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賭場のゴザから、蠢いて盛りあがった藺草が、年増女の手に変わる……平谷美樹の連続怪奇時代小説『百夜・百鬼夜行帖』第六章の壱 願いの手 前編【期間限定無料公開 第59回】

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「夢幻∞シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇小説が「百夜・百鬼夜行帖」。
小石川の寺で毎夜開かれる賭場。左吉は博打のムシが起きて盆を囲んでいる。丁半揃い、壺振りが動いた瞬間、ゴザが蠢き盛りあがる。それは色を変え、女の手へと変貌した…第六章の壱「願いの手」前編。

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盆ゴザから突き出た女の手が丁半博打の壺を叩き払った。博徒・助次郎の刀がその腕を両断する。
が、怪異はこれで収まらず……。
盲目の美少女修法師・百夜が活躍する大人気時代劇の新シリーズがいよいよスタート。

 
 
 
 

第六章の壱 願いの手(前編)1

 幾つもの行灯や燈台に囲まれた盆ゴザの上に、ぞろ目が二度出た。
 丁半博打の始まりは、げんを担いでサイコロを転がし、いい目を二度出すと決まっていた。
 中盆が、
「はい。壺」
と、声をかけた。
小石川下富坂町、真榮寺の食堂じきどうである。
博打の進行をする中盆と盆振り。客が十人ばかりが盆ゴザを囲んでいた。
一月の冷え込む夜であったが、食堂の中はこれから始まる博打への期待感が熱気となって渦巻いている。
 その中に、上野新黒門町の薬種屋、倉田屋の手代、左吉の姿もあった。
 【化人の刺客】の事件の時に、二度と博打には手を出さないと誓ったのに、ほとぼりが冷めてまた博打のムシがうごめき出したのであった。
 博打の興奮と、師匠と仰ぐほうももとの約束を破っているという背徳感が、左吉を高ぶらせていた。
 胸の鼓動は速まり、顔は上気して、息づかいが荒い。輝く目はじっと壺振りの手元を見つめていた。
「壺、かぶります」
 壺振りが言って、湯飲みのような形のざる=壺にサイコロを二つ投げ入れ、盆ゴザの上に伏せる。
 盆振りはサイコロを隠し持っていないことを示すために左手を開いて客に見せる。
「さぁ、どっちも、どっちも!」
 中盆が声をかける。
 客たちが「半!」「丁!」と、声を上げ盆ゴザの上に木札=コマを置いて行く。
 半に賭けた者は木札を縦置きに。丁は横置きにした。
 半に賭けた者の数が少なく、中盆は、
「半方ないか。半方ないか、ないか!」
 と、声をかける。
 様子を見ていた客が半に賭ける。
 それに混じって、左吉も、
「半、半、半!」
 と叫んでコマを置いた。
「丁半、コマ揃いました!」と、中盆。
「勝負!」
 中盆の声と共に、壺振りが壺に手を乗せる。
 その時──。
 壺の側の盆ゴザの一部が蠢いた。
 客たちの側であったから、視線が一斉にそこに集まった。
 イカサマか──?
 何者かが床下から針で突いて壺の中のサイコロを転がすというイカサマがある。
 それを仕掛けられたと思ったのだ。
「おいっ!」
 客の一人が怒鳴った。
 盆ゴザの蠢きが激しくなり、丸く盛りあがった。
 盛り上がりはすぐに人のこぶしだいになった。
 中盆もそれに気づいた。
「こいつは!」
 中盆は言って、胴元の座にいる傳通院の助次郎を見た。
 助次郎は目を見開き、盛りあがりながら蠢く盆ゴザを睨んだ。
 助次郎の隣りに座っていた若い博打打ちがスッと動いた。羽織っていた綿入れを跳ね飛ばし、側に置いた刀を握って、盆ゴザに駆け寄る。
 盆ゴザのぐさが、ずいっと伸び上がり、捻れて何かの形を取る。
 人の手──女の手であった。
 突き出した手は藺草の色が薄くなり、肌艶の失われた大年増女の肘から先に変じた。
 手は、鋭く動き壺を叩き払った。
 壺とサイコロが壁際まで飛ぶ。
「ていっ!」
 若い博徒は刀を閃かせた。
 鋭い刃が女の腕を両断した。
 盆ゴザの上にごろりと転がる。
 客たちが悲鳴を上げて後ずさった。
 女の腕は、ばらばらの藺草の束に変わった。
 盆ゴザには大きな穴が空いていたが、床板には異常はなかった。
ものだ……」
 左吉は掠れた声で呟いた。
 助次郎が若い博徒に近づき、散らばった藺草を見下ろす。
「客人たちには申し訳ねぇが、物の怪が出たとあっちゃあ、験が悪いや。今日はお開きってぇことにしちゃあもらえめえか。厄払いに、かえりしなに一杯引っかけてくんな」
 助次郎は中盆に目で合図する。
 中盆は肯いて、テラ銭の入った箱から少額の銭を取って紙に包み、客たちに配った。
「いい度胸をしてるな。長五郎さんよ」
 助次郎は若い博徒に言った。
「いえ、とんでもねぇ」
 長五郎と呼ばれた博徒は細面の顔に微笑を浮かべて首を振る。
「物の怪を斬っちまいやしたんで、怖くて手が震えてまさぁ」
 言って、鮮やかな所作で刀を回し、すっとさやに収めた。
 左吉は中盆から銭の紙包みを受け取ると、盆ゴザに這い寄る。
 ゴザに空いた穴は、ちょうど散らばっている藺草を繋ぎ合わせれば塞がる大きさだな──。
 物の怪の力が盆ゴザに移って手の形をとったのか。それとも、この盆ゴザそのものが、つくがみなのか──。
 左吉は散らばった藺草を一本取りあげて、まじまじと観察する。
 陽の当たっていなかった部分はまだ青々とした色を残している。ゴザはまだ作られて数年しかたっていまい。付喪神になるには新しすぎる。
「解せねぇな」
 左吉は盆ゴザの上に座り込み、腕組みをして首を傾げた。
「客人──」
 助次郎が左吉を見下ろして声をかける。
「何をしてるんでぇ?」
「あっ」左吉は慌てて助次郎を見上げる。
「助次郎親分。すみやせん。ちょいと気になったもんで」
「何が気になった? イカサマを仕掛けたとでも?」
 助次郎の目がギラリと光る。
 賭場の客たちはすでに帰り、食堂の中には助次郎と長五郎、中盆、盆振り。そして騒ぎを聞きつけて駆けつけた数人のさんしたたちしかいなかった。
「いえ、そんなことじゃねぇんで!」
 左吉は手を振った。
「それじゃあ、なんでぇ?」
 助次郎が左吉にぐいっと顔を近づける。
「おれは日頃、修法師の師匠にくっついているんで、物の怪にはちょいと詳しいんでござんす」
「ほぉ」助次郎は表情を和らげる。
「それじゃあ、その修法師のお弟子様は、今の出来事をなんと見る?」
「それは──」
 と、左吉は困る。百夜と共になん度も付喪神に関係する仕事に関わってきたが、それ以外の物の怪や人の霊にはあまり出会ったことがない。今の出来事の原因など判るはずもなかった。

