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【期間限定連載小説 第30回】平谷美樹『百夜・百鬼夜行帖』第三章の参 五月雨拍子木(後編)

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「九十九神曼荼羅シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇時代小説が、この「百夜・百鬼夜行帖」です。
深夜の六軒堀に鳴り響く拍子木。しかし叩く人の姿はない。持ち主の番太、信兵衛はずっと行方不明。拍子木の正体を探ろうと、百夜たちは深夜の番小屋に張り込むが…第三章の参「五月雨拍子木」後編。

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五月雨拍子木

番太小屋に住込んでいた呉服屋の隠居・信兵衛が行方不明になって10日。深夜の深川で信兵衛の拍子木が木魂する。怪異を追った先で盲目の美少女修法師・
百夜が見たものは。九十九神曼荼羅シリーズ内時代劇シリーズ「百夜・百鬼夜行帖」第三章の四は「五月雨さみだれひょう」。

 
 
 
 

第三章の参 五月雨拍子木(後編)3

プリント

 深夜九ツ(午前零時)。
 遠くから拍子木の音が聞こえた。
 百夜たちは耳を澄ます。
 普通の拍子木よりも甲高い音である。
「あれか?」
 百夜が訊くと、安五郎は怯えたような目を向けて肯いた。
「確かに信兵衛さんの拍子木の音でございます」
「よし」百夜は肯いて立ち上がる。
「左吉。行くぞ」
「へい」
 左吉は提灯の中のろうそくに瓦灯の火を移して、百夜の後について番屋を出た。
 二人は木戸を抜けて六軒堀沿いの道に出た。
 雨は降っていなかったが、曇天のようで星一つ見えない。六軒堀河岸の近くの常夜灯が辺りをぼんやりと照らしていた。

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「ねぇ、百夜さん。さっきの話でござんすが、金持ちになる祈祷、あっしにしてくれやせんかね。五両は月ごとに分けてお支払いしやすから」
「そんなものがあれば、自分でしておる」
「あっ。なんだ。これも嘘でござんすか」
「人聞きの悪い。熊八を改心させる方便だ」
「聞いた後から、今の今まで、百夜さんに祈祷してもらおうとワクワクしてたんでござんすよ」
 左吉はだだっ子のように言う。
「その間、楽しんだのだからいいではないか」
 百夜は足を速める。
 拍子木は鳴り続けているが、音の方向は分からない。
 しかし、百夜は南へ足を進めている。
「こっちから聞こえるんですかい?」
「お前の景迹通り、この付喪神の力は弱い。付喪神になりたてなのだ」
「付喪神──。信兵衛さんの亡魂じゃないんで?」
「謎解きは後だ。実は、わたしにもよく分かっていない」
 百夜は、左の南六軒町堀の路地に入る。
 左吉には、心なしか拍子木の音が大きくなったように感じられた。
「確かにこっちのようでござんすね」
 百夜は明神宮の敷地に足を踏み入れた。
 社殿の横を通って奥へ回り込む。
 木々がうっそうと生い茂る中に、青白く滲んだような光が見えた。
 百夜は光の方へ進んだ。
「あっ」
 左吉は光の正体を見て驚き、足を止めた。
 百夜も立ち止まる。
 青白い光は一人の老人の体から放たれていた。
 白い狩衣を纏い、を被った老人である。手に拍子木を持って打ち鳴らしていた。
 顔をくしゃくしゃにして、泣きじゃくっているように見えた。

