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芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第39回】二人称小説の可能性

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第39回目は、藤野可織『爪と目』について。二人称で語られたホラー小説について語ります。

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【今回の作品】
藤野可織爪と目』 二人称で語られたホラー小説

二人称で語られたホラー小説、藤野可織『爪と目』について

芥川賞は純文学の新人に与えられる賞です。同じ日に選考会があり、同じ授賞式で賞金や記念品が授与される直木賞というものがあるので、とにかく直木賞よりは文学のコアの部分に近いもの、ということで、誰もが何となく納得しています。でも、純文学って何、と改めて問いかけてみると、明確な答えがあるわけではありません。

明治時代の坪内逍遙が言った「世相と人情」という語句を、いまなら「社会と人間」を描くものが近代小説である、と規定すると、芥川賞は、社会を描いた社会小説と、人間を描いた私小説、というふうに大まかに分類できるように思うのですが、実は「社会と人間」の他に、もう一つ、狙い目のターゲットがあります。
それは、実験小説です。

安部公房多和田葉子川上弘美笙野頼子朝吹真理子円城塔黒田夏子……。これ、全部、実験小説で受賞した作家です。これらの作家の名前は、ちょっと目についたものを拾っただけです。丹念に数えれば、もっといるはずですし、ぼくの印象では、三つに一つは実験小説、というくらいに、実験小説が受賞する確率は、かなり高いといっていいでしょう。

なぜなのか。それは芥川賞が新人賞だからです。新人は新しくないといけない。当たり前のことですね。時代の最先端をとらえた社会小説とか、現代の新しい生き方を描いた私小説といったものも、充分に新しいのですが、方法論の新しさ、スタイルの新しさといったものも、けっこう評価されているのです。

書き出しから感じる不思議な雰囲気

しかし、そういう新しさを追求しすぎると、抽象画とか、前衛芸術のような、「わけのわからない」ものになりがちです。ふつうの文芸雑誌の新人賞には、そういう「わけのわからない」作品がドッと押し寄せてきて、予備選考の段階でどんどん落とされているのではないかと思われます。しかし、芥川賞の場合は、文芸誌に掲載された作品が対象ですから、見識のある編集者の目が入っている作品です。読んでみて「わけがわからない」と感じても、一流の文芸誌に掲載されていれば、それなりに意味のある、新機軸の方法論をもった作品なのではないかと、騙されやすい単純な読者は思い込んでしまうのですね。

はっきり言って、芥川賞の選者の中にも、騙されやすい単純な人が、少なくないように思います。自分の得意の分野ならすごい小説を書く人でも、分野から外れた作品については、しっかりとした評価基準がなく、一読して「わけがわからない」と感じても、それをそのまま発言すると、「わけのわかる」人から馬鹿にされるのではないかと、何となくわかったふりをしてしまうということがあるのではないでしょうか。
前置きがずいぶん長くなりましたが、今回の『爪と目』という作品の、書き出しの部分を見てみましょう。

はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。あなたは驚いて「はあ」と返した。父は心底すまなさそうに、自分には妻子がいることを明かした。あなたはまた「はあ」と言った。そんなことはあなたにはどうでもいいことだった。

とりあえず、幻想小説ではないということはわかります。踏んだ蛇が母親に化ける話でも、どう見ても犬としか思えない居候がいる話でも、マグロから電話がかかってくる話でもありません。でも何だか、出だしから不思議な感じがすると思いませんか。

破たんなく完成した実験小説

この作品は、「二人称小説」です。たえず「あなた」に向かって語りかける小説です。冒頭の文章の「はじめてあなたと関係を持った」の主語は何でしょうか。「父」でしょうね。ではこれは誰の「父」でしょうか。これは語り手の「父」ということでしょう。まだこの書き出しの段階では、語り手はまったく登場しないにもかかわらず、ここには恐ろしく緊張した関係が描かれているように感じられます。

魅力的な書き出しです。そして、読めば読むほど、恐ろしくなるような関係が、その後に展開されます。語っているのはその「父」の娘で、この時点では三歳の少女です。でも三歳の少女が語っているわけではありません。当時は三歳だった少女が、その後、「父」の後妻となった継母に向かって、過去を回想しながら語りかけているのです。三歳の少女には見えなかった「あなた」の内面が、いまの語り手には見えているという設定なので、二人称でありながら、まるで神の視点のように、語り手は「あなた」の内面にくいこんでいきます。

実は、この二人は、年の離れた双子のように、その内面が似ているのです。そこには近親憎悪があります。それから「父」をめぐる三角関係もあります。この少女も「あなた」も、少し狂っています。少女はトラウマをかかえていて、爪を噛むクセがあります。それでギザギザに噛まれた爪は凶器となって、「あなた」の目に襲いかかります。およそこういった展開を二人称だけで語りきったこの作品は、実験小説でありながらも、破綻なく完成しているといってもいいでしょう。
とても怖い話です。真似はできませんし、真似てはいけません。ただ怖い物見たさみたいな感じで、のぞいてみるといいと思います。

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