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芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 第7回】

古く蝮をくちばみという。戦国時代、「美濃の蝮」と恐れられ、非情なまでの下剋上を成し遂げた乱世の巨魁・斎藤道三の、血と策謀の生涯を描く! 武士から油売りに身を落とした父・基宗に、峯丸(道三)は男手ひとつで育てられた。ある日、幼い頃に自分を捨てた母・藤と再会した峯丸は、母の嫁ぎ先である相良家で武芸を習い始め、基宗も相良の紹介で大油商・奈良屋に婿入りした。父子の野望が動き出す中、峯丸が禁忌に足を踏み入れる!

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 父と会う機会がほとんどなくなった。父は京と美濃を忙しく行き来して将来の足がかりを築いているばかりか、油売りの本分も忘れずに奈良屋の身代を大きく増やし、拡げているという。
 政豊の老母、初は別段恩を売るわけでもなく、初孫に接するがごとくやたらと甘い。峯丸のほうが、父が初から格別の世話を受けたと思い詰めて、健気に相良の家の子息を演じているようなところがあった。ともあれ父の様子は(あさ)()をとおして知るばかりの峯丸であった。
 その父はといえば、淺茅が峯丸に対して性的ないたずらをしていることを知っているばかりか、峯丸が可能になって淺茅とつがうならば、それもまたよし──と、淺茅に直接言ったという。
 同じ女を父子で共有する。それを肯定するほどに強いつながりを持っているともいえるが、基宗の異常性の一端があらわれているともいえる。
 もっとも、この尋常ならざる強い思い込みがあればこそ、基宗は油商いをこなしつつ、歩みこそ早くはないが、粘り強く美濃に着々と足がかりを築いているのである。
 世情はといえば、二年前に後土御門天皇が()(まか)って、後柏原天皇が(せん)()した。峯丸が九つになったこの年、朝廷はいつまでも動こうとしない幕府に痺れを切らし、新しい天皇の即位式を執り行うべしと幕府に五千貫文の即位費用、段銭(たんせん)調達を命じた。段銭とは天皇即位や譲位および内裏の修理等々の費用を捻出するために一国単位にて課す臨時の税金である。
 ところが守護がそれに応じない。応じたのはたった三氏のみ。その三氏の金額も、山名氏三十貫文、一色氏二十貫文、上杉氏五十貫文、計百貫文。米価変動等に左右されるためにこの時代の貨幣価値をいまと比較するのは難しいが、室町時代の一貫文を現代の貨幣価値に換算すると八万から十万円といったところか。五億入り用だと命じたのに、一千万しか集まらなかったのである。しかも寄付の類いとちがって、あくまでも税である。とにもかくにも幕府も朝廷も舐められきっていて、まともな対応をする者がいない。
 結果、年末に行われるはずであった即位式は延期せざるをえなくなり、立ち消えとなった。呆れたことに、後柏原天皇の即位式が実現したのは、なんと践祚から二十一年後であった。この遅すぎた即位式も本願寺が資金調達したとの噂がしきりであった。
 このような為体(ていたらく)の幕府に仕えている相良政豊は、他の幕臣と同様、内心では幕府を見限りつつあり、けれどまだまだその権威は使えると判断していた。初の入れ知恵もあり、今のままの状態を保ちつつ、あれこれ私腹を肥やす算段をしていた。だが残念なことに御馬廻奉公衆という役職がじゃまをして、地方の守護のように下克上を地で行くといった機会には恵まれず、都にて中途半端な立場のまま充足しつつあった。
 天皇が即位式を執り行えなかった翌年も、地道な武芸修行と勉学に明け暮れる峯丸の日々はかわらなかった。唯一、印象に残っているのは四月初旬に真如堂の棟上げを見学に出向いたことである。
 応仁の乱で焼けた真如堂に興味があったわけではない。たまには息抜きしてこいと相良政豊に命じられたのである。例によって淺茅が供についたのだが、峯丸と同様に棟上げを見ても──といった気配が濃厚だった。
「御屋形様は建前を終えて棟木を引上げるのを目の当たりにすると安らがれるのでございましょうか」
