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【期間限定連載小説 第1回】百夜・百鬼夜行帖 第一章の壱 冬の蝶(前編) 作・平谷美樹 画・99.COM<九十九神曼荼羅シリーズ>

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「九十九神曼荼羅シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇時代小説が、この「百夜・百鬼夜行帖」です。
百鬼夜行帖最初のお話。上野新黒門町の薬種屋、倉田屋の庭に深夜、真冬だというのに蝶が舞うという。百夜が倉田屋の手代、左吉から祈祷を依頼されたのは、そんな面妖な事件。第一章の壱「冬の蝶」前編。

第一章の壱 冬の蝶(前編)3

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 長い長い二時が過ぎた。
 漆黒の空から雪が舞い始めた。
 かたん──。
 離れのどこかで微かな音が聞こえた。
 百夜は庭に奇妙な気配がじわりと広がるのを感じた。
 やはり、亡魂ではなかったか──。
 百夜は胸の中で呟いた。
 少し遅れて、左吉と徳兵衛が「あっ」と言った。
 百夜は立ち上がり、濡れ縁に立った。
 雪の散る庭に、揚羽蝶ほどの大きさの白いモノがふわふわと舞っている。
 百夜の中の亡魂の目は、その形を正確に捉えていた。
 細く折り畳まれ、中央で結ばれた紙──。
 古びてぼろぼろになったそれが、蝶のようにゆっくりと羽ばたいているのであった。
付喪神つくもがみか」
 百夜は呟いた。
 付喪神とは、〈物〉が百年の時を経て妖怪に変じたものである。その姿は、魂が宿った物によって異なり、うすであったり、着物であったり、箪笥たんすであったり、千差万別である。
「付喪神でございますか──」
 徳兵衛は百夜の横に立った。
 付喪神はよく人々の口に上る妖怪で、百鬼夜行ひゃっきやぎょう図などにも描かれ、徳兵衛も左吉もそれがどのようなものであるのかは知っていた。
 百夜は杖を持って庭に出る。
「お前たちには蝶に見えるか?」
 百夜は宙を舞う紙の結び目の付喪神を見上げながら訊いた。
「へぇ」左吉が答える。
「白くぼうっとした蝶々でございます」
「百夜さんにはどう見えているので?」
 徳兵衛が訊いた。
「結ばれた紙屑だ」