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「今夜は泣きべそ爺ぃによく出会うぜ。ここの宮司でござんしょうかね?」
「宮司が夜回りの調子で拍子木を打つか。あれが付喪神だ」
「ああ──。しかし、なぜ神主の姿なので?」
「おそらく、どこかの神社の祭りにでも使われていたのであろう。山車の運行には付き物だからな」
「なら、なんで夜回りの調子で拍子木を打っているんです?」
「夜回りをしていた信兵衛の思いが移ったからだ」
 百夜は光る老人に近づく。
「迎えに来たぞ」
 百夜は言った。
 老人は、はっとしたように百夜を見た。
 そして心底安堵したような顔をして拍子木を降ろした。
 光が弱まり、老人の姿は消えた。
 左吉の提灯の光の中に、大きなくすのきが現れた。
 その太い枝に拍子木がぶら下がっている。黒褐色の黒檀の拍子木だった。
 左吉は楠に駆け寄って、枝から拍子木を取って、百夜の側に戻った。
「謎解きをしてくだせぇよ百夜さん」
 左吉は百夜に拍子木を渡す。
「その拍子木は信兵衛が掛けた」
「えっ?」
「夜にお前が長屋に迎えに来る前に、試しに信兵衛の〈口寄せ〉を試してみた。しかし、信兵衛は降りて来なかった」
「するってぇと……」
「そうだ。信兵衛は生きておる」
「なぁんだ。なぜ教えてくれなかったんです?」
「話してしまえば楽しみが一つ減るではないか」
「ちっ。餓鬼みてぇなんだから」
「お前に言われたくはない」
「で、その先を話してくだせぇよ」
「信兵衛は、何らかの事情でここに拍子木を掛けて、姿をくらませた」
「その“何らかの事情”ってのは何なんですか?」
「そこが分からぬ」
「なーんだ」
 左吉はつまらなそうな顔をした。
「だから、今からお前がそれを探るのだ」百夜は言って拍子木の紐を左吉の首に掛けた。
「ぼんてんのけしん じざいてんのけしん もんじゅぼさつのけしん おん がるだや そわか……」
 百夜は呪文を唱えて、拍子木をさっと撫でた。
「拍子木を持ってみよ」
 百夜に言われて、左吉は両手に拍子木を持つ。
 掌の中でぐぐっと拍子木が動いた。
「わっ! 気色悪い!」
 左吉は拍子木を離そうとするが、手に吸い付いたように離れない。

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「そのまま拍子木が示す方へ歩け。信兵衛の居所へ導いているのだ」
 百夜が言った。
「えっ!」左吉の顔が青くなる。
「もし、信兵衛さんが死んでたら、もう十日は経っているんでござんすよ。この蒸し暑い中、十日も経っていりゃあ──。ああ、くわばら、くわばら」
「死んではおらぬと言ったろう。いいから早く歩け」
「へい……」
 左吉は歩き出す。
 拍子木は明神宮の敷地を出ると、ぐいっと左に動いた。左吉は左に曲がる。
 南森町の通りに出て、また右に曲がる。
 真っ直ぐ進んで小名木川に架かる高橋を渡る。
 拍子木は左吉を真っ直ぐ導く。
 途中で牧野備前守の邸宅前の辻番所の役人に呼び止められたが、「不幸があって急いでいる」と嘘をついて通り、仙台堀沿いの道に曲がった。
 亀久橋を渡り、大和町を通り抜け、水居橋を過ぎると、富ヶ岡八幡宮の東側に出た。
 三十三間堂町の前を歩き、汐見橋を渡って、入舟町のかぎ型の道を進み、平野橋のたもとまで来たとき、拍子木は今までとは違う動きをした。
 左吉の手をぐっと左右に開き、一気に戻す。
 拍子木は“ちょん”と鳴った。
「ここのようだな」
 百夜は掘り割りを覗き込む。
 岸辺に一隻の小舟がもやわれていた。むしろで三角の屋根をかけた舟である。
 拍子木の音を聞いたのだろう。入り口の筵をたくし上げて、人影が這いだしてきた。
「誰でぇ?」
 しゃがれた声がすいした。
「安五郎の使いだ」
 百夜が答えると、人影は舟を出て護岸をよじ登ってきた。
 左吉の提灯が照らしたのは、老人だった。
 小舟で寝起きしていると思われるその老人は、小袖の着流しにきちんと調えた髪、意外にこざっぱりとした出で立ちであった。
「信兵衛さんですかい?」
「左様でございます。よくここがお分かりで」言いながら左吉が首からぶら下げた拍子木を見た。
「明神宮から持ってきてくださったんで?」
「この拍子木に導かれてここに来た」
 百夜が答えた。
「へぇ。不思議なことがあるもんでございますね」
 信兵衛は左吉から手渡された拍子木を押し戴くように受け取ると、懐に仕舞った。
「何があったのだ?」 
 百夜は訊いた。
 信兵衛はふっと笑った。

