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【期間限定連載小説 第16回】百夜・百鬼夜行帖 第二章の弐 薫風(後編) 作・平谷美樹 画・99.COM<九十九神曼荼羅シリーズ>

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「九十九神曼荼羅シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇時代小説が、この「百夜・百鬼夜行帖」です。
呉服問屋河内屋の若旦那清吉の依頼は、床に臥す父の顔に、見えない何かが息を吹きかけるという怪事件。父に迫る死神の息吹なのか?清吉が障子越しに見た丸いものとの関係は?第二章の弐「薫風」後編。

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薫風 書影

卒中で倒れた河内屋の主人・為右衛門が閉め切った部屋で呟いた「いい風だ…」という言葉の意味するところは…。

 
 
 
 

第二章の弐 薫風(後編)3

薫風_05

 河内屋為右衛門は一番奥の座敷に寝かされていた。息子の清吉は右の枕元に座り、暗い顔をしていたが、百夜と左吉が部屋にはいると、青白い頬
に笑みを浮かべた。
「ご足労頂きまして、ありがとうございます」
 左吉は頭を下げた。
 百夜は肯いて為右衛門の左の枕元に座った。
 為右衛門は薄目を開けて天井を見上げている。頬がこけ、口は半開きになって、顔色も悪かったが、ひげ月代さかやきは綺麗に剃られていた。
「食事はどうしている?」
 百夜は訊いた。
「このような有様でございますが、口元に匙に掬った粥を近づけますと、なんとか食べてくれます」
「まだ風のことを言うか?」
「朝から今までは一度も」
「影を見たのは昨夜のことだな?」
「左様で」
「風のことを言い出したのは三日前。それに相違ないか?」
「はい」
「それ以前に風のことは言わなかったか?」
「下女、下男も聞いたことはないと申しております」
 清吉の返答に、百夜は肯いた。
「百夜さん、いかがで? 為右衛門さんの病も亡魂か何かの障りでござんしょうかね?」
「いや」百夜は首を振る。
「病は為右衛門殿の不摂生のせいだ。近くには障りを成すような亡魂もいない」
「それでは、あの息づかいや影は? けっして、わたくしの勘違いなどではありません」
 清吉が少し不満そうに言った。
「どっかに隠れているんじゃありませんか?」
 左吉が言う。
「あるいは、何者かの呪詛じゅそであるとか──」
 と、清吉。
「お前たちは、どうしても不幸な方向に結末を持っていきたいようだな」
 百夜は苦笑して風呂敷包みを開く。小さな弓と箱が中から出てきた。
 百夜は弓──梓弓あずさゆみの端を持ち、もう一方の端を箱に当てて、細い棒で弦を叩いた。
 弦の音は箱で反響し、神秘的な音を響かせた。
 百夜は弦を叩きながら呪文を唱える。
 左吉には聞き取れない津軽言葉が百夜の唇から流れ出す。
 しばらく呪文を唱えていた百夜であったが、長く息を吐いて弦を叩く手を止めた。
「隠れた亡魂も呪詛もない」
「ならば、何が──」
 清吉は途方に暮れた顔で百夜を見た。
「まぁ、為右衛門殿が風を語るまで待つしかあるまい」
 百夜は梓弓と共鳴箱を風呂敷に包み直した。
 少し離れた霊感院の鐘が時を報せる音を聞きながら、百夜たちは為右衛門が風を語るのを待った。百夜が姿勢を正したまま黙っているので、左吉も清吉もそれに習った。
 空は茜に染まり、やがて藍色に変じて、星が瞬き、下女が行灯あんどんに灯を入れた。
「あの──。お食事の用意はいつでもできますが」
 下女はおずおずと言う。
「そういやぁ、腹が減った」左吉は伸びをしながら言った。
「百夜さん。夕飯にしましょうや」
「わたしはよい。腹が減ったなら、お前たちは喰えばいい」
 と、百夜が言うので清吉は膳を運ぶように下女に命じた。
 為右衛門の寝所の襖を開け、隣の部屋に膳を置いて左吉と清吉は夕食をとった。
 百夜は、身じろぎもせずに座り続けている。
 清吉が小声で百夜の言葉遣いや本当に盲目であるのかなど訊いてくるので、左吉も小声でそれに答えた。
 清吉はいちいち目を丸くして「本当で御座いますか」と驚く。左吉は調子に乗って、今まで百夜がはらってきたモノたちの話をした。
「──なにやら、百夜さんが祓ってきたのは付喪神つくもがみばかりのようでございますね」
 付喪神とは、道具や動植物が百年の時を経て物の怪に変じたものである。
 百夜の言葉によれば、年ふりた道具、動植物は〈けがレ〉を受け入れる寄代よりしろであって、いた穢レの善し悪しが付喪神の性質を決めるのだという。
 穢レとは、死んだ動植物の霊や妄執もうしゅうなどが混沌と混じり合ったもので、強いモノは単独で、弱いモノは寄り集まって辺りを漂っている──。そう百夜は説明していたが、左吉には今ひとつ理解できていないのであった。
「そう言われれば、そうでござんすね」
 左吉は肯いて顎を撫でた。
「お前は鈍い」
 と、隣の座敷で百夜が言った。
「え? あっしがでござんすか?」
 左吉は自分の顔を指さす。
「お前が持ち込むものが、付喪神に関わるものばかりなのだ。おそらく、今回もそうであろうよ」
「百夜さんが付喪神を惹きつけているんじゃござんせんか?」
 左吉はにやにやと笑う。
「だから鈍いと言うておる。お前が付喪神に好かれているのだ」
「嫌でござんすよ」左吉は引きつった笑みを浮かべる。
「本当に、あっしが付喪神に好かれているのでござんすか?」
「本当だ」
 と言った百夜の口元は笑みを噛み殺すように歪んでおり、左吉はその言葉が本音か嘘か判じかねた。
 ゆっくりと時は流れノ刻(午後十時頃)となった。
 為右衛門が少し体を動かした。
 百夜の顔が為右衛門の方を向く。
「ああ──。いい風だ」
 為右衛門が呟いた。
 隣の座敷で小声で話をしていた左吉と清吉がはっとした顔で為右衛門の布団の側に歩み寄った。
「お父っつぁん──」
 言いかけた清吉を、百夜は唇に人差し指を当てて制した。
 そして、百夜は為右衛門の顔の近くに手をかざす。
 さわり。
 さわり。
 さわり──。
 手の甲に風が当たった。
 吹いては止まり、止まっては吹く。
 一定の間隔を開けて、風が吹きつけてくる。
 強くはない。たしかに何者かの息のようにも感じられた。
 だが、人や獣の亡魂の息吹のような生臭さはない。
 百夜は風の中に顔を差し入れ、その薫りを嗅いだ。
 薫風──。
 微かであったが、青葉のような爽やかな薫りがした。
 まだまだ風が薫るには間がある。
「季節外れの薫風か」
 薫風とは、初夏に青葉の薫りを運んでくる風のことである。
 ならば、この薫りは──。
 百夜は姿勢を戻し、周囲の気配を探る。
 外に、何者かの気配が凝集し始めるのを感じた。
 百夜は手で左吉と清吉にその場で待つように指示し、立ち上がった。
 庭に面した障子に歩み寄り、一気に開いた。
 ばさ ばさ ばさっ!
 と、何かが羽ばたくような音がした。
 音は左手の方へ飛び、消えた。

