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芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 第10回】

古く蝮をくちばみという。戦国時代、「美濃の蝮」と恐れられ、非情なまでの下剋上を成し遂げた乱世の巨魁・斎藤道三の、血と策謀の生涯を描く! 父と二人、油売りをして露命を繋いだ幼少期。やがて京の豪商・奈良屋に縁を得たことで、父と子の国盗りの野望が動きだす。狙うは天下の要、美濃国。実力者へとのし上がった父に続いて美濃に入った長井新九郎(のちの道三)は、思わぬ形で武名を馳せる。すると、守護・土岐頼武から内密の呼び出しが……。

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 夕刻である。ざざっと降って、すっとあがったので、ふわりと温度がさがって雨の匂いだけが残されている。頼武と新九郎はしっとりした気配のなかで肚の探りあいだ。
 せいぜい無表情をつくっているつもりではあるが、憮然とした気配を隠すまでには到らない。それが伝わるから土岐頼武も微妙な上目遣いで迎合気味だ。
 京で生まれ育った新九郎にしてみれば贅を凝らした京風の調度までもが苛立たしい。見るからに似而非(えせ)である。奈良屋に入るまではよくわからなかったのだが、堺の商人たちの美意識が油屋界隈にまで伝わっていて、新九郎は美という実体のないものの本質を否応なしに体得させられていた。
 こんな偽物に金を遣って悦に入っているのだとすれば愚かさを通り越して、すこし足りないのではないかとさえ思われる。嘲笑してやりたいところだが、そうもいかぬ。
 新九郎が入ってきたときに違棚に投げた視線に微妙なものが含まれていたのを感じとった頼武は、中央に対する劣等感もあり、揉み手こそせぬが膝頭が細かく揺れて、いかにも不安げである。
 このようなとき、新九郎は自らは絶対に口をひらかない。もちろん目上の者に対する礼としては問題がないことを織り込み済みの無礼であり無視である。
 わざわざ拳を口許にあてがって頼武が咳払いした。とことん焦らしてやるつもりだったが飽きが這い昇っていた。たいしたことのない人物であると即座に見切ってしまったのである。いかようにも手玉にとれると判じてしまったのである。手練手管を駆使して自家薬籠中物とするほどのこともない。
 ほんのわずかにあった緊張も雑にほぐれてしまい、下手をすると欠伸(あくび)をしかねぬので、新九郎は沈黙から抜けだすためにゆるゆると目をあげてやる。誘いこまれるように問いかけてきた。
「いかんか」
「と、申されますと」
「この棚だ」
 視線に気付いていたのか──と新九郎は(まばた)きをしばらく止めて頼武を見つめてやる。もちろん演技だ。あえて真っ先に違棚に()(ろん)なる物を見やるかの大仰な目つきを投げておいたのである。即座に食いついてきた。微妙な間合いをとって、率直かつ辛辣な言葉を投げる。
「いかにも無粋の極みでございますな」
「無粋」
 繰りかえして、頼武は口を半開きである。新九郎は食指を突きだして、違棚のその周囲をなぞるように動かす。
「この部屋の造作(ぞうさく)、じつに見事、結構なものでございます」
 蛇足だが作者登場。『じつに見事、素晴らしいものでございます』と書きかけてふと気付き、苦笑い気味に書き換えた。近世あたりまでは『素晴らしい』という言葉は、じつは望ましくない様子をあらわすのに用いられていたからである。
 地の文ならばともかく会話で素晴らしいを遣ってはいけないな──と反省しきり。かといってあまり厳密に科白(せりふ)を書けば、現代人にはなにがなにやらということにもなりかねないのですべては匙加減であり、作者はなるべく科白において現代語にちかい構文を心がけているのだが、そして意を砕くのは自己満足にすぎないけれど、時代小説というものは、気配りをし始めると相当に微妙にして難儀なものなのだ。
 まさに蛇足ではあった。新九郎の様子にもどす。いままでの半眠りから、いきなり眼光鋭く頼武の背後を睨み据え、幾度も食指を左右に動かす。
「さて、頼武様。新九郎の指の先になにが見えますか」
「──違棚」
「違棚を示すなら、指を違棚に据えるはず。あえて左右に動かすはずもございませぬでしょう」
