本との偶然の出会いをWEB上でも

芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 第12回】

古く蝮をくちばみという。戦国時代、「美濃の蝮」と恐れられ、非情なまでの下剋上を成し遂げた乱世の巨魁・斎藤道三の、血と策謀の生涯を描く! 父と二人、油売りをして食い繋いだ幼少期。どん底を知る父と子の国盗りの野望が動き出す。狙うは天下の要・美濃国。父に続き美濃入りした新九郎(のちの道三)は、守護・土岐頼武から側室・深芳野との閨事の代役を託される。深芳野と密かに心を通わせ、野望をも打ち明ける新九郎。父との絆が壊れ始める……。

くちばみ新メインビジュアル

 
「丁半、お決めいただきましょう。右回りの作法に則って、新九郎から」
「丁」
「頼武様は、どう致します。流しますか」
「いや、この勝負、科料金品にて流すはふさわしからず。滞るは無様」
 一呼吸おいて、頼武は残されたひとつを静かに口にした。
「半」
 深芳野が、なにもない厚円座に視線を落とす。じつはここには美濃一国と新九郎の命が載っているのである。一国と命の采配をとることができるのだ。深芳野はまさに天下をとったかの万能感に心窃かに歓喜した。
 妾がこの男たちの運命を決めるのだ──。
 そんな深芳野の気持ちを見抜いているかのように、頼武がからかいの言葉を投げる。
「気合いを入れすぎて、いばりを洩らさんでくれよ」
 厚円座から骰子を落とすなということであるが、深芳野は指のあいだに骰子を構えたまま、親の自分がいばりを洩らしてしまったとしたら、命と一国を賭けているふたりにどう対処したらよいのだろうと、若干の不安を覚えた。
「生憎でございます。妾がシッピンをだしたならば、頼武様は美濃国を、新九郎は命を妾に献上致さねばなりませぬぞ」
「どうじゃ、新九郎。この強気」
「俺とちがって、絶対に洩らすことなどございませぬ。それよりシッピンに心置かねば、とんでもないことになります」
「うーむ。だが、生憎だが、深芳野はシッピンにおける牛玉宝印の起請文を取りかわしておらぬ。すなわち蚊帳の外よ」
 新九郎がぽんと手を叩く。
「なるほど。この勝負、深芳野殿のシッピンは無関係でございますな」
「そのとおり」
「ええい、勝手なことを申すでない。博打の決め事は必ず守っていただきます」
「深芳野殿」
「なんじゃ」
「前振りはよろしゅうございます。さ、賽を振ってください」
 新九郎の柔らかな笑顔に促され、鈴虫の声が続いていることを慥かめて、深芳野はひらりとごく軽く手首を返し、骰子を厚円座の中心に投げた。
 ころころころころさいころころころ。
 ぴたりと、止まる。
「五六の半」
 出目を口にしてから、その声がひどく掠れていることに深芳野は気付いた。
 勝負前の笑顔をくずさぬまま新九郎は落とされるであろう首筋を撫でて呟いた。
「負けてしまいました」
 背筋を硬直させて青褪めている深芳野にすまなそうな視線を投げ、厚円座のほぼ中心に佇んでいる二つの骰子を見やり、小さく息をつく。
「頼武様」
「ん」
「この新九郎、ここまで博奕が弱いとは、我ながら呆れ果てております」
「さばさばした顔だが」
「はい。自分の内側にある骰子はまだ勢いよく廻っているのですが、じき、この骰子も鎮まります」
「そうだな。新九郎の骰子にはどのような思いが載せられていたのか、知りたい気もするが、それも叶わぬな」
 頼武が立ちあがり、大声で刀を持ってくるように命じた。侍女が恭しく捧げもつ刀を手にし、抜刀する。一点の曇りもない白銀の刀身に灯火の朱が映える。
 深芳野は俯いて微動だにしない。頼武は深芳野に一瞥をくれることもなく、新九郎も肚が決まっているので、あえて深芳野を見やることもない。
「頼武様。新九郎はどのような体勢をとればよいでしょうか。部屋を汚しますから、場所を移りましょうか」
「よい。ここで、よい。新九郎の間と名付けて、折々に訪れておまえを偲ぶ。沁み込んだ血潮が真っ黒に変わっても、命日には香を焚こう」
