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【期間限定連載小説 第14回】百夜・百鬼夜行帖 第二章の壱 春な忘れそ(後編) 作・平谷美樹 画・99.COM<九十九神曼荼羅シリーズ>

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「九十九神曼荼羅シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇時代小説が、この「百夜・百鬼夜行帖」です。
深更の呉服問屋・伊勢屋。月光に照らされてうずくまる巨大な蝦蟇。対峙する百夜は、漂う甘い香りにその正体を悟る。「お前、梅の実であろう」庭に梅の木はないのに……第二章の壱「春な忘れそ」後編。

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春な忘れそ 書影

呉服問屋〈伊勢屋〉に夜ごと現れる巨大なガマ蛙。人を襲うわけでも物を壊すわけでもないこの化け物の正体は…。

 
 
 
 

第二章の壱 春な忘れそ(後編)3

春な忘れそ5

 百夜と左吉は伊勢屋の離れを借りて睡眠をとり、昼頃に宗右衛門と共に根岸の寮へ向かった。
 元数寄屋町から根岸まではおよそ一里半(約六キロ)。化け物=〈枯梅〉が出るのは深夜であろうからと、一行はのんびりと北を目指して歩いた。
 比丘尼びくに橋を渡った所で、左吉が「せっかくだから」と繁華街である日本橋通りへ向かう道に誘った。
 宗右衛門は盲目の百夜を気遣い、
「人混みは避けた方がよいのでは」
 と言ったが、
「この人は心眼で人を避けるんで」
 左吉はそう答えて北紺屋町の辻を右に曲がった。
 百夜も否とは言わなかったので、宗右衛門も左吉に従った。
 京橋から続く大通りで左に曲がった。
 南伝馬町から日本橋通りにかけての人混みの中を歩きながら、左吉は訊いた。
「寮にある梅の古木ってぇのには、何かわれがあるんですかい?」
「謂われなどございませんよ」
「寮はずっと伊勢屋さんの持ち物なのか?」
 百夜が訊く。
「はい。四代前から。建物は二度ほど建て替えましたが、梅の木は最初の家を建てたときに植えたものだそうで」
「するってぇと、百年たつんでござんすか?」
 と、左吉。
「はい。そのくらいはたっているものと」
 その答えを聞いて、百夜が小さく舌打ちした。
「なんでございます?」
 宗右衛門は百夜の渋面を訝しげに見る。
「いや。こっちのことだ」百夜は苦笑する。
「左吉と組むと、付喪神つくもがみがついてまわる」
「付喪神──」
「物や道具の中には、百年の年月を経て、妖怪に変じる奴がござんすので」
 左吉が答えた。
「では、梅の木が付喪神になったと?」
「あの姿なら、梅の実でございましょうねぇ」左吉は顎を撫でる。
「それにしても百夜さん。あれが付喪神なら昨夜のうちにそうと気づかなかったんですかい?」
「付喪神と物の怪の気配は、本質的に変わりはない──。それで伊勢屋さん、梅は四代前の主人が植えたのか?」
「さて──。詳しいことは、茂平が知っていると思います」
「茂平とは?」
「根岸の寮のことを任せておる男でございます。代々下日暮里で百姓を営む者でございますが、茂平で四代目でございます。わたしどもが逗留とうりゅうするときは寮に泊まり込みますが、日々の手入れは通いでやっております」
 一行は日本橋を渡って室町から筋違すじちがい橋御門前の八ツ小路に続く通町筋を真っ直ぐ進んだ。八ツ小路は神田川の南岸にある火除地ひよけちであり、奥州街道、中山道の分岐点であった。
 神田川に掛かる昌平橋を渡る。
「百夜さん。忘れ物を取りに戻るなら今ですぜ」
 と左吉が言った。
 百夜の住む〈おばけ長屋〉が建つ湯島一丁目はすぐ近くである。
「お前のように忘れ物はせぬ」
 百夜はぶっきらぼうに答えた。
 下谷御成街道を北へ歩くと、下谷広小路に出る。左吉が奉公する倉田屋は広小路に面した上野新黒門町にあった。
