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芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 第13回】

古く蝮をくちばみという。戦国時代、「美濃の蝮」と恐れられ、非情なまでの下剋上を成し遂げた乱世の巨魁・斎藤道三の、血と策謀の生涯を描く! 父と二人、油売りをして食い繋いだ幼少期。どん底を知る父と子が、美濃を舞台に国盗りへと動き出す。守護家の土岐頼芸から側室・深芳野との閨事の代役を託され、奇妙な三角関係の中、野望に向かって突き進む新九郎(のちの道三)。その一方で、父・新左衛門尉が次第に疎ましく感じられ……。

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 新九郎と真珠が通じあってたいしてたたぬうちに、戦がおきた。この戦により美濃の守護、土岐頼武は川手城を追われ、新九郎が担いだ土岐頼芸が第十一代美濃守護の座についた。
 この政変は新九郎が調略を重ね、企図したものである。城を与えられたのだから、多少は働くかと思惑を重ねたのだ。深芳野の妊娠を知って、いよいよ美濃を己のものとする、その第一歩であると窃かに気負った。
 だが、頼武側に対する裏工作よりも、煮え切らぬ頼芸と新九郎の父である(しん)()()(もんの)(じょう)、そして小守護代の長井長弘を説得するほうが面倒であった。
 じつは二年ほど前に頼芸と新左衛門尉がその当時、新たに守護代となった斎藤利茂を攻めたてて、斎藤氏居城の稲葉山城を占拠し、さらに美濃守護所である福光館をも奪取していた。
 この反乱は、斎藤利茂が支えている土岐頼武に対する示威の側面が強く、延々と続いていた美濃内乱においても劃期(かっき)となる戦いであった。
 ここで一気に土岐頼武まで畳み込んでしまえばよいものを、頼芸たちは稲葉山城等々を得たことでなにやら充足してしまい、一休みといった為体(ていたらく)であった。
 延々と続いている美濃の内乱である。いまさら慌てることもないし、焦る理由もない。勝ったことに驕らず、まずは態勢を整えるべしという声も多かった。
 慥かに戦力を整えたほうがよいという具申には一理あるが、戦は勢いである。まして反乱である。のんびり息をついている場合ではないというのが新九郎の偽らざる気持ちであった。
 けれど父は、新九郎が美濃にやってきてから、どうも煮え切らないというか体裁ばかりかまっている。新九郎は父を見切り、頼芸に仕える前に世話になっていた小守護代、長井長弘を焚きつけた。
 川手城は木曾川と荒田川にはさまれて、広大な城域を誇る。応仁の乱で都を追われた公家たちが多数川手に移り住んだことにより、京風の匂いに充ちた独特の風情があり、文化都市とでもいう側面が強かった。
 京風に劣等感をもっている頼芸に吹きこんだのは、矮小ではあるが都を蹂躙してみたくはないかという物騒なものだった。
 小守護代の長井長弘は慎重居士で、新九郎があれこれ口説いても、きつく腕組みなどして、いまは待つべきときと頑として首を縦に振らない。
 このままいつまでも守護代の頭に『小』がついていてよろしいのですか──と新九郎はあえて無礼の挙にでた。ようやく長井長弘をその気にさせることができた。
 もちろん父である新左衛門尉も参陣した。けれど新九郎が仕切ったことが気に食わないのだろう、いちいち突っかかってくる。まさか父の口から隠忍自重なる言葉がでてくるとは思わなかった。
「隠忍はともかく、自重はしております」
「口答えか」
「そのようなつもりはございません」