「なにやら仏のようで気恥ずかしいことでございます」
「ま、仏になるのだから」
「なるほど。で、体勢は」
「うん。脳天幹竹(からたけ)割りな。いちど脳天幹竹割りを試してみたくてな」
「てっきり首を落とされるものと思っておりましたが、脳天幹竹割りですか──」
「いやか」
「どのようなかたちでもかまいませぬが、すっぱりいっていただきたいものです」
「だよなあ。頭をはずして肩口なんぞを斬り裂いてしまったら、大層痛いだろうなあ」
「はあ──。首に幾太刀も入れられるのもきついだろうなとは思いますが」
「うまく真っ二つにしてやるから、安堵してまかせろ」
「わかりました。では、このあたりに立てばよろしゅうございますか」
「ん。いいね。じゃ、この牛玉宝印の起請文を顔の前に掲げろ」
「罪人の首を落とすとき、なにやら目隠しのようなものを致しますな」
「それだ。二枚の起請文ごと、すっぱり真っ二つにしてやる。勝負が付いたのだから、こんなものを後生大事に残しておくこともあるまい。美濃国も新九郎も真っ二つだ」
「はい。では、よろしくお願い致します」
 新九郎は力むことなく起請文を眼前に掲げて、すっと立つ。
 一太刀で為留めてもらえればいいが、刀を構えている頼武がじつにへっぴり腰なので、いささか不安である。上段に構えるであろう頼武が起請文で見えないことがいいような悪いような若干の心許なさがあるが、息をするのもあと少しである。
 美濃国を労せずして手に入れる絶好の機会を逃して、かわりに命を差しだすことと相成った。
 これぞ運命──と新九郎は胸中で呟いて、間近すぎて焦点の合わない起請文の文字を追い払うように目を閉じた。
 上方から、かっと打音が響いた。
 新九郎の頭に刀身は達していない。
 このようなとき、じつに頭はめまぐるしくはたらくものである。大上段から振りかぶった刀の切先が天井に当たり、けれど委細構わず頼武は新九郎を脳天幹竹割りにした。
 と、判じたとき、頼武の高笑いが新九郎を醒ました。
 新九郎の右と左の手には、それぞれ真っ二つになった牛玉宝印の起請文があった。
「案の定、斬り損ねた。武道はからっきしなんだわ。失敗してもうた。おまえを幹竹割りにできなかったこと、今生の大失策として胸に刻もう」
 膝をついて(ふる)えている侍女に刀を手渡し、鞘にもどすように命じ、吐きだすように新九郎に言う。
「そんなもん、後生大事にもっているんじゃない。とっとと棄て去れ」
 新九郎は慌てて手にしている起請文を丸めて投げ棄てる。
「今宵はじつに愉しかったよ。また、やろうな新九郎」
 と、鷹揚に頷き、手首を返して骰子を転がす手つきをして見せ、頼武は背を向けた。厚円座の前で(くずお)れそうになっていた深芳野にはあえて目もくれなかった。
 侍女が刀を捧げもって頼武を追うように出ていってから、新九郎は深芳野の傍らに膝をつき、きつく抱き締めた。いまごろになって額から玉の汗が噴きだして、新九郎はかまわずそれを深芳野の頰に擦りつけた。

 

〈次回は9月下旬頃に更新予定です。〉

プロフィール

1ko_shashin_A-1

花村萬月(はなむら・まんげつ)

1955年、東京生まれ。1989年、『ゴッド・ブレイス物語』で第2回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。98年、『皆月』で第19回吉川栄治文学新人賞、『ゲルマニウムの夜』で第119回芥川賞、2017年、『日蝕えつきる』で第30回柴田錬三郎賞を受賞。『ブルース』『笑う山崎』『セラフィムの夜』『私の庭』『王国記』『ワルツ』『武蔵』『信長私記』『弾正星』など著書多数。

<花村萬月の「くちばみ」連載記事一覧はこちらから>

記事一覧
△ 芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 第12回】 | P+D MAGAZINE TOPへ