本との偶然の出会いをWEB上でも

【連載第17回】公儀厠番 -うんこ侍後始末- 房州、鑓の品地武之進久尚 嘉門院彷楠・作

晦日狸の一件がお屋敷内に知れ渡る。屋敷内はもとより藩内でも、あらぬ噂の出所をあかし不安を解消したということで、過日、殿のお目通りがかなうということになった。その日は、例の夜に同道した生き証人という触れ込みで権左も同道して、お屋敷内の奥座敷に招かれた2人であったが……?

第六章

晦日狸の一件がお屋敷内に知れ渡り、殿のお目通りがかなうこととなったが……?

「そういうことですから、品地殿にはこまったものだ。こういうときは、武士は武士らしく、毅然としていただかなけてれば、下のものに示しがつきませんぞ」
「いかさま。仰せの通り、ごもっともでございます」
 と言って武之進は、改めて這いつくばるようにして頭を下げた。
「まあまあ、そうまでしなくても」と香坂上衛門が頭をあげるように即す。「で、さはさりながら、困ったものだ」
 香坂自体もこの一件の処置をどうしていいか、よくよく考えれば考えるほど、分からなくなってきているらしい。
「香坂様。この一件は、いかがなりますでしょうか」
「さよう、拙者も思案しているところだ。どうしたものか。確かに中間どもに、それなりのおとがめを与えることはできる。しかし、どのように言ったものか。まさか、夜中に狸を動かすな、というわけにもいかんし」
 と、香坂上衛門は間延びした下顎をなで上げた。
 俗に房州の万丈面ばんじょうづらという。馬のように面長なひとが多い土地柄であった。のっぺりと額が秀でて顎が長い。その上、手足が短いものだから、よけい面長がめだつ。それで万丈、長いといういう意味だ。
「まあ、ここでおぬしごときと話していても埒があかん。この件はひとまず拙者が預かって、上に伝えておく。今日のところは、これで引き取りなされ」
 と、香坂も寛容なところをみせた。その実、これはお咎めなしで、穏便に済まそうという魂胆が透けて見えるようなもの言いである。まあ、所詮は中間風情の戯事である。何も上役から大まじめに非を諭すというほどのことでもあるまい。
「では、これにて、失礼いたします」
 と武之進はもう一度、深々と頭を下げると、そのまま後退って退出した。香坂がまた詰まらない了見をおこさないうちに、さっさと逃げ出してしまおうというのだ。三十六計逃げるにしかず。

 帰りがけに武之進は長屋の厠に入り、昨夜来の鬱憤晴らしとばかりに、盛大に用便をつかうと、すっかり綺麗にくみ取られている便槽の一番深いところで、陰にこもったような水音がぼちゃんと響いた。

