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渡世人長五郎には、己の腕を握る物の怪、年増女の手の感触に覚えが……平谷美樹の連続怪奇時代小説『百夜・百鬼夜行帖』第六章の壱 願いの手 後編【期間限定無料公開 第60回】

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「夢幻∞シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇小説が「百夜・百鬼夜行帖」。
賭場を仕切る助次郎、そこに居候する長五郎、博徒に寺を貸す照覚和尚。怪異、ゴザから伸びる年増女の手を巡って、世の拗ね者達も、人の縁が縦横に繋がっていることを知る…第六章の壱「願いの手」後編。

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盆ゴザから突き出た女の手が丁半博打の壺を叩き払った。博徒・助次郎の刀がその腕を両断する。
が、怪異はこれで収まらず……。
盲目の美少女修法師・百夜が活躍する大人気時代劇の新シリーズがいよいよスタート。

 
 
 
 

第六章の壱 願いの手(後編)3

 百夜と左吉、長五郎が小石川の真榮寺に着いたのは、昼を少し回った頃だった。
 山門をくぐると、すぐに寺男が現れて、三人を食堂じきどうへ案内した。
 広い土間と天井の高い板敷き。僧が二、三十人は並んで食事をとれそうな広い食堂であった。
 部屋の隅に行灯が数張、燈台が十基ほど置かれていた。盆ゴザもその側に丸めて置かれている。
 百夜は板敷きに上がって盆ゴザを広げた。
 まだ新しい。左吉から聞いていた穴はどこにも空いていなかった。
「古いゴザは?」
「とっくに燃やしやしたよ。ここの住持(住職)が経を上げながら御焚上なさいやした」
「御焚上しても、怪異は収まらぬか」
「へぇ。住持が仰せられるには、ゴザとは関係ないところに原因があると」
「住持は、その原因を突き止められぬ──ということか」
 百夜がそう言った時、僧形の男が食堂に入って来た。年の頃は四十を少し出たあたりか。
「拙僧はこの寺の住持、照覚しょうかくと申す。まったく面目めんぼくない」照覚は、豪快に笑った。
「修法師に怪異の原因を探ってもらうなど、情けない話だ」
「本当に原因は掴めなかったのか?」
 百夜は小首を傾げる。
「本当も、本当。もうお手上げだ」
「そうか──。ときに、住持。なんで博徒に寺を貸した?」
「傳通院などとは違って、ウチの寺は小さい。だんだん檀家が減っておってな。近所には外から江戸に働きに来た者が多く、女房も持てずに死んで行く。無縁ばかりが増えおる。昔は十数人の僧侶がいたが、今では儂一人よ。寺男らも養わなくてはならんからな」
「背に腹は代えられぬということか」
「その通り。仙人ならぬ寺の坊主は霞を食うて生きるという器用な真似はできぬでな」
「なるほど、分かった」
 百夜は言って、盆ゴザの脇に座った。
「寺を貸さなければ食って行けぬということが分かったのか? それとも物の怪の正体が分かったのか?」
 照覚は盆ゴザを挟んで百夜の前にしゃがんだ。
「両方だ」
「ほぉ」照覚は感心したように言う。
「ならば、物の怪の正体を教えてもらおうか」
「夜まで待て。まずは物の怪に現れてもらおう」
「なるほど。面白い趣向だ。今夜も賭場を開くか」
「開いても客は集まるまい」
「確かに。四晩続けて物の怪が出た賭場だからな。噂はもう広がっていような」
「壺振りだけでよい。長五郎──」
 百夜は長五郎に顔を向けた。
「へい」
「お前は壺を振れるか?」
「見よう見まねならば」
「ならば、壺振りはお前が務めよ」
「承知いたしやした」
「時に、長五郎。お前は助次郎の所に草鞋を脱いでなん日になる」
「五日目でございましょうか。あの物の怪騒ぎの日に敷居を跨がせていただきやした。それが何か?」
「いや。ただ訊いただけだ」
 百夜は首を振る。
「あの──」長五郎が言った。
「おそらく助次郎親分も物の怪の調ちようぶくを見たいと仰います。親分もお連れしてようございますか?」
「助次郎とやらには関係のない話だが、まぁよかろう」
「関係ないって──」左吉が言う。
「助次郎親分の賭場ですぜ」
「今夜になってみれば分かる」
 百夜は意味ありげに微笑んでみせた。 