 宗右衛門が挨拶に寄りたいと言うので、倉田屋で少し足を休めた後、さらに北へ進んだ。
 寛永寺の御山を右に見て不忍池の脇を通り、谷中の寺院が集まる界隈を抜けると、根岸はもうすぐであった。
 新堀の北は下谷中、金杉村などの田地で、その向こうに大川がある。現在は家々が立ち並ぶ千住、日暮里、尾久、町屋の辺りも百夜の生きた時代は広い田園地帯であった。
 空が夕暮れの色に染まり始めた頃、三人は伊勢屋の寮に着いた。
 林に囲まれた茅葺き屋根の建物で、くだん件の梅の古木は南に向いた庭で枝を伸ばしていた。
 背は高くない。格好良く曲がった幹と枝──。花はまだ咲いていなかった。
 網代戸の木戸門を押して中に入ると、庭の草取りをしていた茂平とおぼしき老人が慌てた様子で立ち上がり、歩み寄ってきた。
「これは旦那様──」
「茂平。急なことですまないが、わたしとこのお二人は今夜泊まるので、食事の用意を頼みますよ」
「かしこまりました」
 茂平は言って、三人を寮に招き入れた。
 入ってすぐが広い土間で、板敷きには囲炉裏があり、自在鍵じざいかぎから吊された鉄瓶の口から湯気が出ていた。
 梅の季節とはいえ、肌寒い中を歩き通して来た三人は囲炉裏の火に手をかざした。
「しばしの間、失礼いたします」と言って茂平が外へ出ると、入れ替わりに彼の女房が現れて挨拶をした。
「せんと申します」
 せんは百夜と左吉に一礼すると、燈台に火を灯し、三人に茶を出した。
「梅はまだ咲かぬのか?」
 百夜が訊く。
「はい」
 とせんは顔を曇らせる。
「ここ二年ばかり、芽はつけるものの花を咲かせません」
 宗右衛門が代わりに答えた。
 せんは一礼して厨の方へ去った。
「百年の老木なら、もう寿命なんじゃあござんせんか」
 と、左吉が言った。
「もっと長く花を咲かせている梅もある」
「するってぇと、花を咲かせない事と枯梅とは、何か関係があるんでござんすかね」
 せんが淹れてくれた茶を啜りながら体を温めていると、茂平が現れた。
「茂平。ここへ来て百夜さんに庭の梅の話をしておくれ」
「へい──」
 茂平は板敷きに上がり、百夜の側に座った。
「あの梅は、誰が植えたのだ?」
「四代前の旦那様のお嬢様だと聞いております」
「四代前──」宗右衛門は虚空を見つめて少し考えた後、
「確か、子供は男二人、女二人だったと思うが。長女がお松様。次女がお琴様」
「へい。そのお琴様が庭に梅を植えたいと仰って、わたくしめの曾祖父さんが苗木を買ってきたのだそうでございます。それをお琴様が手ずからお植えになったと」
「そのお琴様について教えてくれ」
「大坂の絹問屋に輿こし入れしたと聞いています」と、宗右衛門が答えた。
「嫁いだ数年後に流行はやりやまいで」
「亡くなったか」
「はい」
「曾祖父さんは、手ずから植えた梅の花を一度も見ずに亡くなったのは不憫ふびんだったと申しておりました」

春な忘れそ6

「輿入れは、苗木を植えてすぐだったのか?」
「はい」
「なるほどな」
 百夜は肯いた。
「なにか分かったんですかい?」
 左吉は片眉を上げながら訊く。
「おおよそはな。あとは枯梅に問うてみる」
「じゃあ、これから伊勢屋さんに戻るんで?」
 左吉は泣きそうな顔になった。
「いや。枯梅が伊勢屋に現れたのは、寮の梅の古木のことを報せるためだったのだ。もう伊勢屋の中庭に出ることはない」
「それでは、今夜はここに出ると?」
 宗右衛門が訊く。
「なんのことでございます?」
 茂平は不安げな顔で宗右衛門と百夜の顔を交互に見た。
「実はな──」
 左吉が待ってましたとばかりに事の顛末てんまつを語った。
「そんなことがあったのでございますか」
 茂平は怯えた顔で言った。
「案ずるな」百夜が言う。
「お前と妻は部屋で寝ていればいい」
夕餉ゆうげの支度をしたら、家に戻ってもよいぞ」
 と宗右衛門が言うと茂平はほっとした顔をした。
「わたしも女房も、幽霊とか物の怪とか、大の苦手でございまして、お言葉に甘えさせていただきます」

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