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 ここは適当なことを言うより、素直に謝っておいたほうがいい。
「へぇ。弟子の力じゃあ、なんとも判断がつきやせん」
 左吉は愛想笑いをして、頭を掻いた。
「なんだい。適当な野郎だぜ」
「あの──」土間に集まっていた三下の一人がおずおずと言う。
「物の怪が出たんでござんすか?」
「盆ゴザから女の手がニョキッとな」
 助次郎がたわけた身振りで手を突きだした。
 三下たちは怯えて後ずさった。
「もし、本物の物の怪なら、そいつ、、、の師匠に頼むのが一番だと思いやす」
 三下は左吉を指さした。左吉の知り合いだった。
「そいつは真黒門町の薬種屋の手代、左吉っていいやして、師匠は湯島一丁目〈お化け長屋〉に住む、百夜っていう盲目の修法師でござんす」
 まずい──。
 左吉は思った。
 百夜の所を訪ねられたら、約束を破ったことを知られてしまう。
 冷や汗が背中を流れる。
「いらねぇよ」助次郎は顔をしかめて手を振った。
「なん度も幽霊に賭場を荒らされたんならいざ知らず、どうせ一回こっきりのかいだろうよ」
「へぇ。そうでござんすね」
 三下は言った。
「そうでござんすとも」
 左吉は言って這うように盆ゴザを抜け出し、土間に下りると自分の草履を抱えて一気に戸口へ走った。
「あっ、この野郎!」
 三下たちが後を追おうとするのを、助次郎が止める。
「ほっときな。お前ぇらがそんなに怖ぇ面をするからだ。素人さんなら逃げたくもなるぜ」
       ※          ※
 左吉は、真榮寺を飛び出すと、火除地を抜け、傳通院門前から真っ直ぐ伸びる安藤坂を転がるように駆け下った。坂の下に桑名屋橋が見えた。流れる川は江戸川。少し下流から神田川と名前が変わる。
「きっと、百夜さんがやったんだ」
 左吉は桑名屋橋を走り抜けながら呟いた。
「おれがまた博打に手を出したって知って、使い魔か識神しきがみのようなモノを放っていましめたに違いねぇ……」
 今から百夜さんの家に走り、懺悔しよう。
 いや──。
 左吉は首を振る。
 アレが百夜さんが放った使い魔と決まったわけじゃねぇ。本当に物の怪が出たのだとすれば、百夜さんは自分が博打に手を出したことを知らねぇ。
 なにも藪を突っついて蛇を出すこたぁねぇ。
 橋を渡りきって、右に曲がった左吉は、踏鞴たたらを踏んで立ち止まった。
「しばらく黙って、様子を見よう」
 左吉は肯いて神田川沿いを下流に走り出した。

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