         ※          ※

 陽が落ちて、食堂の中の冷え込みはさらに厳しくなった。
 寺男が現れ百夜たちに配った手焙に炭を継ぎ足した。そして、壁際から行灯と燈台を出し、盆ゴザの回りに配置して火を灯した。

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 寺男と入れ替わりに、傳通院の助次郎が土間に入ってきた。
「ああ、寒い。おっ、その小娘が修法師か?」
 助次郎は板敷きに上がり、百夜の向かいに座った。脇差を抜いて横に置いた。長五郎が立って、自分の手焙を助次郎の側に据える。
「おお、すまねぇな。それで、お嬢さん。物の怪の正体は分かったかい?」
 助次郎は訊く。
「わたしの名は百夜という」
 百夜は不機嫌そうに言った。
「そうかい。百夜ちゃんかい。で、物の怪の正体は?」
〝百夜ちゃん〟と呼ばれて百夜はさらに不機嫌になった。
「お主には関係のないことだから、黙ってそこで見ておれ」
「おっ。威勢がいいね。気に入った」
 助次郎は手を叩く。
「何が起こっても余計な手出しはするなよ」百夜は言う。
「お前のように軽薄な男は時に、この世ならぬ者のげきりんに触れることをする」
「こいつは恐れ入ったね。おれが軽薄かい。まぁいいや。お手並み拝見といくぜ」助次郎は言って懐手をした。
「せっかく貸してもらった食堂だ。お祓いをして、また使えるようになったらありがたい」
「ウチで賭場を開いているんだ。また使えるようになったら真榮寺の助次郎って名乗るのはどうだ?」
 横に座る照覚が言う。
「それじゃあ箔がつかねぇよ」
 助次郎は苦笑する。
「違いない」
 照覚はぺしゃりと頭を叩いた。
「長五郎。やってくれ」
 百夜は隣りに座る長五郎に肯いた。
「へい」
 長五郎は諸肌脱いだ。
 背中に見事な彫り物があった。
 不動明王の絵である。炎の朱と、不動明王の藍が、美しい対比をみせていた。
 長五郎は、壺とサイコロを手に取った。
「壺、かぶります」
 凛とした声が食堂に響く。
 両腕を大きく振る。筋肉が躍動する。
 腕を左右に広げ、長五郎は壺の内側とサイコロを百夜たちに見せる。
 長五郎のしよは滑らかで澱みなかったが、食堂の中の空気がピンと張りつめるほどに迫力があった。
 サイコロが一瞬、宙を舞う。
 壺がそれを受け、弧を描きながら盆ゴザに向かって下りて行く。
 盆ゴザが盛りあがる。
 女の手が現れた。
 左吉が「ひっ」と言って尻で後ずさる。
 するすると伸びて、長五郎の手首を握った。
 腕の動きを止められ、壺の中からサイコロが飛び出し、床に転がった。
 助次郎が動く。
 床に置いた脇差を取りあげ、抜く手も見せず刃を閃かせた。
 百夜が床を蹴る。
 鞘のままの仕込みが、助次郎の刃を打った。
 助次郎の脇差は狙いを逸れて、仕込みの鞘で盆ゴザの上に押さえつけられた。
 助次郎は驚いた顔で百夜を見た。
「余計な手出しをするなと言ったはずだ」
 百夜は言うと、長五郎に顔を向けた。
 長五郎は唖然とした顔で、自分の手首を掴む女の手を見つめている。
 荒れた掌の皮膚。その感触に覚えがあった。

