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安部公房『壁』/芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第70回】孤独な人間が体験した不条理な世界

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義! 連載第70回目は、安部公房『壁』について。孤独な人間が体験した不条理な世界を描いた作品を解説します。

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【今回の作品】
安部公房『壁』 孤独な人間が体験した不条理な世界

孤独な人間が体験した不条理な世界を描いた、安部公房『壁』について

安部公房は偉大な作家です。日本を代表する作家だといってもいいでしょう。代表作はたぶん『砂の女』でしょうね。村八分にされて蟻地獄のような穴の底に落とされた女がいて、たまたまその村に来た昆虫学者が、同じ穴に落とされ女と共同生活するはめになってしまう。それを不気味な村人たちが監視しているという、何とも奇妙な物語です。悪いことをした人間にバチが当たる、という話ならわかるのですが、何も悪いことをしていない人にだしぬけに奇妙な災難が降りかかってくる……、こういうのを「不条理」と呼び、二十世紀の文学や哲学のキーワードになっていました。

こういう「不条理」という概念は、サルトルやカミュが流行らせたのですが、それに先だって「不条理」を描いたのが、フランツ・カフカです。「カフカ的」という用語がふつうに使われるほど、カフカの作品は世の中にインパクトを与えました。この「カフカ的」という用語には二つの意味があります。一つは代表作『変身』の冒頭部、主人公が朝、目を覚ましたら自分の体が虫に変身している……。「虫ケラのような生活をしている」という話ではなく、本当に虫になってしまったという、リアリズムを超えた設定をすることを、カフカ的と言うことがあります。

もう一つは、これも代表作とされる『審判』で、役所から召喚された主人公が役所の窓口に赴いたものの、たらい回しをされてなかなか目的の窓口に到達できず、その間に重罪にされてしまうという、お役所仕事の複雑さのことも「カフカ的」と表現します。ところで今回の『壁』では、主人公が目を覚ましたら異変が起こっているという、冒頭の設定もカフカ的ですし、どうやっても問題が解決できず、しだいに深みにはまっていくという物語の展開もまた、カフカ的です。つまりこの作品は、まさにカフカ的な状況を描いた作品だといっていいでしょう。

余裕とユーモアという個性

でも、単なる模倣ではありません。本家のカフカの方は、ドイツ生まれのユダヤ系の青年がチェコのプラハで生活しているという、故郷を失った人間の悲哀を描いているのですが、安部公房はそういう悲哀は抑え気味にして、わけのわからない不条理な状況に陥ってしまった人物を、余裕をもった語り口でユーモラスに展開していくのです。この余裕とユーモアこそが、安部公房の強い個性だといっていいでしょう。

作品の冒頭、主人公は自分が誰だったか、思い出せなくなります。ぼくも昔、オートバイか何かとぶつかって(何とぶつかったのかはわかりません)一時的に記憶喪失になったことがありますので、その恐怖感は身にしみてわかります。名前は思い出せないけれども、職場はわかっているので行ってみると、自分の名刺が自分の代わり働いているという、何とも奇妙な、不条理な状況になっています。その結果、主人公は自分の居場所を失ってしまって、放浪の旅を続けることになるのですね。

自分の居場所のない人……。気の毒だな、と思います。ぼくは文藝家協会では副理事長をしていますし、自宅に帰れば奥さんがいて、それからスマホをあけると長男、および次男の嫁さんからラインに情報が入っていて、六人の孫のようすがわかります。でもいつ何どき、頭を打って、記憶喪失になるかもしれませんし(前回の記憶喪失では犬の散歩の途中だったので犬が自宅まで連れて帰ってくれました)、そのまま放浪の旅に出なくてはならないということもあるかもしれません。

失業した人、定年退職した人、長く派遣社員を続けている人、自宅に帰っても妻や子どもに相手にされない人……。自分の居場所のない人って、世の中にはたくさんいると思います。芥川賞作品でも、蛇を踏んだらその蛇が母親だと称して棲み着いてしまう中年女性の話(川上弘美蛇を踏む』)、犬みたいな居候と暮らしている中年女性の話(多和田葉子犬婿入り』)、マグロからデートに誘われて不条理な彷徨を始める中年女性の話(笙野頼子タイムスリップ・コンビナート』)……というふうに、居場所のない人はよく出てきます。いま書いていて気づいたのですが、中年女性の話が多いですね。まあ、母親になりきれない中年女性は、社会的に居場所がないということなのかもしれませんが……。

文学史に輝く名作の条件

居場所のない人間を描くというのが、文学の本質なのかもしれません。居場所のない人は気の毒です。でも、これをセンチメンタルに書くと、ただの愚痴みたいなものになってしまいます。自分は誠実に生きているのに、社会からは認められない。何とかしてくれ……、と絶叫してしまうと、文学にはならないのです。そこへ行くと、安部公房は新人の頃から、不思議なほどに余裕をもっていました。記憶を失った主人公は、果てのない不条理な旅に出るのですが、作者の語り口はとぼけていて、読者は愉しみながら、この気の毒な男の放浪を眺めることになります。

よくできたドタバタ・コメディーは、やがて不条理の深みにはまっていきます。「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」という芭蕉の句がありますが、わざとらしい悲しみではなく、ナンセンスなギャグに徹しているうちに、じわじわと人間の悲しみがにじみ出るという、そういう作品こそが名作とされるのだろうと思います。

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