 甲冑姿の新左衛門尉が口許を歪めた。顎をしゃくって真珠を示した。
「小柄だのう」
「はい。そこを愛でております」
「戦で駆けるには、力不足ではないか」
「ところが、案に相違してなかなかの名馬でございます」
 薄笑いに似たなにものかだが、薄笑いにまで到らない新左衛門尉の口許の歪みは消えない。どれどれと手をのばした。雑な手つきで真珠の尾を摑む。蹴っていいかと真珠の目が問う。新九郎は耐えろと目でかえす。
「はて、きんたまはどこに」
「牝馬でございます」
「牝か。見間違いではないのだな」
「牝馬だと、なにか芳しくないことでもございますか」
「戦にて牝馬に乗ってはいかんという法もないがな」
 まわりの者がにやつきたいのを(こら)えて、ぎこちない真顔をつくって父と子のやりとりに耳を(そばだ)てている。
「さすがは我が子よ。乗るのは常に牝か」
 あからさまな毒を感じたが、軽く受け流した。
「然様。新九郎は牝が大好きでございます」
「うーむ。さすがは全裸二刀流だ」
 新九郎は頰を白くしたが、夜の(とばり)がそれを隠した。実の父が、あれほど俺にすべてを捧げてくれた父が、それを言うか──。新九郎は笑んだ。
「馬に関しても全裸二刀流の面目躍如でございましょう」
 父は歪みの目立つ嘲笑を返してきた。
「ま、せいぜい落馬せぬようにな。皆が見守っておるでな。牝馬に乗られたおまえを目の当たりにするのも、それはそれで乙な眺めかもしれぬがな」
 笑みを引っ込め、ねちねち絡んでくる父を醒めた目で見つめる。篝火を受けて赤鬼じみた(かお)だ。ずいぶん老いた。目尻をはじめ深く刻まれた皺の奥に陰険さが潜んでいて、それがじわりとにじみだしてきている。
 ──父は俺を支配できなくなったことが苛立たしいのだ。疎ましいのだ。
 とても、悲しい。
 老いの醜さは耐え難い。
 この場で首を刎ねることができるなら、さぞやすっきりするだろう。
 幼きころ飢えて死にかけたのも、詰まるところこの男の身勝手によるものではないか。俺に母がいなかったのも、この男が過剰なる自尊の心を飼い慣らすことができず、妻に甘えきって怠惰を貪り、理不尽を押しつけたからではないか。
 俺はずっと母の出奔を胸中にて責めてきたが、おそらく父は母に全裸二刀流に類する心ない言葉を投げつけたにきまっている。俺が母の立場であったなら、無為徒食にして尊大な夫にこのような口をきかれれば家を出るにきまっている。
 新九郎は途方に暮れた。父が注いでくれた愛情を心底から理解し、感謝しているにもかかわらず、どんどん(ねじ)くれていく。愛憎という言葉が胸を抉る。
「美濃においても父上のおかげで好い思いをさせていただいております」
「それだ。おまえは父に対する感謝の念が薄い。薄すぎる。なぜ、それを早く言えなかったのか」
「──父と子の仲に甘えておりました」
「うむ。甘えは醜いぞ」
(しか)と心得ました」
「うむ。長弘殿、そして頼芸様にもせいぜい感謝の念をもて」
「はい。父上に恥をかかせぬよう、この新九郎、以降細心熟慮、さらには滅私をもちましてお仕え申し上げます」
「うむ。それを貫徹できた暁には、おまえは真の武士となる」
 なんと愚劣なやりとりか。だが、聞き耳を立てている連中のなかには感極まった面持ちをしている者さえいる。この世は莫迦の巣窟だ。新九郎は嘔吐したくなった。
 父は美濃を奪うつもりではなかったのか。親子二代で木曾、長良、揖斐の三河川を誇る川の国をものにするはずではなかったか。それともいまの父の姿は擬態なのか。
 大きな蛾が篝火のまわりを狂おしく舞っている。新九郎が念をおくると、偶然ではあろうが翅に焰が移った。蛾はちりちりと鱗粉を撒き散らしつつ地に落ち、小さな小さな篝火となって燃えつきた。

