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芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 第13回】

古く蝮をくちばみという。戦国時代、「美濃の蝮」と恐れられ、非情なまでの下剋上を成し遂げた乱世の巨魁・斎藤道三の、血と策謀の生涯を描く! 父と二人、油売りをして食い繋いだ幼少期。どん底を知る父と子が、美濃を舞台に国盗りへと動き出す。守護家の土岐頼芸から側室・深芳野との閨事の代役を託され、奇妙な三角関係の中、野望に向かって突き進む新九郎(のちの道三)。その一方で、父・新左衛門尉が次第に疎ましく感じられ……。

くちばみ新メインビジュアル

 

   *

 あっさり、けりがついた。
 土岐頼武は越前に逃げ延び、新九郎は頼武の弟である頼芸を土岐家の頂点に据えることに成功した。
 それにしても──と畏怖ともとれる声がやまぬ。新九郎は稲葉一鉄の家に伝わる軽量な()(なり)兜を被っているものと誰もが思い込んでいたのだが、よくよく思い返してみれば、新九郎は兜を被らずに真珠を疾駆させて川手城に突入したのである。
 命知らずというよりも、なにやら魔が憑いているのではないか──と声を潜めて噂する者が絶えない。
 わざわざ真珠の手入れをしている新九郎を訪ねて、腕組みなどしてしばらく見守っていた父だが、小さくわざとらしい咳払いをし、いまさらながらといった感があることを自覚しつつも諭した。
「いくらなんでも、兜も被らずとはあんまりだ。愚かな。矢弾が絶対に当たらぬとでも信じ込んでいるのか」
 無謀を諫めはしたが、新左衛門尉の声には力がなかった。新九郎は真珠の尾を梳りながら笑った。
「当たるときは、当たるでしょう。大当たりです」
 うむ──と、父は頷いた。命を粗末にするなと小声で付け加えた。
 どうやら父にとって新九郎は丹精込めてつくりあげた作品で、それが思っていたよりも上出来であり、だからこそ万が一割れてしまったりしたら目も当てられぬということらしい。父は真珠の下腹部に視線を投げ、飛翔の瞬間を反芻し、呟いた。
(いん)(みゃく)もないのに、抽んでた牡よりも高く跳んだな」
「はい。きんたまはありませぬが、気力体力知力共に尋常ではありません」
「気を悪くするなよ」
「はい」
「凶相であろう」
「はい。面山(めんざん)(けん)(じょう)、どちらも凶とでております。この眼水(がんすい)も妖災ありて云々と伝えられている典型でございます」
「なあ、新九郎」
「はい」
「真珠といったか。この馬に番わせたい馬がおる」
「父上。真珠は生涯を生娘で通す所存。ひょっとしたら牧にてとうに番ってしまっておるかもしれませんが、それでもいまのこの様子を保ちたい。仔を産ませて下腹を下垂させたくありません」
 新九郎は特別に大豆を多く調合した飼葉を黙々と()む真珠を見やりつつ、その()(ほん)から(さん)()(びゃく)()と掌を動かし、丹念に揉みほぐしていく。
 父が俯いた。自分の馬の仔を産ませることを新九郎が断ったことで傷ついたというよりも、どこか新九郎に圧倒されている気配であった。
「どれ、豊太丸の顔でも見ていくか」
 孫に会うというのに気乗りしない表情の父に、新九郎は声を潜めて囁く。
「巷の噂はあくまでも噂。父上。豊太丸の内腿にはあの(しるし)がございます」
「まことか」
「はい。ただし他言は無用。絶対に口外なされぬよう。頼芸様および当家の沽券に関わることでございますがゆえ」
 新左衛門尉は要領を得ぬまま、頷いた。新九郎から放たれる気配には、徴のことを口にすれば命に関わるといった鋭利で剣呑なものがあって鼻白んだ。されど徴があるならば、まちがいなく新九郎の子であり、己の孫である。
 とたんに笑みが深くなった父の顔を覗きこむようにして、せいぜい孫を愛おしんでくださいと新九郎は促した。
〈以下次号〉

 

〈次回は10月下旬頃に更新予定です。〉

プロフィール

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花村萬月(はなむら・まんげつ)

1955年、東京生まれ。1989年、『ゴッド・ブレイス物語』で第2回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。98年、『皆月』で第19回吉川栄治文学新人賞、『ゲルマニウムの夜』で第119回芥川賞、2017年、『日蝕えつきる』で第30回柴田錬三郎賞を受賞。『ブルース』『笑う山崎』『セラフィムの夜』『私の庭』『王国記』『ワルツ』『武蔵』『信長私記』『弾正星』など著書多数。

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