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「紙屑──で、ございますか?」
 徳兵衛と左吉は顔を見合わせる。
「名前をつけてみるか?」
 百夜は言った。
「名前がないので?」
 左吉が驚いたように訊いた。
「付喪神は人知れず産まれるから、名前はない。名前もなく祓われるのは気の毒であろう。付けてやれ」
「へい」
 と言って、左吉は徳兵衛を促す。
 徳兵衛は顔の前で手を振った。
「滅相もない。妖怪の名前をつけるなど、げんが悪い」
「では手前が──。百夜様には結ばれた紙屑に見える。手前には蝶々に見える。〈結び蝶〉なんてぇのはいかがでございましょう」
「それでよい」
 百夜は素っ気なく言った。
 巧い命名だと思っていた左吉は、褒めてもらえずにがっかりした顔をした。
 付喪神ならば、祓い清めるのは難しくはない。風呂敷包みの中に入れてある梓弓あずさゆみの弦を二、三度叩けばすぐに消える。
 だが──。
 百夜は、〈結び蝶〉がただの付喪神ではないように感じられた。
 人の匂いがするのである。
「徳兵衛殿。離れの中に、木箱のようなものはないか?」
「木箱でございますか?」
「菓子箱のようなものではないぞ。漆塗りの上等な箱だ」
「以前、曾祖母が使っていましたから、遺品が少々残っております。硯箱かなにかがあったかもしれませんが──。その箱が何か?」
「〈結び蝶〉が現れたとき、木箱の蓋が外れるような音がした」
「調べてまいりましょう」
 言って徳兵衛は離れに戻った。
 百夜は〈結び蝶〉に近づいた。
 〈結び蝶〉は百夜を避けるようにふっと動く。
 また近づくと、同様に逃げる。
 〈結び蝶〉は裏庭を、あっちへ行ったりこっちへ行ったり──。
 そうするうちに徳兵衛が戻って来た。
「百夜さんの仰るとおり、隣の座敷の書院に置いてあった曾祖母の小物入れの蓋が開いておりました。〈結び蝶〉はその中から出てきたのでございますか?」
「おそらくな」
「曾祖母は、凛として曲がったことは嫌いな人でございましたので、魔につながるような物を持っていたとは思えませんが──」
「魔につながるような物が付喪神になるのではない。百年間、誰にも顧みられることのなかった何の変哲もない品物が変じるのだ」
「百年──。百年といえば、曾祖母が十六歳の頃でございますな」
「なに?」
「曾祖母は、十六年前に百歳の天寿を全ういたしました」
「徳兵衛殿の曾祖母は、それほどに長寿であったか」
「曾祖母と〈結び蝶〉は何か繋がりがあるのでございましょうか」
「さて──」
 百夜は〈結び蝶〉を見上げる。
 〈結び蝶〉はふわふわと舞う。
 右に左に、上昇してはゆっくりと舞い降りる。
 しかし、稲荷の祠には近づかない。
 板塀に添って上にのぼったかと思うと、くるりと翻って中庭の中央辺りに戻ってくる。
「そうか──」百夜は肯いて左吉を振り返った。
「筵はあるか?」
「へい──。荷を包んでいたものが納屋に積んでありますが」
「筵一枚と縄を持って来い」
「へい」
 左吉は蔵の脇に立つ納屋へ向かった。
「徳兵衛殿は出かける用意をしなさい」
「今からでございますか? 町木戸が閉まる刻限でございますよ」
「まだ鍵はかかっていない」
 町木戸は暮れ六ツに閉まるが、鍵をかけるのは夜四ツ(午後十時頃)である。
「もし長引く時は、番太郎(木戸番)に、ざいに住む親戚が急病という報せがあったと告げればいい」
「はい──承知しました」
 徳兵衛は肯いて母屋へ戻る。
「これでようございますか?」
 左吉が筵と環に束ねた縄を手に戻ってきた。
「よい」
 百夜はそれを受け取ると、濡れ縁に座った。
 筵の端に指を差し入れて隙間を作り、縄を通す。あっという間に、筵と縄で作った巨大な前掛けのようなものが出来上がった。
「何に使うのでございます?」
「徳兵衛殿が戻ってから見せてやる」
 言って百夜は座敷に戻り、風呂敷包みを背負った。
 徳兵衛が黒い紋付きを着て襟巻きを巻いた姿で裏庭に戻ってきた。手には倉田屋の文字が記された提灯を持っていた。
 それを見て百夜は肯き、
「左吉。稲荷の鳥居に筵を張れ」
 と、言った。
「ああ。そう使うのでございますか」
 左吉は言って筵を抱えると鳥居の前に走った。
「何が始まるのでございます?」
 徳兵衛は、鳥居の柱に縄を結びつける左吉を見ながら訊いた。
「〈結び蝶〉をよく見ておけ」
 百夜は答えた。
 左吉が鳥居に筵を取り付け終え、百夜の側に歩み寄る。
「あの筵にはどういう意味があるんです?」
「小さな村の鎮守の社などでは、村に死人しびとが出るとあのように鳥居に筵をかける。死人の穢れが神域に入り込まないようにするのだ。あの筵は、その逆で祠の霊力が外に出ないようにするものだ」
「祠の霊力──」
「そうだ。あの祠の力は倉田屋の敷地全体を覆って結界を作っている。〈結び蝶〉は結界に遮られて外に出られないのだ」
「あの蝶は外に出ようと?」
 徳兵衛は驚いたように〈結び蝶〉に目を向けた。
 その時、〈結び蝶〉は板塀を越えて外の路地へ出た。
「追うぞ」
 百夜は通用口へ走った。
 徳兵衛と左吉が慌てて続いた。

 
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著者紹介

●平谷美樹(ひらや・よしき)

1960年岩手県生まれ。
大阪芸術大学卒業後、岩手県内の美術教師となる。2000年「エンデュミオン エンデュミオン」で作家デビュー。同年「エリ・エリ」で第1回小松左京賞受賞。「義経になった男」「ユーディットⅩⅢ」「風の王国」「ゴミソの鐵次調伏覚書」など、幅広い作風で著書多数。

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