   *

 真珠にまたがった新九郎は先陣を切った。槍を小脇に抱え、酷暑に乾ききった大地に蹄を叩きつけ、颯爽と駆ける。(おお)母衣(ほろ)が旋風を孕む。後に続く者たちが目を剝いた。
 大母衣は純白の絹で、そこに大小ふたつの黒く盛りあがった波頭が描かれていた。父は斎藤家伝来の撫子紋を押し戴いたが、新九郎は飽き足らず、自ら立浪紋を創案したのである。
 常在寺に(にち)()を訪ねて、得意げに立浪紋を披露したところ、日護は筆を手に、波の右に墨の雫を三つ、左に二つ垂らし、これで完璧であると頷いた。
 よけいなことを──と渋面をつくった新九郎に日護が解説した。右の三つの波飛沫はこの世にて割り切れぬことをあらわし、左の二つは割り切れることもあるという(いい)であるという。
 なるほど、世の中には割り切れることと割り切れぬことがある。なんとなく納得させられてしまったが、新九郎にしてみればよけいな飛沫などない二段重ねの暗黒の波頭のみのほうがよほど美しい。
 だが、日護がたっぷり墨を含ませた筆から落とした計五つの飛沫は、新九郎にとって割り切れることであった。すべては厚意と判じていささか大仰に謝辞を述べ、いずれたっぷり寄進するからな──と悪戯っぽい眼差しで日護を見やった。
 馬上で物思いに耽っている新九郎のすぐ脇を鈍色の鉛玉が抜けていった。まだ距離があるので鉄砲の弾の勢いが落ちて、目視できるのだ。天空にむけて射られた矢が大きな弧を描いて新九郎の頭上に降ってくる。
 真珠は委細構わず鬣をなびかせて駆ける。頼りなく見える琵琶(びわ)(もも)細脛(ほそはぎ)に秘められた撥条(ばね)のすばらしさが遺憾なく発揮されて、すばらしく速い。ぴんと立った耳筒が凜々しい。人の眉間にあたる(みはり)に幽かに刻まれた縦皺に妙な色香が宿っている。
 敵も味方も、誰もが小柄な真珠の伸びやかな疾駆に目を瞠っていた。雑兵が遅れをとってなるものかと全力疾走で追う。
 純白の母衣はいよいよ風を孕み、黒々とした波が真実の波浪のごとく揺れ、乱れ、新九郎の背に打ち寄せる。
 いよいよ城が間近に迫り、矢弾が雨霰と飛散してくるが、新九郎は進路その他すべてを真珠にまかせきっていた。実際真珠は直進するばかりでなく、右に左に巧みに行く手を変え、巨大な母衣には流れた一矢さえ当たることがない。
 いよいよ城の護りとして常設されている柵が迫った。広壮な川手城の全面に柵が振られているのである。これを乗り越えぬことには攻めもおぼつかない。
 だが柵には攻めを想定して応急に先端を鋭く切って焼入れした竹矢来が組み合わせてあり、無理やり馬で跳んで引っかければ、馬は腹を裂かれて茶色がかった青紫の臓物を撒き散らすであろう。
 新九郎よ、いかが致すのか──と、父や長弘の配下が固唾を呑む。
 充分に武威を示したのだからいったん引いて、雑兵に柵に火を附けさせるなり破壊させるなりすべきであると誰もが思った瞬間、真珠が跳んだ。
 馬上で新九郎の上体は軽やかに後傾し、波浪の母衣が翼のごとく拡がって、真珠の馬体は美しく弓なりに反った。黄金の鬣が真昼の陽射しを反射し、蒼穹に長い残像を引きずった。
 人馬一体にて飛翔し、ありえぬ高さを軽々と越えた瞬間、味方は当然のこととして城にこもっている敵方からも感嘆のどよめきが起きた。
 遅れてならじと雑兵共が柵を破壊し、一気に雪崩れこむ。続け、とばかり長弘の兵が、新左衛門尉の兵が(やり)(ぶすま)をつくって突進し、川手城に迫る。
 
13話 修正
 

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