 淺茅がぼやく。真如堂ほどの規模であれば棟上げも壮観ではあろうが、峯丸はちらと視線を淺茅に投げ、けれどなにも言わない。ただしその唇の端は笑っている。その大人びた表情に淺茅は一瞬、息を詰めた。
 現代の暦でいえば五月中旬、よく晴れ渡っているがやや陽射しのきつい日であった。峯丸は真如堂に向かわず、神楽岡にあがる杣道(そまみち)を行く。淺茅も知らなかった獣道じみた登りだが、神楽岡にあがればよい風も抜けるだろう。
「昼寝して、帰ろう」
「はい」
「なあ、淺茅」
「はい」
「父は淺茅には会うくせに、峯丸には会おうとせぬ」
「お寂しい思いをされているのは峯丸様よりも父上様でございます」
「そうかな。父は淺茅と男と女のことがしたいから淺茅とは会う。峯丸とは会わぬ。そういうことではないか」
「拗ねたことを口にするのは峯丸様には似合わぬこと」
 (たしな)めると、峯丸は口を(つぐ)んでしまった。基宗は自らが奈良屋に婿入りして峯丸を相良政豊に託したがゆえに出しゃばるのを控えているのであり、なによりも峯丸の自立を願って我が子に会いたいという思いをきっちり抑制しているのである。
 淺茅はそっと峯丸の横顔を窺うが、横顔からは一切の感情の動きを知る手がかりがなかった。正対していても読めないのだから、仕方がないとちいさく首をすくめる。
 頭上にはいまを盛りと青葉が茂り、陽射しを遮ってくれている。やかましいくらいの鳥の声に耳を澄ましていると、いきなり峯丸が振りかえり、迫った。
「峯丸にも男と女のこと、教えてくれ」
「よろしゅうございますと申したいところでございますが、まだ、いささか早うございます」
「いたずらばかりするではないか」
「だからこそ、早いと申しておるのです」
 淺茅は、峯丸にまだ精通がないことを言っているのである。そのときがきたら、と、じっと見つめる。けれど峯丸は引きさがらなかった。きつく軀をぶつけてきた。
 精通もないのだから、まだ真の男の慾望も兆していない。つまり切実というほどでもなかった。意地になっている気配である。そう悟っているにもかかわらず、淺茅の内側にあふれんばかりの潤いが充ちた。息を荒らげて瞬時、思案した。
 いつも、いたずらするばかり。ならば、いたずらしてもらってもよいのでは。女の仕組みを教えてさしあげるのも後学のためになるはず──。
 杣道を外れ、草の(しとね)に腰をおろす。いつもならば峯丸が(つま)まれて射精と無縁だけに際限なく快を与えられて躍らされるのだが、この日はちがった。
 いたずらはしても、淺茅は頑なに己の秘密を見せようとはしなかった。それを青草の蒸れるような熱気に包まれつつ、白日のもとにあからさまにしてみせたのである。
 目の当たりにした峯丸は、淺茅の形状をつかみきれずに戸惑うばかりである。どうしたらよいのか目で問うと、淺茅は不規則な息で乱れがちな言葉を並べあげ、女をどう作動させればよいかを教授していく。
 やがて峯丸は常軌を逸した淺茅の乱れぶりに不安を覚え、怖ささえ感じて、腰が引けてきた。けれど快に取りこまれた淺茅は威圧的にして際限なく、まだ本格的な性的慾求の発露をみぬ峯丸にとっては、もう二度と余計なことはせぬと決心させられるほどの大層な手仕事と相成った。
 半時ほども奉仕させられて、ようやく淺茅が放心した。過敏になってしまって触れられることを拒んできた。峯丸は淺茅に気付かれぬよう、そっと安堵の息をついた。
 女は凄いものである。ここまで乱れ狂うのである。これは峯丸の手に負えぬ。父にまかせておくにしくはない──。
 淺茅は峯丸の精通にこだわっていて、ゆえにまだ幼い峯丸を迎え入れようとはしなかった。可能は可能であるが、まだ峯丸は男ではないと淺茅は慾のぎりぎりでこらえ、その日がきたらと(ひそ)かに思い巡らせる。
 そんな淺茅の気持ちを知ってか知らずか、まだしどけない格好で転がる淺茅を見やって峯丸がぼやいた。
「いやはや、凄い上棟式だった」
 淺茅はまだ烈しく胸を上下させていて、それに言葉を返すことはできなかったが、苦笑まじりの満ち足りた笑みをその血の色に染まった唇に(うか)べた。以後、峯丸が淺茅の軀に触れることはなかった。

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