薫風_06

「今のは、なんでございますか?」
 清吉が震える声で訊いた。
「清吉殿。貴殿が見たのは、丸い影だと言ったな。本当にまん丸だったのか?」
「え──? いえ、丸くはございましたが、上から下まで見えたわけではございません。丸の上半分──。いや、三分の一くらいが、にゅうっと現れたのでございます」
「なるほどな」
 百夜は肯き、裸足で庭に降りた。
 空気の中の微かな薫りを頼りに、左に飛び去った何者かを追う。
 左吉と清吉も手燭を持ってその後を追った。
 百夜は立ち止まった。
 百夜の前には蔵があった。
「蔵でござんすか」左吉は唾を飲み込みながら言った。
「付喪神が隠れるには恰好の場所でござんすね」
「清吉殿。鍵を開けてくださらぬか」
「はい──。少々、お待ち下さい」
 清吉は母屋へ走った。
 すぐに鍵を持って戻ってきた清吉は入り口の錠をあけ、左吉と共に漆喰しっくい扉を開いた。
 内側には格子戸に金網を張った戸があり、清吉はそこにかかった南京錠もあける。
「わたしは中を調べる。二人は外で待っておれ」
「一人で大丈夫でござんすか?」
 左吉が訊く。
「臆病なお前とは違う」
 百夜は言って蔵の中に入った。
 清吉が後を追って手燭を渡そうとしたが、百夜は振り返って、
「わたしには役に立たぬ」
 と、笑った。
 清吉は「あっ」と言っておずおずと左吉の側に戻った。
 蔵の入り口にはぼんやりとした月光が滲んでいたが、あとは真の闇である。
 先ほど庭で感じた気配は、蔵の奥にある。
 百夜はその方向に歩く。
 彼女の視野には左右に置かれた棚やその上に置かれた箱などがはっきりと見えていた。
 そして、その中に入っている物まで重なり合って見える。それらに触れた人の思いや、品物に対する妄執が、強く弱く、燃えかすから立ち上る煙のように漂っている。
 百夜は蔵の一番奥に、古い箪笥を見つけた。
 気配はそこから放たれていた。
 上から二番目の抽斗ひきだしを開ける。
 気配が強くなり、同時にあの薫りがふっと鼻腔に入り込んだ。
「そうか。お前であったか」
 百夜は呟き、そして、そっと抽斗を元に戻した。
 蔵の外に出ると、期待に満ちた顔の左吉と、心配げな表情の清吉が百夜を迎えた。
「どうでござんした?」
 左吉が訊いた。
「すべて、分かった」
「お話下さいませ」
 清吉は一歩前に出る。
「それがなぁ」百夜は困った顔をする。
「今、話すわけにはいかない」
「どういうことでございますか?」
「ともかく、座敷に戻ろう」
 清吉は肯いて、下女を呼び足を濯ぐ湯を持ってくるよう言いつけた。

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