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本谷有希子『異類婚姻譚』/芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第68回】夫婦って何だか不気味

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義! 連載第68回目は、本谷有希子『異類婚姻譚』について。「夫婦」という関係をユーモアと毒を込めて描いた作品を解説します。

mita-shosetsu

【今回の作品】
本谷有希子異類婚姻譚』 「夫婦」という関係をユーモアと毒を込めて描く

「夫婦」という関係をユーモアと毒を込めて描いた、本谷有希子『異類婚姻譚』について

ぼくには奥さんがいます。出会ったのが十五歳の時で、もう五十年以上つきあっています。これくらい一緒にいると、親兄弟とか、そんなものとは比べものにもならないくらいの、密接な関係があります。というか、そういう「関係」といったものを意識することもなく、自宅に帰れば奥さんがいるのを、当たり前だと思っています。
以前は息子が二人いたのですが、とうの昔に独立しましたので、二人きりの生活が長く続いています。大学の先生は休みが多いので、朝から晩まで二人で一緒にいることも多いのですが、そうするともう他人という感覚が失せて、一つのユニットだという感じがしてきます。

でもこうなったことには、ぼくの方の努力があったのだと、自分では考えています。相手に合わせるということですね。一緒に暮らし始めた頃は、お互いに若くて、ケンカばかりしていました。ぼくは論理的な人間ですから、いろいろと理屈を並べて、自分の方が正しいと主張するのですが、相手は理屈というものが嫌いなのですね。理屈を言えば言うほど、相手はムカッとして、事態が悪化する。

そこでぼくは考えたのです。理屈を捨てよう。これからは相手に合わせて生きよう。そう思ってからは家庭円満で、いまもとても仲のよい夫婦です。でもそんなふうに相手に合わせてしまうと、似たような夫婦になってしまって、緊張感がなくなってしまうのかもしれません。そして、そういう緊張感がなくなった夫婦は、だんだん顔が似てしまう。ついには双児みたいな夫婦になってしまう。

夫婦関係をカフカ的展開で描く

この『異類婚姻譚』という作品では、冒頭、ヒロインの若妻が知人から、あんたたちは顔が似てきたと指摘されるところから話が始まります。確かに世間には、顔の似た夫婦というものがいっぱいいます。顔立ちは違っていても、雰囲気がよく似ているので、双児みたいに感じられる。その緊張感のなさが、夫婦円満だと肯定的にとらえられることもあれば、それはまずいという危機感につながっていくこともあります。

この作品のヒロインは後者ですね。どうも夫の方が自分に似てきているのではないか。相手が自分に合わせているのではないか。そういう主体性のない人間と結婚していていいのだろうか。似ていると言われた途端に、ヒロインは疑問を抱きます。はっきり言って、いやな女です。ぼくの体験で言うと、女流作家って、いやな女が多いのです。まあ、男の作家もそうかもしれませんが。

で、ヒロインが夫の顔をじっと観察していると、ある一瞬、夫の顔が福笑いのゲームみたいに、目鼻立ちがクニャッと移動することがある。その現場を目撃してしまうのです。作品はここからはカフカ的展開になります。カフカ的展開というのは、一つだけ大胆なウソをつくという手法です。

フランツ・カフカの代表作『変身』では、作品の冒頭、主人公のザムザが人間と等身大の虫に変身します。カフカは二十世紀前半の作家です。もうその頃から近代人の孤独みたいなものが指摘され始めていたのでしょう。都会に住んでいると、人は時として「自分は虫けらのように生きている」という感じをもつことがあります。その「虫けらのように」というたとえで示すべきところを、本当に「虫に変身した」として話を始める。当然ながら主人公は家族に虫けら扱いされます。虫になったのだから仕方がないのですが。

不気味な物語を平易な文体で語る

女流作家はわりとカフカ的手法を使います。笙野頼子の『タイムスリップ・コンビナート』ではマグロからデートのお誘いがあります。多和田葉子の『犬婿入り』は中年女性のところに犬みたいな若者が居候になる話です。川上弘美の『蛇を踏む』は公園で踏んだ蛇が中年のおばさんに変身してご飯を作って待っていてくれる話です。それから松浦理英子の『親指Pの修業時代』は、足の親指がPになった女の子の話です(Pとは何かここには書けませんがとてもアブナイものです)。

この本谷有希子さんの作品は、夫の顔がクニャッとなるということだけなのですが、とても不気味な感じがします。まるで読んでいる自分の顔がクニャッとなったような気分になりました。世の中の多くの男性が奥さんの前ではクニャッとなっているのではないでしょうか。それで、世の中の多くの妻は、クニャッとなった夫を受け容れ、うちの亭主はわたしの言いなりになるんですよと自慢したりしているのではないでしょうか。

ところがこの作品のヒロインは、夫の顔がクニャッとなったことに違和感を覚えます。そして徹底的に夫を追及し始める。このあたり、とても怖い展開です。そして最後に夫は植物に変身して、山の中に捨てられてしまうのですね。おいおい、そこまでするか、と言いたくなりますが、この全体として不気味な物語が、ごく平易な文体で語られるところに、作品の仕掛けがあるのでしょう。

変身譚だからとものものしい口調になってしまうと、最初から仕掛けがバレてしまいます。ごくふつうの夫婦の日常が平易に語られていて、ふつうの話だろうと思っていると、突然、夫の顔がクニャッとなって、ドキリとさせられる。よくある変身譚なのですが、とてもスリリングな感じがするのは、文体の勝利と言っていいでしょう。

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