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【期間限定連載小説 第25回】平谷美樹『百夜・百鬼夜行帖』第三章の壱 三ツ足の亀(前編)

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「九十九神曼荼羅シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇時代小説が、この「百夜・百鬼夜行帖」です。
麹町の旗本屋敷に人が乗れるほど巨大な亀が現れた。前話、紅柄党の宮口大学と戦い、仕込み刀を折られた百夜は、倉田屋から贈られた代わりの仕込みを手に謎に挑むが…第三章の壱「三ツ足の亀」前編。

第三章の壱 三ツ足の亀(前編)2

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 麹町六番町の花村邸に着き、左吉は裏口から声を掛けて訪問の目的を告げた。中年の用人が慌てて出てきて、百夜と左吉は表玄関から邸内に招き入れられた。
 奥座敷に通され、女中が運んできた上等な茶を啜っていると、茶のちりめんの丸羽織りを着た初老の男が入ってきた。左吉が言ったような『人柄のいい人物』という印象ではなく、気の弱そうな小柄な男であった。
「花村興之助でござる」
 ぼそぼそと呟くような声だった。
「百夜と申す」
 と、百夜が言うと、その言葉遣いに花村は驚いたような顔をしたが、そのことには触れなかった。
「ご足労いただき、かたじけない」
「三ツ足の亀に何か心当たりはございませぬか?」
「ござらぬ。ただ、昨年の暮れに、池の魚が大量に浮くことがございましてな。その時に死んだ亀の亡魂であるやもしれぬとは考えておりました」
「亀の死骸もございましたか?」
「二、三匹」
「魚や亀が死んだ原因は?」
「何者かが毒でも投げ込んだかとも思いましたが、池のそばの塀の向こうは神谷殿のお屋敷。神谷殿のところには、そのような悪ふざけをしそうな者はござらぬ」
「この家には?」
 百夜が問うと、花村は答えに詰まって顎を引き、渋い顔をした。
「一人だけござる」
「どなたでございましょう」
「それがしの四男、又四郎でござる」
「部屋住のほうとう息子ということでございますか」
 百夜がずけずけと言う。左吉が慌てて百夜の袖を引っ張り「百夜さん」と小声でたしなめた。
「その通りでございます」花村は溜息をつく。
「離れで寝起きしておりますが、悪い仲間を連れ込んで酒を飲んで騒ぎ、たびたびご近所には迷惑をかけております」
「又四郎殿が池に毒を流したとお考えで?」
「魚が浮く前の晩、いつにも増して大騒ぎをしておりますので、用人の中島がいさめに行き申した。中島は、百夜殿、左吉殿を案内した用人でござる。腕に覚えがあり、又四郎も仲間もそれを知っておりますから、あらがいはせずに家の外へ出ていきました」
「どこかで飲み直そうと?」
「左様でございましょう」
「次の朝に、魚が浮いていたのでございますな」
「はい」
「又四郎殿はご在宅でございますか?」
「元朝参りに行くと、昨夜から出ております」
「その離れを見せていただきたい」
「それは……」
 花村は答えを渋った。
「誰かが離れに入ったと知ると、激しく怒るのでございますか?」
「情けないことでございますが、それがしの手におえませぬ」
「又四郎殿の兄上方は?」
「次男、三男は早くに他界いたしまして、嫡男が同居しております。しかし、嫡男もそれがしと同様に、又四郎に対しては腫れ物に触るように」
「なるほど」百夜は肯いた。
「けっしてわたしが入った事は分からぬようにいたします」
「離れを見ることが大切なのでございますか?」
 花村は百夜の顔を覗き込むようにして訊いた。
「はい」
「それでは致し方ありませぬな」花村は溜息をつく。
「こちらへ」
 と言って、立ち上がった。