「そうか。そうだな」
「部屋の造作、見事と申したはず」
「そうだ。造作か」
「はい。よい暗がりが拡がっております」
 頼武は素直に上体を捩じ曲げて、新九郎の示した暗がりとやらのはったりを感に堪えぬといった表情で眺めやる。黄昏時のしじまに秘めやかに、(ひそ)やかに拡がる光と影の綾はどのような凡庸な空間であっても、それなりに邃深(すいしん)なものである。
「せっかくのその暗がりに、なにゆえ贅を凝らした材を組み合わせた安っぽい寄木細工のごとき代物を設えられたか」
「──安っぽい贅」
「銘木であること、一目瞭然。されど、ここに立ち顕れたじつに優雅にして幽玄幽遠に対しては、空騒ぎに似てあまりに安っぽい」
 頼武は眉間を(つま)みあげ、幾度も頷き、すがる眼差しで訊いてきた。
「この暗がりを活かすには、どうしたらよいのだ」
「易きことにございます。(けやき)にて抑えて抑えて抑え抜いたかたちにて設えれば、この暗がり、影が秘めやかに浮きあがりましょう」
「わかった。影を活かすためには技巧が邪魔をするということだな」
「いくら物申しても、とんと伝わらぬ御仁ばかりで辟易致しておりましたが、さすが頼武様。御賢察に感じ入ってございます」
 頼武という人物を相当に舐めきった失礼な物言いであるが、当の頼武は頰を赤らめてじつに嬉しそうである。
 立場を(こしら)えるために、どこにも存在しない幽玄幽遠なる暗がりを(でっ)ちあげはしたが、こんな遣り取りを新九郎はいつまでも続ける気はない。まだあれこれ喋りたそうな頼武からいったん視線をはずす。頼武を見ずに言う。
「さて、御用」
「──ん」
「美濃にやってきたばかりの若輩に、いかなる御用がございますのでしょう」
 若輩という年齢でもないが、そして若輩という言葉には謙譲の欠片も含まれていないのだが、そこはいかようにも厚顔無恥になれる新九郎である。
 実際に新九郎を目の当たりにした頼武は素直に若輩という言葉を受け容れて、その能面じみた美貌に内心、これは女人が(ほう)っておかぬわ──と感嘆しきりであった。
 それは扨措き、どのような鬱屈、あるいは羞恥があるのか頼武は決まり悪そうに口をへの字型に結んで俯き加減になり、それを虚勢で吹きとばすかのように昂然と顔をあげ、人払いを命じた。
 新九郎と頼武だけになると、いよいよ贅を凝らした京風の造作がうそ寒い。
 近う──と頼武が弱々しく手招きする。新九郎は首をすくめそうになったのをかろうじて抑え、膝で(にじ)り寄ってやる。
 気配がした。
 よほど過敏になっているのだろう、頼武の背筋がぎくっと伸びた。
 灯明に火をともすために声がけした女に、絶対に誰も入ってくるなと触れまわっておけと棘のある、けれど落ち着きのない口調で吐き棄て、きつく腕組みすると胡坐の両膝を激しく揺らせた。
 異様なまでの落ち着きのなさである。不安と畏れと逡巡らしきものが凝縮して痙攣するがごとくだ。
 両手両足を組んで達磨のような恰好でせわしなく動揺している頼武を眺めやる新九郎の眼差しの奥に、冷気に似た蔑みと倦怠の色が流れた。
「頼武様」
「──うん」
「腕をとき、肩から力をお抜きになり、息を大きく吸って」
 新九郎は揺れる頼武の両膝を両の手で平然と押さえ込み、深呼吸を促した。まるで子供扱いだが、頼武は大きく二度頷いて新九郎の言うとおりにした。
 人はいきなり接触されると不安になる一方で、心底から不安なときには、たとえ新九郎のような偽りの心配りであっても(じか)に触れられると、ずいぶん心が鎮まるものである。本来ならば身分的にも安易に軀に触れてはならぬ相手ではあるが、人払いして周囲に誰もいないこともあり、当然ながら頼武には新九郎に対する依存が育った。
「なんといえば、よいのだろう──」
 蟀谷(こめかみ)に指先をあてて思案する頼武の膝がまたもや揺れはじめた。新九郎は加減せずにその膝を叩くようにして押さえ込んだ。パシッという打音に、頼武のまなこがまん丸になって見ひらかれた。
 頼武と新九郎双方が、うっすら忍びこんできた藍に紫を溶かしこんだかの薄闇のなかで凝視しあった。お互いに瞳の奥底を覗きこむがごとくである。先に口をひらいたのは、頼武であった。
 

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