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【期間限定連載小説 第32回】平谷美樹『百夜・百鬼夜行帖』第三章の四 一弦の奏(後編)

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「九十九神曼荼羅シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇時代小説が、この「百夜・百鬼夜行帖」です。
芸者あがりの、かねの家で、毎夜聞こえる三味線の音。すぐ側で聞こえるのに、どこで鳴っているのかわからない。かねの三味線には付喪神の気配はない。では音の正体は…?第三章の四「一弦の奏」後編。

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深川芸者かねが旦那にひかれて越してきた家には、夜な夜な亡霊が弾く三味線の音が響く。盲目の美少女修法師・百夜とお馴染の佐吉コンビの活躍する、九十九神曼荼羅シリーズ内の時代劇シリーズ「百夜・百鬼夜行帖」第三章の五は「一弦のかなで」。

 
 
 
 

第三章の四 一弦の奏(後編)3

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 翌朝、かねは知り合いの踊りの師匠の家へ行った。事が収まるまで家を離れることにしたのである。
 きよは「聞こえないから怖くない」と、家に残り百夜と左吉の世話をすることにした。
 昼食を終えて、百夜は寝所の奥に座り、左吉は濡れ縁にごろりと横になっていた。
「家捜しをしてみやしょうか?」
 左吉は寝返りを打って腹這いになり、頬杖をついて百夜を見る。
「何を探せばいいのかも分からぬ」
「三味か、その部品を探せばいいんじゃござんせんか?」
昨夜ゆうべの音、三味線の音だと思ったか?」
「へ? あの音は三味でやしょう」
「琵琶や琴ではないと言い切れるか?」
「ああ──。そう言われれば」
「わたしたちが聞いたのは、弦が鳴った音だ。それが三味線とは限らぬ」
「そう言われれば、たしかにそうでござんすね」
 左吉は起きあがり、腕組みして肯いた。
「三味線とは限らぬし、琵琶、琴の類であるとも限らぬ。それに、音がどの方角から聞こえているのか分からなかった。元もと音を出すためのモノではないという判じ物かもしれない」
「なるほど。元もと音を出すモノではないが、三味線の弦のような音を出すモノ。そういうこともあり得ると」
「そうだ」
「何がありやすかね」
「たとえば弓だ」
「ああ! つるをはじけば音が鳴りやすね」
「わたしがとうや祓いに使うあずさゆみなども、似た音が出る」
「百夜さん、今度の付喪神は、帰りたがっているって仰いましたよね」
「そうだ。望郷の念のようなうら寂しいものを感じた」
「ということは、別の場所からここに持ってこられて、置き去りにされた物ってことになりやすね」
「──左吉」
 百夜は神妙な声で言った。
 左吉は「へい」と言いながら居住まいを正して濡れ縁に座り直す。
「お前、用心した方がいいかもしれぬぞ」
「え? 何を用心するのでございますか?」左吉は怯えた顔で辺りを見回す。
「亡魂でもいておりやすか?」
「こたびはお前、ずいぶんと察しがいい。燃え尽きる前のろうそくは明るく燃え上がると言うではないか」
「縁起でもねぇことは言わねぇでくださいよ」左吉は怒ったが、声に力がなかった。
「本当に、死に神が近くにいるんですかい?」
「冗談だ。馬鹿者」百夜はくすくすと笑う。
「察しがいいのはたまたまであろうよ」
「人が悪すぎますぜ──。しかし、ここに置き去りにされた物っていうのはいい線じゃござんせんか? 建って間もない家だから、出入りした者の数も限られておりやす。何が持ち込まれたのか絞り込みができると思うんでやんすがねぇ」
「いい線だ」
 百夜は肯いて、きよを呼んだ。
「御用でございますか?」
 きよが前掛けで手を拭きながら現れた。
「この家が建って何日くらいで引っ越した?」
「すぐでございますよ。荷物を運び込んでいる時に、まだ大工さんや左官さんが掃除をしていました」
「ならば、引っ越した後、ここを訪れた者は限られているな」
「はい。魚屋さんやご近所のお百姓さん──」きよは指を折って考えながら言う。

