本との偶然の出会いをWEB上でも

芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 最終回】

古く蝮をくちばみという。戦国時代、「美濃の蝮」と恐れられ、非情なまでの下剋上を成し遂げた乱世の巨魁・斎藤道三の、血と策謀の生涯を描く! 一介の油売りから美濃国主にまでのぼり詰めた道三に、最後に弓を引いたのは、最愛の息子・義龍だった。美濃の名門・土岐氏の落胤を名乗り、大軍を率いる義龍に、少数精鋭で渡り合う道三。骨肉相食む戦いは、道三の死によって幕を閉じた。そして今、一国を託された義龍の前に、一人の男が現れる……。

 義龍はきつく唇を結ぶ。
「されど、祖父も途轍もない御方でございまして、幼い父に、親子二代で美濃をものにする──と吹いたそうでございます」
 義龍の背筋が一気に伸びる。祖父とは北面の武士である松波こんのしょうげんもとむね、美濃においては西村勘九郎から長井しん左衛ざえもんのじょう──道三の父である。祖父は道三に、親子二代で美濃をものにすると囁いた。そして、それを現実のものとした。
「父は私には生い立ちをまったく口に致しませんでしたが、父が問わず語りに母に幼きころの惨状を語っていたようで、母によると、幼少のみぎり、飢えにて死する寸前、傘張りの荏胡麻油を舐めてどうにか生きながらえたそうでございます。あまりの貧困ゆえに祖父は妻女に逃げられたとのことで、赤子の父は乳も飲めずに衰弱し、祖父は死を思いも致したことでございましょう。祖父は気位の高い御方でしたが、油座の油神人じにんにいまだかつて下げたことのない頭をさげ、北面の武士から油売りとなり、男手ひとつで不器用ながらも父を育てたそうでございます。あげく父は祖父と共にしょうもん村にて、ありすけ大夫の配下としての日々を過ごしたとのことでございます。父は曲舞くせまいや手猿楽なども見よう見まねながら巧みにこなし、その美貌を愛でられ、末は宮中や仙洞にて演じることができる逸材と囁かれるほどであったと申します」
 嗚呼──と義龍は胸中にて嘆息した。頼芸をたぶらかした京仕込みのあれこれ、その原点が散所さんじょ暮らしにあったのである。
「話をもどしましょう。さる御武家様のところにあずけられることとなった父は、祖父と鴨の河原で雉の焼き物を食べ、鴨で雉を食べる──と気丈にも戯れ言を口にし、祖父は涙したということでございますが、祖父との追憶に耽る父は、ゆっくり私に顔を向けたのでございます」
「で──」
「それだけでございます。ただ」
「ただ」
「はい。私は感じとったのです」
「なにを」
「まずは、いずれ父は美濃をものにするために私を棄て、母を棄て、いわば出奔するであろうということを」
 義龍に言葉はない。妻子を棄てた道三があったからこそ、義龍は美濃の国主と相成ったのである。表情をなくした義龍を見やり、奈良屋は呟いた。
「次に、もうひとつ」
「もうひとつ──」
「はい。もうひとつ私は感じとりました」
「なにを」
「父に慈しまれている、ということを」
 奈良屋は道三より俺と同様の扱いを受けて育ったが、幼いうちから父の真情を見抜き、拗ねず、歪まず、いまに到る。それに引き比べ、俺は──。
 義龍は、奥歯を嚙み締めるのみである。
「ま、本音を申せば、とんでもない祖父と父でございます。呆れて物も言えぬところをあえて言ってしまえば、美濃をものにすると父に吹きこんだ祖父はいつのまにやら奈良屋から消え去っておりまして、かわりに武家を離れて寺にて修行していた父が奈良屋に入りまして、母とのあいだに私を成したというのですから、いやはや、なんとも──」
 奈良屋の苦笑が深い。が、じつにさばさばした気配である。
「──母上は息災か」
「はい。とても小柄で、びなのような姿でございます。皺くちゃのかくしゃくたる女雛でございます」
「最後に、つかぬことを訊く」
「なんなりと」
「奈良屋の内腿にはしるしがあるか」
「三方を指し示すあれでございますね。ございます」
「そうか」
「はい」
 義龍と奈良屋は見交わした。よけいなことは一切口にせず、しばし見つめあった。
「義龍様の御厚意に甘えてしまい、長居致してしまいました。そろそろお暇を」
「うむ。長々と御苦労であった。これからもよしなにな」
「今日は奈良屋ばかりがお喋り致しました。次はどうか義龍様の御言葉を」
「──苦手なのだ。気持ちをあらわすのが、じつに苦手だ」
「奈良屋は、義龍様の御言葉が聞きとうございます」
 義龍はぎこちなく頷いた。奈良屋は未練の欠片も見せず、静かに立ちあがると、背を向けた。
 その背には美濃一国を背負う義龍以上に、奈良屋という看板を背負って揺るぎない男の自負と自信が漲っていた。
 義龍は奈良屋の背に父を見て中空を仰ぎ、瞑目した。
 もう奈良屋とは逢わぬほうがよいのではないか。逢えぬのではないか──。

   *

 予感どおり、義龍は美濃支配にかっを成しつつ、志なかば、三十五の若さにて没した。病魔に取り憑かれたのである。なにものかをおそれ、七転八倒するその姿に、人々はてのひらを返したように、父殺しが祟ったのだと噂した。
 義龍の後を継いだ龍興の為体ていたらくは、御存じのとおりである。斎藤家の美濃支配は三代でついえた。

  〈了〉

 

〈長い間、ご愛読ありがとうございました。本作品は小社より刊行される予定です。〉

プロフィール

1ko_shashin_A-1

花村萬月(はなむら・まんげつ)

1955年、東京生まれ。1989年、『ゴッド・ブレイス物語』で第2回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。98年、『皆月』で第19回吉川栄治文学新人賞、『ゲルマニウムの夜』で第119回芥川賞、2017年、『日蝕えつきる』で第30回柴田錬三郎賞を受賞。『ブルース』『笑う山崎』『セラフィムの夜』『私の庭』『王国記』『ワルツ』『武蔵』『信長私記』『弾正星』など著書多数。

<花村萬月の「くちばみ」連載記事一覧はこちらから>

記事一覧
△ 芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 最終回】 | P+D MAGAZINE TOPへ