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「おっかあ……」
 長五郎は呟いた。
 長五郎は上州のとある村の、名主の息子であった。博打に手を出して身を持ち崩した。ずいぶん乱暴もはたらいた。
 勘当され、村を飛び出した時、母が追ってきて、長五郎の手を取り、銭を握らせてくれた──。
 その時の掌の肌触り、暖かさによく似ていた。
 長五郎の手から壺が落ち、盆ゴザに転がった。
 長五郎が壺を離した瞬間、手は彼の手首を離し、盆ゴザの中にするすると消えた。
 長五郎は呆然と、盆ゴザを見つめた。
「気づいたか」
 百夜は言った。
「気づいたかって……。それじゃあ、本当におっ母の手だったんでござんすか?」
 長五郎は驚いた顔で百夜を見た。
「この行灯、見覚えはないか?」
 百夜は長五郎のそばの行灯を指さした。
 普通の町家行灯である。紙を張った四角い行灯の下部は、小さな引き出しのついた台になっている。台の上に銚釐ちろりのような形の油差しが乗っていた。
「あっ……」
 長五郎は目を見開いて行灯の側に寄る。しげしげと油差しを見た。
 口が小さく欠けていた。
「こいつは、もしかすると家にあった行灯かもしれやせん。油差しの口の欠けに見覚えがござんす。ですが、なんでこの寺に──?」
「人の亡魂は、時に不思議な出来事を引き起こす。一途な思いが小さな偶然を引き起こし、幾つも重なって、この行灯が真榮寺に置かれることになった。そうであろう? 住持」
 百夜は照覚に顔を向けた。
「うむ……。まぁ、そういうことであろうな」
 照覚は歯切れ悪く言った。
「え? 照覚様は、何かご存じなので?」
 照覚の答えに違和感を覚えた左吉が訊いた。
「いや、その……」
 照覚は渋い顔をした。
「何をご存じなのです?」
 長五郎が訊く。
 その問いには百夜が答えた。
「お前の母は、その行灯の元で、死んだ。おそらく、五年ほど前だ」
「おっ母が死んだ……」
 長五郎は目を見開いた。
「お前を思いながらな。その思いが、行灯に移ったのだ。それがどういう因縁か、この寺に来た。わたしは食堂に入った瞬間、そのことに気づいた」百夜は照覚に顔を向ける。
「住持。お主がそのことに気づいておらぬはずはない」
 百夜の言葉に、照覚は苦笑いしながら禿頭とくとうを撫でた。