 一両日もしない内に、晦日狸の一件はお屋敷内の知るところとなった。中間どもが、これ幸と、武之進が中間小屋を訪れて、間抜けな勘違いをさらけ出したことを、中間どもは彼らなりに面白おかしく言いふらしているのであろう。
 その結果、武之進はまたしても、狐狸のたぐいは武之進、となかば仲間うちで笑い物になるのだった。
 それはともかくとして、これを解決し、屋敷内はもとより藩内でも、あらぬ噂の出所をあかし、不安を解消したということで、殿のお覚えも、めでたいということになり、過日、殿のお目通りがかなうということになった。
 その日は、例の夜に同道した生き証人という触れ込みで権左も同道して、お屋敷内の奥座敷に招かれた二人であった。
 狸を肴に一献傾けようという、粋な計らいである。
 井桁藩江戸屋敷の謁見の間は国元の書院造りほどの豪華さはなく、十二畳と八畳間の二間続きという簡素なもので、床の間に掛け軸と投げ入れの花器が設えられ、違い棚があることで書院ということはわかる程度のものであった。
 そこの控えの間に武之進と権左は通され、待つことしばし、上座の脇に控えていた、年老いてひねこびた松の古木のようになった江戸詰めの家老が、えへんと小さく咳をしたのは、殿の御成りの合図である。それに連なってかしこまっている老中三名が、もっともらしく頭を下げる。
 それと察して武之進と権左、両名も平蜘蛛のようにはいつくばる。
 やがて奥女中が襖を開けて、殿様が無造作に現れ、上座に坐ると、傍らの脇息をひきよせる。
「井桁藩、藩主、藤倉守重友である。両名のもの、面をあげい」
 おごそかにのたまった殿様の顔をあおいで、権左が頓狂な声をあげそうになったがかろうじて堪えて、武之進の顔を覗き見る。
「おい、武さんよ」
 権左がささやく。
「しっ、静かにしてろい」
 と武之進も小声である。上座に坐ったのは、毎晩のように武之進の長屋に刺身の折りなどを持参して、さんざんつまらない話をしてなかなか腰をあげない、件の殿様であった。「だって、殿様っていうから殿様だと思っていたら、殿様じゃねえか」
 と、権左がまったくあきれたという風情で、しかし場所が場所だけに小声で武之進の同意を求める。
「だから、はなっから殿様だっていってるだろ」
 武之進も、小さく叱責するように、そう答えるのが精一杯だ。
 それを聞きとがめた藤倉守重友。
「両名のもの、こんにったはご苦労しごく。大儀であった」
 なにをかしこまって詰まらねえご託をならべているんだ、と権左が鼻白む。
 それと気がついた重友が横に目配せして、それと知らせたのは、まだ家老職の老人が軍鶏のような皺首を延ばして脇に控えていたからである。
 まったく苦虫をかみつぶしたような柿渋で煮染めたような色の浅黒い老人たちが、冗談など金輪際言ったことがないという面持ちで微動だにしない。
 今宵は無礼講である。みなのものは引き取って夕餉のお相手だけを残せばよい、と藤倉守が厳かに宣言する。
 と、それを聞いて、半ばはほっとしたような塩梅で、最善から不可解そうにしている江戸詰め家老もしずしずとあとずさって退出する。
 それに控えていた幾人いくたりかも、これにならって膝行して引き下がった。
 座敷内にはこれで藤倉守と権左と武之進だけになったのだ。
 それを潮に権左が大きく伸びをすると膝をくずしてあぐらをかく。
 武之進が、おい、権左、まだ早いぜ、と叱りつける。げっ、と一言、権左は恐れ入って正座してかしこまった。
 そんな二人を見て、殿様は余裕綽々で満足そうな笑みを浮かべている。
 間もなく、山水を薄墨で描き分けた襖が静々と開いて奥女中衆が銘々の食前をささげ持って進み出る。
 また誰か偉そうな連中が出てくるのかといつになく固くなっていた権左は、それでも今宵の献立はと首を延ばすのだった。
 朱塗りの銘々膳が二人の前に置かれ、その上には本日の酒肴が所狭しと置かれている。 長い柄のついた朱塗りの片口を捧げて二人の御殿女中が武之進と権左の前に進み出ると、杯を勧めて、酌をする。

 どうも、これはこれはと権左は照れ笑いを浮かべるのだが、さっそく膳の上に置かれていた、これも朱塗りの漆器の杯を右手に取ると、御酒をたまわり、まんざらでもない様子がありありと見える。
「両のもの、遠慮はいらぬ。今宵は無礼講である。馳走に限りはないゆえに、ゆっくりと食せよ」
 殿様も今宵は無礼講と宣言したが、まだ女中どもがいるので、遠慮がある。武張った物言いを変えようとはしない。
「かたじけなく存じいります」
 と武之進も殊勝なこと言う。
 隣の権左が、なにを馬鹿なことを言っていやがるんだ、思わず吹き出しそうになっている。それが面白いと藤倉守は高々と笑い声をあげた。
 まわりで女中衆が、殿ご乱心かと、不思議そうに顔を見合わせている。屋敷内で殿が声をあげて笑うなどということは、ついぞないのであろう。
 女中どもが退席すると、藤倉守が腰を上げ、二人が座る控えの間にずかずかと足を運ぶと、それぞれの銘々膳の前にどかりとあぐらをかいた。
「それで、武さん。おれも多少は聞いたんだが、晦日の狸の正体はどんなものだったんだい」
 からかい半分の口ぶりだか、早速、本題だ。誰もいないくなり、三人だけになると、重友もいつもの調子がでてきた。
「はあ、なんと申しましょうか。殿にはお聞き及びと思いますが、中間どものいたずら心の果てでございました」
 と、武之進は誰もいないといういうのに、屋敷内のことゆえ礼を失するよう口はきかない。となりで権左が益々、面白くないという顔をしている。
「なんだい、なんだい、二人とも。他人行儀ってもんだぜ。いつもの通り、腹を割って話したらどうなんだよ」
 堅苦しい武家のしきたりが嫌さに家を出て、その挙げ句に、頭を丸め本当に出家してしまった権左にとって、この成り行きは面白くないのだ。
「まあまあ、権左、ここは堪えてくれ」と武之進。「お屋敷の中では、それなりのものの言い方をせねば、拙者の気持ちも落ち着かないのだ。ゆるしてくれよ」
「そうか」と殿様。「武之進、それはそうだ。ここまでくれば堅苦しいこともないだろうと思った俺が悪かったよ。今晩にでも、そっちの長屋に遊びに行くさ」
「まあまあ、そうまでおっしゃらずとも。拙宅にはいつでもいらっしゃってください。ここでのおもてなしに満足していないというわけではないのですから。むしろ、かたじけなく思っているところでございます」
「まあなあ、ここで飲み食いしていても、面白くないから、夜毎、お手前らと徒長屋で飲もうということにもなるのだ。それは身共も重々、了見しているところさ」
 などと言い合うのだが、御酒のほうは、なんの遠慮もなく三人とも杯を重ねている。
 藤倉守が手を打って女中を呼び寄せ、酒を所望じゃ、と申しつけると、普段ならば上座に座っているはずの殿が控えの間のほうで、下級武士の若侍と得たいのしれない破戒僧のごとき坊主と三人で車座になっているのに、女中は驚きを隠せない様子だ。