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「すぐに帰ろうとは仰らないんですね」
「色々とありだろうからな。まず、それを聞いてからだ」
「承知いたしました。お話いたしましょう」
 信兵衛は語り始めた。

※          ※

 十日前。
 三日続けて雨が降り、宵の口から激しい降りになったので、信兵衛は九ツ頃、堀の様子を見に提灯を持って木戸を出た。
 闇の中、六軒堀河岸に漕ぎ寄せる一隻の舟がある。
 見ると、老女が櫂を漕いでいる。
 こりゃあ〈舟まんじゅう〉だと思った。
 舟まんじゅうとは、舟に客を連れ込む遊女である。
 江戸時代、遊女は、幕府公認の遊郭である吉原、宿場などに作られた非公認の岡場所などで春をひさいでいたが、店に属さずに一人で商売をする者もいた。街角に立つ夜鷹、舟を使う舟まんじゅうである。
 舟まんじゅうは夜鷹よりも少しだけ料金が高かったが、その日暮らしの貧困の底であえぐ者たちだった。
「こんな所で商売をしちゃいけねぇよ」
 と、信兵衛は声を掛けた。
「こんな降りの日に客なんかありゃあしないよ。舟をもやって一眠りするだけさ。夜が明ける前には、はけるよ」
 と、老女が答える。
 ちゃきちゃきとした口調であった。
 吉原や岡場所で働いていた遊女が、歳を取って店を出され、夜鷹や舟まんじゅうに身を落とすことがある。もしかすると、昔そういう所で働いていた女かもしれない──。と、信兵衛は思った。
 この老女、一晩にどれだけの客があるだろう。暗い川岸で声をかければ、騙される客もあるだろうが、もう長くは続けられないだろう。舟まんじゅうで稼げなければ物乞いになるか。そして、路上で死んで行く──。
 そんな末路しか待っていない老女を、強引に追い返すことに罪悪感をおぼえた信兵衛は、黙ってその場を去ろうとした。
 背後で老女の呻き声が聞こえた。
 慌てて戻ると、老女は川岸にしゃがみ込んでいる。微かに漂ってくる血の臭い。
「どうした」
 信兵衛は老女に駆け寄り、提灯で照らした。
 老女は血を吐いていた。
「何でもねぇよ。汚した所は綺麗にしとくから、もう行ってくんな」
 老女は信兵衛を見上げ、『あっちへ行け』と、手を振った。

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 提灯の明かりに照らされた、白髪頭で皺だらけの老女の顔に、信兵衛はある女の昔日の面影を見た。
「お前──」
 と、信兵衛は呟いた。
 老女ははっとしたように信兵衛を見上げた。
「信兵衛さま──」
 老女の顔が驚きの表情に変わった。

※          ※

「ずっと昔、馴染みだった吉原のおいらんでございました。名をうきと申します。身請けの約束をいたしたんでございますが、親に引き離され、わたしは日本橋の同業の娘を嫁にもらいました。それっきり、吉原には足を向けず、浮巣の事も忘れておりました」

