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芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 最終回】

古く蝮をくちばみという。戦国時代、「美濃の蝮」と恐れられ、非情なまでの下剋上を成し遂げた乱世の巨魁・斎藤道三の、血と策謀の生涯を描く! 一介の油売りから美濃国主にまでのぼり詰めた道三に、最後に弓を引いたのは、最愛の息子・義龍だった。美濃の名門・土岐氏の落胤を名乗り、大軍を率いる義龍に、少数精鋭で渡り合う道三。骨肉相食む戦いは、道三の死によって幕を閉じた。そして今、一国を託された義龍の前に、一人の男が現れる……。

 

   37

 義龍よしたつは頭を悩ませていた。
 父が美濃国主であった二年間、なぜ手をつけなかったのか。
 経国済民──経済である。
 あるいは統治機構の確立である。
 市場における諸役免除、市場税の免除、さらには専売座席を廃して自由な商取引──いまだかつてなかった楽市というかっをなし、稲葉山城下の大繁栄をもたらした父が、国主となったとたんにさらなる経済的飛躍を求めて新たな方法を目論むことをしなかったのが不可解だ。
 楽市により商人の往来が自由になり、そこからもたらされる情報も重要だった。商人は揉み手と笑みの背後に、突き抜けんばかりの目をもっている。道三は商人から各国の実情を知り、あれこれ調略を練っていた。
 が、義龍に家督を譲り渡すまでの二年間、なにもしなかった。稲葉山城から、眼下に拡がる城下町の繁栄を目を細めて見守っていただけである。
 それは統治にも及んだ。国主となっても、父は旧態依然の支配機構にまったく手をつけようとしなかった。乱立する国衆が隙あらばという状態を、なぜか放置していた。
 ──俺が叛旗を翻したとき、父は手塩にかけた城下町を平然と焼いた。焼き払う。灰燼に帰す。だが、あれほど慈しんでいた城下を、なぜ焼いたのか。
 腕組みして唸っていた義龍であるが、一気に顔があがった。
「そうか。父は俺にすべてをやらせるつもりだったのだ。経済も、統治も、国づくりのなにもかも、一切合切はじめから──」
 あえて道三は手をつけなかったのである。あえて城下を焼いたのである。
 道三が国主の座に着いたときには、すでに義龍にすべてを託すつもりでいたのだ。世情を鑑みれば家督を譲るには、一年はあまりに短い。だが義龍に帝王学を学ばせるために三年待つ気もない。ゆえに義龍は二年で家督を譲られた、ということだ。
 俯き加減で義龍は独白する。
「まいったな。経国済民か──。俺にとってはあまりに荷が重い。誰か長けた者を召し上げよう」
 義龍は道三に似て割り切りが早い。経済は苦手と自覚しながらも、商人ならではの見切りの血は、義龍にもしっかり流れているのである。
 一方で義龍は家督を譲られる前から、旧態依然の美濃の支配体制をなんとかせねばならぬと、あれこれ思い巡らせていた。
「統治に関しては、絵図が描けておる」
 当然ながらこのたびの戦で父に附いた家臣の所領は没収、貫高かんだかに基づいた安堵状の発給により者共が納得できるかたちで再分配し、なおかつ見返りとして軍役を賦課する。
 一気の変革は、悶着を引きおこす。まずは穏やかに重臣六名による宿老制──いまの世には有名無実の存在と化してしまっている幕府の評定衆に類似したもの、それを蘇らせてもよい。とにもかくにも宿老による合議制を導入確立する。徹底した合議は、疑心暗鬼を封じることができる。忖度や阿吽の呼吸とやらで動くから、ひびはしるのである。
 船頭多くして船山に登る──ではないが、現状の郷単位の細々とした支配体制は必ず糸をもつれさせるがゆえ、その権限も含めて郡単位の広域支配体制に移行する。
 土岐とき頼芸よりなりが傀儡として治めていたころのような守護領国制をあせらずたゆまず少しずつ排除していくことで、新たな支配体制を確立していく。
 義龍は、ぽんと手を打った。
「奈良屋だ。奈良屋を呼びだせ」
「奈良屋は京にてございますぞ」
「かまわん。専売を喪いたくなくば、即座に顔を見せよと伝えよ」

   *

 奈良屋は、二十一世紀のいまでこそ油を扱ってはいないが、名称をまったく別の物に変えて、信長秀吉の世も、徳川の治世も、維新も第二次大戦の混乱も巧みに乗り越えて、無用な拡大を戒めつつも、京阪神の財界に強い影響力を持つ。
 取材の折、現当主より『私らの名は伏せていただくとありがたく存じます』と鄭重かつ慇懃に釘を刺されてしまったこともあり、あえて奈良屋の現在を記すことは避ける。が、斎藤家の美濃支配が義龍のせがれ龍興たつおきの無能のせいでたった三代で終わってしまったことを思うと、じつに感慨深いものがある。

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