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芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 第8回】

古く蝮をくちばみという。戦国時代、「美濃の蝮」と恐れられ、非情なまでの下剋上を成し遂げた乱世の巨魁・斎藤道三の、血と策謀の生涯を描く! 父・基宗に男手ひとつで育てられた峯丸(道三)は、自分を捨てた母・藤と再会。母の嫁ぎ先である相良家に縁を得た。相良の紹介で大油商・奈良屋に婿入りした基宗は、美濃国盗りに向けて動き出す。商いに乗じて着々と足場を固める基宗。一度は仏門に入るも還俗し、油売りに勤しむ峯丸にも変化が……。

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 春先に寺をでて、八箇月ほどたったか。いまや秋もすっかり深まっていた。峯丸は油売りに馴染んでいた。無粋な気負いもなく、軀のどこにも力が入っていない状態だ。
 商いは、おもしろい。
 御得意と遣り取りするのもおもしろい。一期一会と思われる相手と瞬時の交流をもつのもおもしろい。銭を仲立ちとして他人と交わるのは、とにかく、おもしろい。
 峯丸は父の血をひいていることからくる独善を己のなかに見いだしているから、常に頭をさげることによって己の内面の独善を修正しようと考えてもいた。
 それはなにぶん血であるから、そう簡単なことではないし、独善を矯正したとしても、新たな独善を身にまとうだけであるような気もする。ともあれ、意識のあるなしだけで行動はずいぶんちがってくる。
 商いで頭をさげるのと同時に、坊主であったころもそれなりに行ってはいたが多少なりとも抑制していた事柄、すなわち異性との関係を一切加減なしに再開していた。
 とにかく女人にもてる。商いのさなかも誘われ、裾を引かれ、室内に引き入れられる。その際に選択はしない。老若美醜問わずきっちり相手をする。
 どのような相手であっても、峯丸は必ず女の胎内に精を放つことを己に課していた。ときに目を瞑ってどうにか果てる。
 こうなると、ある種の修行である。
 実際、峯丸は相手が業病を患っていようともきっちり交媾すべしと己を律していた。
 たとえば唐瘡(とうがさ)の悲惨さは重々承知しているが、それをあっさり移されるようならば、己はそれまでの器であったのだ──と天を仰いで諸々を諦める。
 そんな賭け事めいた生き方が奇妙なほど性に合っていて、だから峯丸は性の快感とはまたちがった曰く言いがたい、常人には求め得ぬ昂ぶりの日々に耽っていた。
 商いの途中で、どこそこの女が孕んだようだといった噂を耳にすることがある。油売りをはじめたその当日から、幾人もの女に精を注いだ。抱いた記憶がある女であれば、おそらくは自分の胤であろうと笑む。
 これだけ励んでおれば、それなりの数、当たるであろう──と峯丸は他人事のように頷く。相手が変わるということもあろうが、幾度でもこなせる自身の精力に峯丸は若干の呆れを抱いてもいた。
 京のあちこちに己の子を孕んだ女がいる。実際にいるのか、単なる思い込みか。それは峯丸にもよくわからない。もとより関わる気は毛頭ないが、悪い気分ではない。
 孕んだ女たちと顔を合わせることもある。脹らんだ腹を誇るようにして、これは貴男の子だと言われたこともあったが、不思議と責をとれと迫られることもない。
 そんなこともあって、じつは己を買いかぶっていい気になっているだけだといったあたりに峯丸の気持ちは落ち着いていた。
 時折、美濃からもどった父と奈良屋で顔を合わせる。いっしょに縁側に座って茶など啜り、四方山話に耽る。いまだに父と短く呼んでいる。基宗が父上という言葉をひどく嫌うからである。
 ある意味安楽な坊主の生活を続け、さらに天秤棒を担いで市中を流しているうちに、二十歳という年齢もそろそろ終わりに近づいてきてしまったと峯丸がぼやくと、基宗はこともなげに返してきた。