    ※          ※

 花村に導かれ、百夜と左吉は庭に出た。
 大きな庭であった。
 赤い太鼓橋のかかった池があり、つきやまには形のいい木々や石が配置されていた。
 池には鯉が泳いでいるのが見えた。
「この魚は新しく入れたものでございますか?」
 百夜は池のそばに立って訊いた。
「半分ほどは。生き残った魚もおりましたので」
「水は入れ換えたのでございますな」
「ここには湧水がございましてな。二日三日で水は入れ替わります。生き残った魚たちはその湧水の周りに集まっていたので、そのまま放っておきました。魚が池に散らばった頃合いを見計らって、新しい魚を入れたのでございます」
「なるほど」百夜は言って、池の畔に建つ二十坪ほどの家に顔を向けた。
「あれが離れでございますな」
「あの……。百夜殿は目がお見えになるのでござろうか?」
 花村がおずおずと訊いた。
「心眼にて見ておると思っていただければ」
 と、百夜は答え、離れに近づいた。
 嫌な気配が百夜の肌をなめる。
 諦めと焦り。
 自棄の思い。
 悶々とした若い欲望。
 それらが混じり合い、離れの周囲に澱んでいた。
 しかし、亡魂や物の怪の気配は無い。
 百夜は大きなくつぬぎいしせっを脱いで、縁側に上がった。
 障子を開ける。
 乱雑な部屋であった。万年床が三つ、四つ。銚子や盃が転がり、汚れた皿を乗せた膳が襖のそばに重ねられていた。
 若い男の獣臭いにおいと、妙に甘ったるいにおいが満ちている。
 このにおい──。
「臭ぇ」左吉は百夜の隣りに立って鼻をつまんだ。
「白檀でござんすね。何でこんなに香を焚きしめてるんですかね」
「強いにおいは、別のにおいを隠すために用いる」
「たとえば、死骸とか?」
 左吉は小声で訊いた。
「死骸ではない。隠したのはツガルのにおいだ」
「ツガルってあのツガルでござんすか?」
 左吉はさらに声をひそめる。
 ツガルとは、阿片の隠語である。
 伝来には幾つもの説があるが、江戸時代、津軽藩ではの栽培が行われていた。享保年間には津軽で作られた阿片を含有するいちりゅうきんたんという薬が売られていた。
 百夜は修法師の師匠の元で、阿片の煙を嗅いだことがある。阿片は降霊の秘術に用いる秘薬であった。
 その阿片のにおいが、白檀の強烈なにおいの奥に隠れていたのである。
 阿片は当時、国内の生産量が少なく、鎖国をしていたので外国から入ってくるものもほとんど無かった。阿片が問題視されるのは幕末、諸外国との交流が始まってからである。
「このにおいは、芥子の汁を乾かしたようを燃やした時のものだ」
 阿芙蓉とは、江戸時代の阿片の呼び名である。また、『芥子の汁を乾かした物』とは、生阿片のことであり、芥子の未熟な果実を傷つけ、流れ出した汁をヘラで掻き取って乾燥させた物である。
「煙を吸うと気持ちが良くなるって聞いたことがございやす。ここの放蕩息子、ツガルをやっていたんでございますか」
「どうやらそのようだな」
「三ツ足亀の化け物と、何か関係があるんでございやしょうかね」
「ツガルの煙を吸うと幻を見ることがある」
「それじゃあ、三ツ足亀を見た奴は、ここでツガルを吸っていたってこってすか?」
「無い話ではなかろうな」
 百夜は部屋を出て障子を閉めた。
 そして、池のそばで落ち着かなそうな様子で待っていた花村に歩み寄る。
「三ツ足の亀を見たのは、何人でございましょう」
「四人でございます。用人の中島。女中二人。そしてそれがしでございます。女中は長く勤めているしっかりした者で、何かを見間違えたということはございません」
「又四郎殿やそのお仲間は?」
「見てはおらぬようで」
「花村殿は又四郎殿のお部屋には入らぬのでございますか?」
 百夜が問うと、花村は情けない顔で笑う。
「入ると怒るので」
「中島殿と、三ツ足亀を見た二人のお女中は?」
「中島は、騒ぎを収めるために時々。それでも長居はいたしませぬ。二人の女中は母屋の方の用ばかりしておりますから離れには近づきません」
「ってぇことは、ツガルの幻ではないってこってすね」
 左吉が小声で言った。
 百夜は肯く。
 花村は小首を傾げた。
「何のお話で?」
「又四郎殿はツガルを使って御座すようで」
「はて、ツガルとは──」
「阿芙蓉のことでございます」
「阿芙蓉──」
 その名は知っていたようで、花村は驚いた顔をした。
「阿芙蓉は禁制の品ではないが、使い続ければ廃人になるという恐ろしい薬だ。はやいうちに止めさせた方がいい」
「……分かりました。そのようにいたします」
 花村は青い顔で言った。
 百夜たちが座敷に戻ろうとして歩き出した時、ざわざわと賑やかな声が聞こえてきた。
「又四郎でございます」
 花村は焦った口調で言って、百夜の袖を引き、離れから死角になる袖垣の裏に導いた。
 仕立てのいいあわせに羽織袴の若者たちが五人、無遠慮な笑い声を上げながら離れへ入って行く。五人のうち二人は紅い柄の刀を差していた。
べんがらとうか──」
 百夜は苦い顔をした。
 紅柄党は暇を持て余した旗本の部屋住が集まったらいの集団である。
 昨年の暮れに紅柄党の頭目、宮口大学と戦い、仕込みを折られるという敗北を喫していた。
 左吉は百夜から顔を背け、見て見ぬ振りをした。
 女中が二人、慌てたように離れへ走って行く。屋内からどうごえが響き、女中に酒を持ってくるよう命じた。

 
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著者紹介

●作 平谷美樹(ひらや・よしき)

1960年岩手県生まれ。
大阪芸術大学卒業後、岩手県内の美術教師となる。2000年「エンデュミオン エンデュミオン」で作家デビュー。同年「エリ・エリ」で第1回小松左京賞受賞。「義経になった男」「ユーディットⅩⅢ」「風の王国」「ゴミソの鐵次調伏覚書」など、幅広い作風で著書多数。

 
●画 99.COM(つくもどっとこむ)

京都造形芸術大学キャラクターデザイン学科・故・小野日佐子教授に率られた、在学生および卒業生からなるキャラクターデザイン・イラストレーション制作チーム。総勢99名。各々の個性を生かした2D・3Dイラストからアニメーション集団制作までを行った。

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