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 信兵衛は言葉を切って深く溜息をついた。
「それで?」と、百夜は先を促す。
「わたしは忘れたのでございますが、浮巣は忘れられなかったのでございます。身請けの話はほかにもあったのにも関わらず、すべて袖にして、いつのまにかとうが立ち、客がつかなくなって、吉原を出たのでございます。そして、深川仲町の岡場所に流れ、そこでも客がつかなくなると、舟まんじゅうに」
「身請けをされず、病で死なず、年季が明けた花魁は、遣り手婆として店に残ったりするじゃねぇか。なぜわざわざ岡場所に?」
 左吉が訊く。
「愚かな話でございますが、遊女の矜持だそうで。自分は死ぬまで遊女として生きるのだと──。その話を聞きながら、もう、昔の自分の身勝手さに身が縮む思いでございました。本人は言いませんが、すべてわたしのせいでございます。申し訳なくて、申し訳なくて、不憫で不憫で──」
「浮巣は浮巣なりにお前に操を立て続けていたのだ。それで、浮巣の面倒を見ることにしたのか?」
「へい。明神さんの奥の楠に拍子木を預けて、そのまま浮巣と一緒に舟に乗りました。浮巣は胃の腑に悪い腫れ物が出来ていたのでございます。腹に触れて分かるくらいの大きさでございました。医者に診せようといたしましたが『もう手遅れだ』と笑い『もし、勝手を聞いてくれるなら、死ぬまでのしばしの間、ぬしさまの腕に抱かれていたい』と、申します」信兵衛は自嘲気味に笑う。
「どこかに家を借りて看病すると申しますと『この舟は自分の家だから、ここで死にたい』と申します。狭い舟の中で、すぐ側にわたしの匂いを感じながら逝きたいのだそうでございます。無惨な姿でございましょう? 爺ぃが死にかけの婆ぁを、小汚い舟の中で一日中子供のように抱いて頭を撫でているのでございます」
「いや」百夜は首を振る。 
「美しい姿であると思う」
「で、信兵衛さん」左吉は泣きそうな顔で信兵衛を見る。
「これから、どうするつもりで?」
「浮巣の病は確かに手遅れでございます。もってあと一日、二日。人目につかない所に舟を動かしながら過ごします」
「その後は?」
らくかいでもいたしますかねぇ」
 と、信兵衛は笑った。
 補陀落渡海とは、平安時代から江戸時代にかけて行われたぎょうの一つである。熊野の補陀落山寺の住職が行うものが有名だが、南方にある補陀落浄土へ赴くことを目的にしたもので、帆も櫂も無い船に乗り海に出る。船室は行者が入った後に出入り口は釘付けされる。補陀落渡海は、生きて還ることの出来ない航海によって、身を捨てて仏になる行であった。
「お前の思ったようにすればいい。浮巣の弔いがしたくば、湯島一丁目〈おばけ長屋〉の百夜を訪ねて来るがよい」
「へい。ありがとうございます。もしかすると、ご厄介になるかもしれません」
 信兵衛がそう言ったとき、舟の中から弱々しい声が聞こえた。
「主さま、主さま」
 信兵衛は舟を振り返る。
「ここにいるよ。すぐに戻る」言って百夜と左吉に一礼する。
「それでは、これで御免下さい」
 信兵衛は舟に戻る。
 出入り口の筵が降ろされると、左吉がポツリと言った。
「わたしの涙は五月雨みてぇに止まりませんや。今度の付喪神、〈五月雨拍子木〉って名付けやす」
 百夜は何も言わず、舟に一礼すると元来た道を歩き出した。左吉はその後を黙ったままついていった。
 二人の姿は静かに五月さつきやみの中に消えた。

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著者紹介

●作 平谷美樹(ひらや・よしき)

1960年岩手県生まれ。
大阪芸術大学卒業後、岩手県内の美術教師となる。2000年「エンデュミオン エンデュミオン」で作家デビュー。同年「エリ・エリ」で第1回小松左京賞受賞。「義経になった男」「ユーディットⅩⅢ」「風の王国」「ゴミソの鐵次調伏覚書」など、幅広い作風で著書多数。

 
●画 99.COM(つくもどっとこむ)

京都造形芸術大学キャラクターデザイン学科・故・小野日佐子教授に率られた、在学生および卒業生からなるキャラクターデザイン・イラストレーション制作チーム。総勢99名。各々の個性を生かした2D・3Dイラストからアニメーション集団制作までを行った。

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