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「この行灯と燈台は、ここを助次郎親分に貸した時に、古道具屋からまとめて買うたものだ」照覚は顎で長五郎の前の行灯を差した。
「その中に、一つだけ気にかかる行灯があった。それが、こいつさ」
「やはり気づいていたのだな」
 百夜は照覚を見た。
「まさか長五郎の母だとは思わなかったが、何かの思いが宿っていることは知っていたし、いずれ何かの障りを起こすだろうことも分かっていた。だから、賭場に置いたのさ」
「どういうことでござんす?」
 左吉は首を傾げる。
「幽霊騒ぎが続けば賭場は続けられぬ」
「それじゃあ──」左吉が驚いた顔で言う。
「賭場を閉めるためにわざとこの行灯を置いたってことですかい?」
「場所を貸したはいいが、やはり気が咎めてなぁ。直接断るよりも角が立たぬ」
 照覚は苦笑して禿頭を撫でる。
「なんでぇ」助次郎が不機嫌そうに言った。
「嫌ならそう言えばいいんだ。さっさと引き払ってやったのにさ」
「いったん承諾したことをこっちから引っ込めるのは体裁が悪いではないか」
「ふざけるなよ。水臭ぇ。幼なじみじゃねぇか」
「できるだけ素人衆に迷惑をかけぬように舎弟を養いたいというお前の気持ちを考えると、どうもなぁ」
「馬鹿野郎。明日から旗本の中間部屋でも借りるよ」
 百夜は二人のやり取りを聞いてくすっと笑った。
「そういうえにしであったか」
「何がでぇ?」
 助次郎が訊く。
「世の中の出来事は細い縁の糸で幾重にも繋がっている。その行灯、お前たちに本心を語らせ、さらに縁を強く結びつける役割も果たしたようだ。この行灯が真榮寺に来たのは、そういう意味もあってのことだったのだ」
「名付けて〈縁の行灯〉でござんすか」
 左吉が肯いた。
「付喪神ではないから、名付けずともよい」
 百夜は言った。
「だって、おそらく照覚様はこの行灯を寺宝かなんかにして、説法に使いやすよ。その時に名前があったほうが何かと便利でござんしょうと思いやしてね」
「なるほど」照覚は顎を撫でた。
「うまい説法を考えて、余所から檀家を引っ張って来るか」
「百夜さん」長五郎が盆ゴザに転がった壺とサイコロを拾いながら言った。
「そういう意味もあって──、百夜さんはそう仰いました。ならば、別の意味もあるってことでござんすね?」
「お前はもう気がついておろう」
 百夜は静かに言った。
「おっ母は、おいらに博打打ちをやめろと言いたくて、行灯にくっついてここまで来たってことでござんしょう?」長五郎は行灯の前にひざまずき、眉間に皺を寄せた。
「おれは、おっ母の腕をなん度も斬り落としたんでござんすね」
「そうだ」
「しかしねぇ、百夜さん」長五郎は着物の袖に腕を通し、襟を正した。
「比叡の御山にはせんにちかいほうというぎょうがござんす。いったん始めたならば、中断はできねぇ行だそうで。もし、病や怪我で行ができなくなったら直ちに自ら命を絶つ定めなのだそうでございやす。あっしらの渡世もそのようなもので。千日廻峰の行は、七年で終わるそうでございやすが、あっしらの渡世はそれこそ、いったん走り出したら、死ぬまで走らなきゃならねぇ」
「尊い行とせいにんの生き方を一緒にするでない!」
 照覚が一喝する。
「いや」百夜は首を振った。
「千日廻峰行よりも、見方を変えれば渡世人の生き方のほうが辛いかもしれぬ。行は成し遂げれば救いがある。しかし、渡世人は死ぬまで、あるいは死後も救いのない旅を続けなければならぬ。まさに地獄行だ」
「うむ……」
 と、照覚は唇を引き結ぶ。
「いくら亡き母の懇願であっても、足は洗えぬというのだな?」
 百夜は訊いた。
「へい」
「ならば、仕方があるまいな」百夜はあっさりと言う。
「お前の人の世の旅(人生)だ。思うように生きて、地獄に堕ちるがよい」
 百夜は仕込みを持って土間へ歩く。
「この行灯はどうする?」
 照覚が言う。
 百夜は立ち止まって振り返る。
「お主は住持であろう。亡魂の成仏のさせ方はなん通りも知っておるはずだ。お主の寺のことは、お主が始末をせい」
「ご説、ごもっともだ」
 照覚は禿頭を掻いた。
 百夜はくるりと背を向けると、土間の草履を履いて歩き出す。
「あっ、百夜さん。待って下さいよ」
 左吉は慌てて後を追ったが、土間の途中で足を止め、長五郎たちを振り返り愛想笑いをして「また、いずれ」と頭を下げた。
「いずれは、ない」
 百夜は振り向きもせずに手を伸ばし、左吉の襟首を掴んで引きずるように食堂を出た。

         ※          ※

 旧暦の一月は春である。
 しかし、今宵も江戸は冷え込んでいた。
 左吉はしょんぼりした顔で百夜の後をついて歩く。
「左吉」
 百夜は言った。
「へい」
 左吉は小走りに百夜に近づく。
「〈縁の行灯〉のこと、どう思った?」
「息子に真っ直ぐに生きて欲しいという母親の思いに、泣きそうになりやした」
「ならば、あの行灯は、お前とも縁を結ぶために現れたのだと思え」
「あ……」
 左吉は項垂れる。足取りが遅くなった。
「くどくは言わぬし、お前の返事もきかぬ」
 百夜は、左吉の歩みに歩調を合わせ、並んで桑名屋橋を渡った。
 夜気に微かな梅の香が漂っていた。

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著者紹介

平谷美樹
Yoshiki Hiraya

1960年岩手県生まれ。大阪芸術大学卒業後、岩手県内の美術教師となる。
2000年「エンデュミオン エンデュミオン」で作家デビュー。
同年「エリ・エリ」で第1回小松左京賞受賞。
「義経になった男」「ユーディット」「風の王国」「ゴミソの鐵次調伏覚書」など、幅広い作風で著書多数。

 
本田 淳
Atsushi Honda

1985年東京造形大学油絵科卒業。
(株)日本デザインセンター イラスト部を経て、(株)アイドマ イラスト部入社。
1992年独立。
広告業界に身を置きつつ、2001年より10年間ほど日本南画院展に出品。多数受賞。

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