 お屋敷でしたたかに飲み食いしたあと、もう宵も更けて鶏も時を告げようとしている朝まだき、帰路についた武之進と権左であった。
「しかし、なあ、武さん。何もかも承知で、これまでおれたちは殿様のお忍びにつきあっていた、ってことかい。ああっ面白くない。面白くない。だいたい、武之進、おぬしは面白いのか。一体全体、どうなっているんだ。ああ、面白くない」
 巨体を左右に揺すって、まるで駄々をこねる幼児のようである。だいぶ御酒をめしたようで、足元はおぼつかないし、ろれつも回らない。
「なんだよ。権左。さっきまで、ああ面白い、面白い。こんな愉快な話はない。ああ、美味い、ああ美味い、こんな上等な酒は飲んだたとがない、と大喜びだったじゃないか」
 武之進はいつもの調子で、そんな権左をからかうのだった。意外にも武之進は酒に強く、飲まれるということがない。したたかきこしめしたというのに、しっかりとした口調で答える。
「うるさい。うるさい。よく考えたら、面白くない」
 と、権左のほうはあまり酒癖はよくないようだ。剃りあげた坊主頭に一昼夜分の髪がまばらに伸びている頭の天辺まで真っ赤にした権左が憤懣やる方ないという風情でぶつぶつと御託を述べている。足元が日頃は、怖いもの知らずの豪傑のようにしている権左としては珍しくあっちへふらふら、こっちへふらふら。
 どうせ、その辺りの事情はいずれ説明しなければならないと思っていた武之進であった。
 その時機を、これまで逸していただけのことではあったが、考えてみれば権左には悪いことをした。
 僧侶の身であれば、小藩とはいえ、一国一城の主に対して、それなりの礼儀もあったであろう。
 殿様とは知らずに言ってはいけないことを言っていたかもしれない。知ればそれなりの礼儀作法を心得てもいるであろうに。
 いやなに、誰に対しても言ってはいけない事を言ってしまうのが権左の良いところではあった。
 殿にしても下々のそうした屈託のないやりとりが息抜きになるから武之進のところにお忍びで遊びにきているのだ。
 武之進も、そのあたりの藤倉守の心情を痛いほどに熟知しているからこそ、その件にはふれずに、自由気ままにすごしてもらっているのだった。
 その武之進の心遣いが藤倉守重友にはわかるが、権左にもわかってくれろ、というほうが、どだい無理な話であった。
「まあ、そういうことになるな。お主にまで隠し立てしていたことは平にご容赦願いたい。いやあ、まったく。申し訳がない。ひらにご容赦、ご容赦。ほれこの通りだ」
 と頭を下げると酸っぱいものが口中に上がっているし、さしもの武之進もろれつがさだかではない。
「お前と俺の仲だから、ゆるさないものでもないが、おみねさんも承知のことなのか」
 権左は憤懣やる方ないと語気を荒らげた。権左としては当然の疑問であった。
「あた棒よ。なにしろ、はなっから殿様は俺じゃない、おみねに会いにくるのさ」
 酒の力のせいか、武之進もとんでもないことを言い出した。
 これは尋常ではないと権左はあきれた。
 武之進のほうでも、言ってしまってから事の重大さに驚いている。
 つい今し方まで、そんなことは、露も思わなかったのだ。これも酒の力だろうか。
 酒は、ひとが普段は気にもせず、思ってもいないようなことだが、しかし心中深くに気づいていることを、表にだしてしまう。
「そもそも、考えてもみねえ」
 と、気を取り直した武之進が問わず語りに続ける。
「御台所さまはご存じのように悋気だ。おまけにお世継ぎもいない。そこへもってきて、例の側室のお艶の方様だ。見事にお世継ぎを設けられたのは重畳だが、あとがいけねえやね。正室の座を狙っているだの、御台所さまに得度を勧めただの、と御城下にまで噂が広がっているって寸法だ。だからよ、奴さん、屋敷には居たくねえのさ。勝手知ったる、気心の知れたおみねのところに通ってくるのが、これも一つの息抜きだ」
「なにを気取っていやがるんだ。お前にしてもそんなことじゃ、面白くはなかろうに。ああ、そうだ。面白くない。面白くないはずだ」
 権左はすっかりふてくされてしまっている。
「そうでもないさ。なにしろ、おみねにしてもあの性格だ。来るものは拒まずさ」
 そういう権左にしてみたところで、独り暮らしの宿坊で夜毎、無聊をかこつよりは、ちょいと坂を下って武之進のところに寄るのを楽しみにしている。
 その楽しみの中におみねの美貌と誰彼かまわぬ、気っぷがいいというか、分け隔てのない性分に惹かれているのは、まぎれもない事実なのだった。
 たしかに、殿様と権左が毎晩のように訪ねてくるのは、おみねだけではない武之進の誰彼かまわず、分け隔てのない心遣いあったればこそだった。
 武之進はおみねがもともとは殿の側室であったことを権左に話したかどうか、思い出そうとしていた。
 どうやら、それも権左には告げていないような気がする。
 いま、そんなことを言ったら、殿のこともあり、二重三重に驚き、怒り心頭に達するのではないか。
 そもそも、こんな関係を理解できないかもしれない。
 まあ、世の中とはこのように説明のしようもないことで出来上がっているものだと、武之進はしたたかな酔いの中で、まるで悟り済ました禅僧のような結論に達していた。
「そういえば」と権左がふと思いついたように独り言を言っている。「確か、殿様、去年の春先から一年ばかり、おれたちの前に顔を出さなかったなあ」
 それを聞きとがめた武之進。
「それさ、国入りしたってわけさ」
「それで読めたぜ。やっこさん、一年おきにしか江戸にいないんだ。だから、おれたちの前からも消えてしまったってわけだ。そもそも、夜の夜中に木戸番もいるというのに、お屋敷内の武さんの長屋に現れるから、変だ、変だとは思ってはいたのだが」
 と、権左は腕を組んで、いまさらながらのことを言う。さっさと気がつけばいいものを、悠長なことをいっている。
 権左も細かいところには気が回らない質なのだった。だからこそ、殿様も気軽に現れ、気の置けない仲間として武之進や権左をあつかい、おみねにも甘えていたということであった。
 夜風が頬をなでる。権左は妙に納得したように、まだぶつぶつと言っている。
 井桁藩江戸屋敷の塀の上では、そんな二人のやりとりを面白がるように、この屋敷にながく居すわっている得体の知れない、どんよりとした煤けた物の怪のごときものが見下ろしている。

