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芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 第12回】

古く蝮をくちばみという。戦国時代、「美濃の蝮」と恐れられ、非情なまでの下剋上を成し遂げた乱世の巨魁・斎藤道三の、血と策謀の生涯を描く! 父と二人、油売りをして食い繋いだ幼少期。どん底を知る父と子の国盗りの野望が動き出す。狙うは天下の要・美濃国。父に続き美濃入りした新九郎(のちの道三)は、守護・土岐頼武から側室・深芳野との閨事の代役を託される。深芳野と密かに心を通わせ、野望をも打ち明ける新九郎。父との絆が壊れ始める……。

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「新九郎」
「──はい」
「懲りたか」
「──いいえ」
「また、やろうな」
「──はい」
 どうしても返事が一呼吸遅れる新九郎である。頼武は新九郎の博奕の弱さに、逆に新九郎の心の底深くに隠蔽された誠実さを見抜いていた。
 もちろん世に言うまめまめしい実義などではない。無理やり言葉にすれば、過剰なる羞恥であり、廉恥の心であろう。
 新九郎が愚鈍と判じて見下げてきた頼武であるが、こういった事柄に関してはじつに敏感である。それは博才に通じるものであるかもしれない。
 また美濃を統べる家系に生まれながらも、周囲の実力者の心の奥底を忖度して生きなければならぬ生い立ちが磨き抜いた感受性でもあった。
 新九郎の表面にあらわれた投げ遣りなものや冷笑じみたあれこれは、あるいは道徳律から外れて見える言動は、じつは仮装されたものなのだ。
 頼武と深芳野と新九郎。まったく奇妙な三角関係であるが、いまや不可解かつ不可思議な絆さえ生じていた。小博奕が強くても、現実にはなんの力も持ち得ないと頼武は自覚していた。
 新九郎、おまえは博奕が弱くてよいのだ。今のままでよい。新九郎よ、強くなる必要はない──。
 それを新九郎に告げたい衝動を覚えたが、憐れみの眼差しを隠した深芳野と同様に、頼武はあえて冷徹な表情をつくった。それが賭けを促す声にも反映し、博奕の最後とは思えぬ静かな諭すような声が洩れた。
「さ、丁か半か」
 そんな頼武の声をひっくり返すかのように深芳野が呟く。
「いかにも忠実立(まめだ)っておられるが、頼武様は平然とシッピン親の総取りを狙っているとみました」
 頼武の頰が苦笑いに歪む。
「ま、親であるからな」
「怖い、怖い。せいぜいお手柔らかに」
 深芳野と頼武のあいだで、遊びで博奕をしているときならではの軽口の遣り取りが続いていく。
 けれど新九郎は無言にして、口で息をしている。しかも、それに気付いていない。一見して頰がかさついていることがわかるし、眼球など渇ききって艶と光が失せてしまっている。
 深芳野など美味し美味し──と手指で(つま)んでしまった志摩の()(くりや)から届いた極上の酒の肴の生(あわび)も手つかずのまま放置されて、そのやや変色したさまは、そのまま新九郎の唇の色に重なっている。
 頼武も深芳野も、新九郎はこれで終わりだと確信した。頼武は表情をあらためて声がけする。
「丁か、半か」
 目でおまえが先に決める番だと新九郎に促す。とたんに新九郎は腕組みして思案しはじめた。その姿は新九郎にあるまじき恥も外聞もないといった態である。
 頼武は胸中で、首を左右に振った。いまさら思案しても意味がない。確率は思考を超越している。頼武の言葉に訳せば、直感以外に勝つ方策はない──ということだ。
 けれど新九郎は、いまさらながらに尋常でない気合いと集中力をもってこの勝負がはじまって以降の確率を脳裏に描きはじめた。頭の中で微細な雷光が爆ぜ、ああなればこうなるとめまぐるしく計算している。
 痛々しいことに、新九郎といえども勝負のすべてを記憶しているわけではない。だが、印象的な勝負の断片ばかりを積み重ねて、見事に片寄った方向に傾いていく。
 勝っていて調子のよいときはそれもうまく転がる秘訣だが、負けが込んでいるときは墓穴を掘るだけである。確率という魔物は、人の思惑など一切頓着しない。
 考えすぎて新九郎は凝固してしまった。けれど当人はそう思っていない。頼武と深芳野は思わず見交わした。
 鈴虫の声がやんでいた。
 恐るべき新九郎の気合いである。
 だが、念で骰子を操れるわけではない。
 そもそも発端がよくなかった。新九郎は生まれて初めてする博奕で、頼武をとことん痛めつけてやることを夢想し、そうできると信じ込んでいたのだ。
 もともと新九郎は頼武を侮り、すべてにおいて頼武を捩じ伏せることができると過信していたのは読者諸兄も周知の事実である。賭博も例外ではないと、ごく軽く骰子を手にしたわけである。
 これは博奕という遊びに対する冒瀆であった。勝負の相手は頼武ではなく、じつは確率であり、運命であるからだ。
 新九郎には確率に身をまかせるという発想がなかった。人対人という硬直に支配されてしまっていた。すべては、運でしょう──と肩から力が抜けている頼武に勝てるはずもない。深芳野に到っては、ただの気晴らし。飽きたら部屋にもどるつもりでいた。
「半」
 切迫した新九郎の声に、ようやく鳴きだした鈴虫がまたもや鎮まってしまった。
 頼武と深芳野は忍びいる静けさに息を詰めたが、新九郎は外界のことが一切感じられなくなっていた。たかが確率二分の一に、頭の芯に痛みを感じるほどに考え抜いた結論が、半であった。
 深芳野も直感ではなから半と決めていた。勝負を流してもよいのだが、あえて丁に賭けることにした。こういうときは、なぜか(はん)()が勝つものであるからだ。
 頼武は黙って賽を振った。
 常日頃の手慰みの甲斐あって、頼武の賽の扱いは抜群である。
 運命というには大仰だが、若干歪んで黄ばんだ骨でつくられたこの小さな立方体には、まちがいなく運命が凝固している。
 瞬きを忘れた新九郎の眼を意識してか、運命を載せたふたつの骰子は絡みあってくるくる廻り、残像をともなった絶妙な踊りを見せつける。
 やがて運命は、あっけないほどに坦々と力むことなく収束していく。
 運命の数字が刻まれた面を上方に向けて、静止する。
 二のゾロ目だった。
 頼武は押し黙ったまま新九郎の駒を深芳野の前に移した。あらためて深芳野と新九郎を交互に見て、呟くように言う。
「これにてお開きとするか」
 ぐっと顔をあげた新九郎だが、頼武の穏やかな視線を受けてぎこちなく横を向き、やがて俯いた。深芳野は手許にやってきた碁石のなかから白石をひとつ抓みあげ、寄り目気味に一瞥し、笑みを(うか)べた。
(わらわ)が親をやりますがゆえ、頼武様と新九郎で、もう一勝負、いかがですか」
「だが、もう新九郎には賭ける銭がない」
「新九郎が賭けるのは、命」
 一呼吸おいて、新九郎が勢いよく顔をあげる。深芳野は新九郎に視線を流し、けれど命を賭けられるかと目で問うこともせずに拇指と食指で抓んだ白石を撫でさする。
 一切の感情のあらわれぬ深芳野であるが、頼武はあの芳香が一段たかまったことを感じとり、新九郎と深芳野を見較べる。
 

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