「よい。名も法蓮坊から峯丸にもどったのだし、好きなだけ遊べ」
「遊べ──。遊んでいてよいのか」
「おまえの油売りは、(ひっ)(きょう)遊びであろうが」
「──まあ、そうかもしれぬ。金儲けがしたいわけではないしな」
「ま、慌てることはない。気の趣くまま揺蕩(たゆた)うがよい」
「よいのか」
「よいも悪いも、父が息災のうちは遊び暮らせばよい」
 笑みを(うか)べるのにあわせて基宗は耳朶のあたりを搔いて、小首を傾げる。
「遊び暮らすはないか。結實(ゆい)によればなかなかの稼ぎとのこと。奈良屋のことも俺以上に巧くこなしているしな」
「父の足許にも及ばぬよ」
「照れるな。奈良屋の経営に専念すれば人を使って楽ができるにもかかわらず、おまえが天秤棒を担いで油売りを欠かさぬのは、なんらかの思いがあってのことであろう。ま、ほんとうに困ったときは頼るから、好きなようにしろ」
 父のモラトリアムのすすめに、控えめに首をすくめる峯丸であった。
 もっとも一切表情を変えはしなかったが、胸中では感動の焰が控えめに燃えあがっていた。基宗の眼差しから、子に対する万全の信頼を酌みとったからである。
 そんな子にむけて父は思いのこもった深い溜息を洩らし、述懐の口調で呟く。
「俺など、人として、男として動きはじめるまでに、どれだけの時を要としたか」
 単純な体力だけならば勝てそうだが、父の肌からは男盛りならではの精力が匂いたっている。峯丸は父に甘えることに決めた。
 決めるもなにも、いままでどおりか──と横をむいて胸中にて呟き、ごくほんのわずかだけ峯丸は唇の端を動かした。苦笑したつもりである。
 西日の時刻である。よく晴れているが、斜めからの陽射しは弱々しい。それでも紅葉した落ち葉があたり一面を覆って、その鮮やかな深紅が眼球の芯に刺さる。
 坪庭の暗がりで鈴虫が、りいんりいん──と囁き声をあげている。父と子はしばし虫の音に耳を澄ます。
「つい先頃な、桜井宗的が籠もる阿用城を攻めていた尼子経久の嫡男、政久が討ち死にした」
 おもむろに解説口調で語りはじめた基宗の声に、静かに耳を傾ける峯丸である。
「討ち死にというのも微妙だが、城攻めで死んだのだから、やはり討ち死にか」
 基宗の顔には含みとでもいうべき揺れが幽かに泛んでいた。峯丸は強い興味をかきたてられたが、もちろん無表情である。
 いつのころからか峯丸は感情と表情が連動しなくなっていた。
 一切の感情があらわれぬことを隠蔽するために、父以外と話をするときはひたすら遺漏のない受け答えをすると共に、それに合わせたそつのない顔をつくるのだが、父と言葉を交わすときは演技をせずに本来の自分でいられる。
「尼子政久は後土御門天皇からもその有職(ゆうそく)や風流を称される一方、知勇に(ぬき)んでた武将であり、父経久の出雲統一の大きな力になったという」
「俺とは正反対だな」
「峯丸には、もっと優れたものがある」
「買いかぶりだ」
「いや。だが、このことで遣り合うつもりはない」
 きっぱりした基宗の口調に、峯丸は口をすぼめて上目遣いだ。めずらしく感情が(おもて)にあらわれた。とても幼い。
 基宗は誘われるように手を伸ばし、峯丸の頰に触れた。食指と中指で押すと、しっとり柔らかい。
 幾つになっても子供は子供──。
 父親の感慨を隠して、話を続ける。
「尼子政久は武人としても一流であったが、先ほど申したとおり、なによりも風流人であった」
「風流人か。ますます俺とちがう」
 いちいち突っ張って絡む息子を無視し、父は両手を挙げて唇を尖らせ、なにやら吹く仕種をしてみせた。
「とりわけ笛が見事でな。尼子政久とくれば笛とかえされるほどであった」
 相良政豊から受けた鍛錬のおかげで、武芸諸般には多少なりとも自信がある。だが風流はよくわからない。やや(くど)いと思いつつ、そういった意味のことを告げると、基宗は逆らわずに頷いた。
 わずかに、微妙な間ができた。

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