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【期間限定連載小説 第13回】百夜・百鬼夜行帖 第二章の壱 春な忘れそ(前編) 作・平谷美樹 画・99.COM<九十九神曼荼羅シリーズ>

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「九十九神曼荼羅シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇時代小説が、この「百夜・百鬼夜行帖」です。
草木も眠る丑三ツ時、元数寄屋町の呉服問屋・伊勢屋に、庭石ほどもある蝦蛙(がま)が現れる。逃げまどう使用人たちの眼前で、跡形もなく消え失せた蝦蟇の正体は…? 第二章の壱「春な忘れそ」前編。

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春な忘れそ 書影

呉服問屋〈伊勢屋〉に夜ごと現れる巨大なガマ蛙。人を襲うわけでも物を壊すわけでもないこの化け物の正体は…。

 
 
 
 

第二章の壱 春な忘れそ(前編)1

春な忘れそ1

 文政某年の二月のある日。
「百夜さん。ご在宅でござんすか?」
 と、言いながら左吉は〈御祈祷ごきとううけたまわそうろう 百夜ももよ〉と書かれた腰障子を開けた。
 湯島一丁目(現 外神田)の裏長屋、通称〈おばけ長屋〉である。
 左吉は上野新黒門町の薬種問屋〈倉田屋〉の手代であった。
「戸は返事があってから開けるものだ」
 四畳半足らずの板敷きに文机を出して座る百夜は、魔除けの護符ごふを書く手を止めずに言った。
 百夜は盲目の修法師ずほうし祈祷師きとうし。きりっとした眉の少女であった。
「へぇ。うまいもんですねぇ」
 ずけずけと板敷きに上がり込んだ左吉は文机の上を覗き込んだ。
「いつも言うておろう。わたしは死人しびとの目を借りておる」
「それはそうと、またお仕事を一つ持って来ましたぜ」
「また徳兵衛殿がろくでもない仕事を安請け合いしたか」
 百夜は舌打ちして筆を置く。
 二人は、昨年の暮れに左吉が奉公する倉田屋の主人の依頼を持ち込んでからの付き合いである。百夜の祈祷の腕を、倉田屋の主人徳兵衛と左吉があちこちで吹聴するものだから、仕事の依頼が増えた。
 仕事が増えることは有り難いことであったが、そのほとんどが魑魅魍魎ちみもうりょうや妖怪の類の障りの相談であった。
 百夜が解決した徳兵衛の依頼が付喪神つくもがみ調伏ちょうぶくであったからだった。『妖怪の調伏は百夜に限る』というわけである。
「今度はなんだ?」
「へい。今までのより、歯ごたえがありそうな相手でござんしてね」
「そうか」
 と、百夜は素っ気ない。
「図体のでかい、凶暴な化け物でして」
「人でも喰ったか」
「それはまだなんでござんすがね」
「では、人を傷つけたか?」
「それも、まだなんで」
「ならば凶暴ではないではないか」
 百夜は呆れた顔をして筆を取る。
自来也じらいやの使う大蝦蟇がまみてぇな化け物らしいんで」
 自来也とは、読本の【自来也説話】に登場する、蝦蟇の妖術を使う義賊である。
 歌舞伎などでは〈児雷也〉の表記が有名であるが、そちらは【自来也説話】を元に書かれた【児雷也豪傑譚】という合本に現れ、この夜から十二年後に刊行される。
「ほう」
 百夜は再び筆を置く。
「三日ほど前に元数寄屋町(現在の銀座五丁目のあたり)の呉服問屋〈伊勢屋〉のあるじ、宗右衛門さんがかわやへ行こうと寝所を出ると、中庭になにやら大きな黒いモノがある──」
 左吉は怪談噺をする噺家のような口調になって話し始めた。
 あんな所に庭石はなかったはずだったがと目を凝らすと、闇の中にギラリと目が光った。
 宗右衛門は悲鳴を上げて寝所に戻った。
 その声に驚いた使用人たちが中庭に駆けつけると、巨大な蝦蟇蛙のような化け物は、闇の中に溶け込むように消えていった。
「菩提寺の住職にでも相談しようかと思ったが、化け物の話が外に漏れても困る。それに、通りすがりの化け物が、一休みしていただけかもしれないってんで、もう一日様子を見ようって事になった。で、昨夜ゆんべのこと。手代と丁稚二人に中庭での不寝番を命じたんでございます。そして、丑三ツ時(午前三時頃)。また蝦蟇のような化け物が現れたんでございますよ」
 手代と丁稚は悲鳴を上げて逃げ出した。
 前の晩は中庭で大人しくしていた化け物だったが、昨夜は地響きのような雄叫びを上げて、三人を追い走り出した。
「三人は家の中に走り込み、必死で逃げる。
 蝦蟇の化け物はその後を追う。
 物音に驚いた使用人たちが次々に障子を開けて廊下に顔を出す。
 化け物が走ってくる。
 使用人たちは『ひぇっ』と叫んで腰を抜かす。
 三人は灯の消えた店に駆け込む。
 土間に飛び降りる。
 雨戸を閉めているから、もう逃げ場はない。
 蝦蟇は板敷きで止まって、じっと三人を見つめる。
 もはやこれまでと、三人は土間にへたりこんで、念仏を唱える。
 蝦蟇は怒ったように吠えて、三人に飛びかかる!」
 左吉は『どうだ』とばかりに百夜の顔を覗き込んだ。自分の“名調子”に対する賞賛の言葉を期待したのだが、百夜は無表情のまま、顎で先を促した。

春な忘れそ2

 左吉はがっかりした顔をして、捨て鉢な口調で締めくくる。
「飛びかかった蝦蟇は、宙で消えちまったそうで」
「蝦蟇は何も壊さなかったのか?」
 百夜は冷静な声で訊く。
「なんにも」
「庭石と見まがうほどの大きさであったのだろう? 廊下を駆け回って店に飛び込んだというのに、建具も商品も蹴散らさなかったのか?」
「へぇ。物を壊すどころか、足跡さえなかったそうです」
「なるほど」
 百夜は肯くと、護符作りを再開した。
「あれ、行かないんで?」
「どこへ」
「伊勢屋さんへ、でござんすよ」
「真っ昼間から出かけてどうする。蝦蟇の化け物が出るのは真夜中であろう」
「今から行って美味しいお茶とお菓子をいただき、夕飯もいただいて、ゆっくりとおはらいを──」
「そうしたければ、お前一人で行って、顰蹙ひんしゅくを買っておれ。わたしはいぬの上刻(午後八時頃)までに着くようにここを出る」
「へいへい。わかりやしたよ。では、それに合わせてお迎えに参りましょうか」
「お前と一緒だと、道中うるさくてかなわない。向こうで落ち合おう」
 左吉は無念そうに顔をしかめると、ぷいと部屋を出ていった。

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