 件の晦日の狸の一件は、先々代の殿の、一度はお手がついた、およう様との因縁の結果であった。口さがない家中のものどもが面白可笑しく物語していたであろう。
 中間らはそれを小耳に挟んだのであろうが、彼らのほとんどは、藩に属さずに大名屋敷を転々とする渡り中間であり、井桁藩のこれまでの出来事を代々、見聞きしているわけではない。出入りのものがお互いに噂話をしている間に、次第に嘘も噂も、まるで本当に起こったことのように語り継がれていってしまった。
 しかし、このかつてあったという殿様と奥女中の一件は、今の殿様、重友をめぐる武之進とおみねの事情と、少し似ていた。
 武之進がこの晦日狸の一件について、あまりことを荒立ててはいけないな、と思ったのは自分の痛くもない腹を探られたくないという気持ちがあった。
 およう様の一件とおみねのことを結びつけてことあれかしと噂されては、せっかく江戸の生活にも慣れて落ち着いているおみねの心も動きかねない。それは避けたいと思っていた。
 また、それゆえに、本当のところは何事かはわからぬが、他のものよりは自分のほうがこの晦日狸に関する一件を納得できるような気もしていた。
 過日、この日は終日、お役目もおやすみで、武之進は長屋でのんびりしている。
 文机などをひっぱりだして漢籍などにあたろうかとも思うのだが、それも芸がないなあ、などと思い、おみねを誘って芝居見物など、洒落こもう、などと思案している。
 おみねも退屈そうにしていて、明かりを求めて縁側にでると、最前からどこに隠してあったのか、数葉のまくら絵を縁側の床に並べて眺めている。おそらくは嫁入りのときに母親がそれとなく持たせたものであろう。
 絵に添えられた書き入れの文章を読みながら、ときどき微笑んだり、納得したりしているのはいいが、ふと茶の間で渋茶をすすっている武之進のほうを、思い出したように、ぼんやりと横目で見るのは、どんな了見だろうか。
 それに気がついて、武之進ほうでも、たいがいにしてくれ、とそっぽを向くのだった。なんとも、武之進とおみねらしい、のどかな午後のひとときではあった。

※連載はこちらでいったん終了となります。お読みいただきありがとうございました。

公儀厠番-うんこ侍後始末-房州、鑓の品地武之進久尚の過去記事はこちらから>

記事一覧
△ 【連載第17回】公儀厠番 -うんこ侍後始末- 房州、鑓の品地武之進久尚 嘉門院彷楠・作 | P+D MAGAZINE TOPへ