来の業物である。
「なに、あれはいつも言っているように、嫁をもらったらおまけについてきたんだ。それとこれとは別さ。ところでよ、頼んでおいた、そのたった今、話に出た鑓は研ぎ上がっているかい」
 このところの江戸住まいで武之進の口舌もざっかけないものになっている。
「もちろんですよ。きれいに仕上がったと思ってます」
「それは頂上。かたじけない」
 奥から秀政のかみさんが盆に乗せた茶菓をもって店にあらわれた。
「武之進様、いらっしゃいませ」
「やあ、お内儀、おじゃまするよ」
 武之進は供された渋茶をすすり、うまそうに饅頭をほおばった。
「これがねえ。楽しみだ」
「何をおっしゃっているんですか。つまらないもので申し訳ありません」
「そんなこたあ、ないさね。美味いよ」
 国元にいたころは、甘いものを口にすることなど、まれなことだった。お茶が出たとしても決して贅沢なものではない、安価なものだ。井桁藩の領地は江戸から十里余りでしかないのにこのざまである。
 それが江戸藩邸に居住するようになってから、ほんの数年で、饅頭やら最中などが珍しいものではなくなっている。
 やはり、江戸は贅沢なものだ、何もかもが潤沢だと武之進は思う。しかし、それもほんの一時、そんなこと考えているだけで、もう房州の国元での生活を忘れかけている。去る者は日々に疎し、とはこのことだろうか。慣れというものは恐ろしいものである。
 もうすでに、商家の上がり框に腰を下ろせば、すぐに茶菓が供せられることを、当たり前のこととして、過ごしている。
「ところで、前っから訊こう、訊こうと思ってたんですがね」
 と秀政が小首を傾げて武之進に問いかけた。
「なんだい」
「なんだって、こんな名物を、こういっては失礼だが、年端もいかない下回りのお武家さんがお持ちなのかなあと」
 職人というものは、存外遠慮がないものだ。
 名物とは極上品のことである。秀政が疑問に思うのも無理はない、武之進が秀政に頼んで研いでもらった鑓の穂先は時代でいえは室町はあろうかという代物で大大名が家宝にするような業物であったからだ。
「いや、なにさね、何度も言うように、女房をもらったらおまけについてきたのさ」
「ご冗談ばっかり」
 とこれは秀政の内儀が笑いながら口元を手でおおった。
「いや、いや、拙者はめったなことでは冗談を言わない。これは間違いようもなく、嫁を娶ったおりに、ついでにこいつも持っていってくれと言われて、それではといただいてきたものなのだ」
 武之進は妙に生真面目な顔をして、そう答えた。もとより冗談をいうような性格ではないのだが、確かにその答えは洒落や冗談ではなかった。
「はあ、それは失礼いたしやした。いえ、なにね、銘を拝見したところ、中堂来とありますんで。わたくしどもの仲間うちでは短刀は伝わっていますが、鑓の穂をこさえたってえいうことは聞いたことがないものですから。以前にお預かりしたときも不思議に思っていましたのですが、どうも聞きそびれてしまいまして」
 中堂来とは鎌倉の名工である。備前の長光ながみつの門で、のちに来国俊のもとで修行をつみ、延暦寺の根本中堂に籠もって作刀したことから一般には中堂来と呼ばれる光包みつかねである。確かに短刀しか鍛えなかったと伝承されているのだが。
「鑓は伝わっていないとねえ」と武之進も怪訝な面持ちだ。「まあ、そんな話も聞かないわけじゃあないが、身共にはそのあたりの事情はなんともな、わかりかねるという奴だ。ともかく女房をもらったら嫁入り道具のなかにあって、だから、嫁に着いてきちまったってえわけさね。奥にしまっておいても仕様がないから、随時使用させていただいているという塩梅です」
 と生真面目に返答した。秀政も得心がいった訳ではない。なにやら、それなりの事情がありそうだったが、秀政もそれ以上の詮索はしなかった。

 側室であったおみねを拝領したときに、上様より直々に武之進につかわされたのがこの中堂来の鑓であった。だから、武之進が冗談のように秀政に言った、女房をもらったらおまけについてきた、というのはまんざら冗談ではなく、正真正銘の真実であった。
 女房の拝領も家宝にしたいような太刀の拝領でも、おそれいって頂いておくのがしきたりだ。そこになんの異存もない武之進であった。

<続く>

※次回は10月10日に配信予定。

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