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「ああ、忘れちゃいけない旦那の倉田屋さん。お供で来た手代さん」
「三味線や琵琶をひく人は来なかったかい?」
 左吉が訊く。
「いいえ」
 きよはきっぱりと首を振る。
「そのほかに出入りした者を憶えていないか?」
 百夜が訊いた。
「商いの人以外で来るのは倉田屋さんくらいでございますよ」
「倉田屋さん以外で不幸があったという話は聞かないか?」
「聞きませんね」きよは首を振る。
「本当に三味線の音なんてするんですか? あたしは昨夜も聞き逃しました」
「白河夜船だったんだろう」
 左吉が言う。
「はい。雷が鳴っても、なゐ(地震)が来ても目が覚めないと、お父っつぁんにもおっ母さんにも笑われてました」
「ならば聞こえずとも当然」百夜は笑いを堪える。
「仕事を中断させてすまなかった」
「いえ。構いませんよ」
 きよはにっこりと笑顔を見せて、下がった。

※          ※

 夜が更けて──。
 百夜は部屋の中央にじっと座っていたが、左吉は部屋の隅で大鼾をかいていた。
 もし、かねに関係する付喪神であれば、弦の音は踊りの師匠の家に泊まっている彼女の耳に聞こえるはずである。
 そして、この家に関係があるのであれば、今夜ここにいる者たちに聞こえる。
 かねが家を出ることに異を唱えなかったのは、それを確かめたかったからもあった。
 もちろん、音が聞こえるだけでそのほかの障りはないと確信したから、かねを行かせたのである。
 突然、

 べんっ

 弦の音が響いた。
 今回も、どこから聞こえているのか分からなかった。
 左吉が飛び起きた。
 声も上げずに中腰のまま、辺りを見回す。
 その時、二度目の音が響いた。

 べんっ

 同時に、座敷の中に別の音が響いた。

 ぱしっ

 弦が何かにぶつかるような音だった。
 百夜は音の方を振り向く。
 左吉もそれを見て百夜の顔が向いている方を見た。
 隣室へ繋がる襖である。
「こりゃあ、なんでござんしょう……」
 と言って、左吉は襖に歩み寄った。

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 瓶覗きの薄い水色に雲母きららで千鳥の模様を刷った襖の上に、右上から左下に向けて、真っ直ぐな黒い線があった。
 百夜は左吉の隣りに立つ。
 閉じた目蓋の裏に、襖の様子がありありと浮かんだ。
 溝引き用の物差しを使って引いたような真っ直ぐな線である。
 溝引きとは、利き手に棒と筆を持ち、物差しに刻んだ溝に棒を滑らせることで、紙の上に直線を引く技術である。現在でも絵画の技法として用いられている。
 線の周囲に微かに墨の飛沫が散っている。
「こいつぁ、何の判じ物でござんしょうね。まるで、けに一太刀って風情じゃござんせんか」
 左吉は身をすくめてぶるっと震えた。
「付喪神になった物は、この家が建った後に置き去りにされたのではないということだ」
 百夜は元の場所に戻って座った。
「へ?」
「この家を建てている最中に、置き去りにされたのだ」
「あっ! なるほど。建てる時には、大工に左官、屋根葺き職人なども出入りしやすね。そのうちの誰かが置いて行ったんでござんすか」
「そういうことだ」
「百夜さんにはもうそれが何かってことは分かっているので?」
「難しい判じ物ではない。お前も見たこと聞いたことを思い返せば、見当がつこう」
「ちぇっ。まだ教えてはもらえないんですね」
「もう少し確かめたいことがある。夜が明けたらきよを使いに出す」

※          ※

 雷が鳴ってもなゐが起きても眼を覚まさないきよは、一番鶏の声ですぐに起き出してきた。
 台所の物音でそれに気づいた百夜と左吉は、すぐに台所に向かった。
「あれ」きよは台所の土間から二人の顔を見上げて微笑んだ。
「おはようございます。昨夜は物の怪は出ましたか?」
 と、二人が立つ板敷きのそばに歩み寄った。
「出た出た」左吉が言う。
「出てきて襖を汚しちまったから、表具屋を呼ばなきゃならねぇぜ」
「そうですか。それではあさの用意をしましたら、すぐに行って参ります」
「表具屋へ行く前に用足しを頼みたい」
 と、百夜は言った。
「ようございますとも。何でございましょう?」
「この家を建てた棟梁は誰だ?」
「神田横大工町の善太郎さんです」
「そいつぁ、好都合だ」左吉はぽんと手を打ち合わせる。
「善太郎さんっていやぁ、庄七さんが世話になっている所じゃないですか」
 庄七とは、〈かちむし〉の事件で怪異の解決を依頼してきた大工である。
「ならば使いは左吉、お前の方がいい。竪大工町へひとっ走りして、庄七を呼んでこい」
「がってんだ」
 左吉は言って台所を飛び出した。
「お前は表具屋へ行ってよいぞ」
 百夜はきよに言う。
「はい。それではすぐに朝餉の用意をいたしますね」
 きよは肯いてかまどの前に戻った。

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